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メーヤウのカレーと辛いものを食べたくなるわけ

早稲田大学のそばにあった伝説的なカレー屋「メーヤウ」。近年、有志の手によって復活したのです。メーヤウといえば、一度食べたらやみつきになる辛さ。辛くて辛い。中本で言えば北極くらい辛い。

辛いもの。わたし好きなんです。どうしても食べたくなるときがあるんです。

チキンカレー並盛 とても辛い

辛いものを食べていてよくあるのが「なぜわざわざ辛いものを食べるのか?」という疑念です。

辛いもの好きにはそれぞれ考えがあると思います。

汗をかくのがいい、痛みが気持ちいい、辛いの中においしいさがある、などなど。

ただし、どれもそのとおりなんだけど、核心的ではない。辛いものを食べるということの核心はなんだろう。

そこでニーチェを参照してみましょう(ニーチェが辛いもの好きかは置いておきます)

『悲劇の誕生』(1872)という著作において、ニーチェは、秩序の側とその外部、つまりヤバいもの、カオス的なもののダブルバインドを提示したと言えます。古代ギリシャにおいて秩序を志向するのは「アポロン的なもの」であり、他方、混乱=ヤバいものは「ディオニュソス的なもの」であるという二元論です。

千葉雅也『現代思想入門』

ここでポイントなのは、秩序である「アポロン的なもの」と混乱である「ディオニュソス的なもの」との「拮抗状態」に魅力があるということです。

これを辛いものに当てはめてみる。

そうするなら、「ディオニュソス的なもの」は食べるとヤバさをもたらす「辛さ」でしょう。
反対に、箸を休めているときは「アポロン的なもの」、秩序がもたらされるわけです。

すなわち、ニーチェによるなら、「辛いものを食べるということ」には、「ディオニュソス的なヤバさ」と「アポロン的な休息」との「拮抗状態」が満ちているのです。

カレーを口に運び舌に載せた途端に、辛さが痛みとなって伝わります。その辛みが痛みになり、その瞬間。静けさ。辛さが後を引く時間。辛みと休みの間の時間。このひとときが辛いものを食べる楽しみなのではないか……

辛いものを食べたくなったとき、辛いものを食べたとき、辛さに耐えているとき、その瞬間の少し楽しみが増えてくれれば嬉しい限りです。


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