受験生に告ぐ
対象読者
多くの虫取り少年がセミの小便を浴びる暑い7月となった。もうすぐ受験の天王山ということもあり、受験生はあくせくとしていると思う。私は現在地方の大学生で、中学三年、高校全般の計四年間の受験期、追加して地獄の浪人生活を一年間過ごした。一寸先は闇の中である受験期の方の少しの気晴らしになればと思い当記事を執筆する。浪人生、現役生、資格取得者含め試験に直面する人に向けての記事です。一隅を照らすことができれば幸いです。ありきたりの「勉強の仕方, 一日のスケジュール」などという蛇の脱皮した皮くらい薄っぺらい話は書店の受験バイブルで事足りると思うので当記事ではその手の内容は抵触程度です。また私個人として現在22歳ですが受験という大イベントの記憶が風化する前に文字に起こしておきたいという想いもあります。
受験
受験は受験を本気でしたものにしか分からない辛さがあると思う。人それぞれ辛さの尺度は異なるが、先天的な天才を除けば、人生で起きるイベントの中では辛い部類に確実に入ると思う。受験が全てではないし、受験に全てをかけるのも悪い事ではない。ただ生涯受験に囚われるとそれは少し寂しい気がする。高校生、大学生のような青年期には受験以外の誘惑、セックス、酒、遊び、ゲームなど多くの魔物がいる。その魔物と対峙し受験生は日々格闘する必要がある。理三合格、京医、CBT、司法試験、CFP、世の中には多くの試験や受験が転がっている。太古の昔ならば受験は必要なかった。それは人口が今よりはるかに少なく、利器も未発達であったからだ。つまり郷の中で全てが完結していた世の中であったからだ。一方、現在では試験と言われるものが必須となっている。何故かというと、世の中のカーストの上位にいる国家、経営者、投資家といったポジションの人が一人の人を見定める際に振るいにかけやすいからだ。よって労働者を望む人が受験をないがしろにするのは愚の骨頂だと言える。また、IT化が躍進していくにつれて比較的簡単に稼ぐことは確かにできるようにはなった。今、世界のどこかでは日給500円で働いている人もいるくらいなのであるから、我々は本当に恵まれていると思う。それでも私は受験は大切な営みであると考える。受験は自分の頭で考える練習の場であるように思う。社会の波は大荒れだ。大荒れの海原で冷静な思考をすることは練習なしには無理だ。私は心底から医者になりたかったがなれなかった。努力不足、誘惑に敗北したこと、運皆無、慢心など敗因は沢山あったと思う。その他にも起業にも失敗したし、融資してくれとメガバンに直撃したら門前払いされたり、18歳で詐欺グループに40万円払ったり、事業を拡大しようと考え、自分の弱さから数十回はお金をドブに捨てたりもした。しかし今思えばそれもまた一興であったように感じる。その都度考え、内省した。まだまだ大花は咲かないがいつか咲くと信じて猛進するのみである。今は自転車を漕いだり、金融、考え事、お酒を飲みながら騒いだりするのが楽しくて仕方がない。人は生きている限り大きな挫折をしても時間がその傷を癒してくれるし、次のヒントも必然的に転がってくる。本当に可能性は無限大であるし、よくできた生き物だとつくづく感じる。話が少し逸脱したが、私は資格や学位に囚われ、人の良し悪しを判断するほど虚無なものはないと思うが、資本主義のこのお国では権威、地位、学位、知識人が想像以上に重宝されている。つまりある程度の時間を受験に投資する価値はあると考える。また与えられた因子で思考を楽しめるのは受験のみだと思う。その先は自分の頭で考え、仮説を立て、実験し、失敗し、また勉強。とにかく勉強を頑張ると様々な報酬があると思う。時には人と比べてしまうこともあると思うが、いつの日か自分にとって本当に大切な人、モノ、目標が目の前に現れると受験を通して築いた精神や思考力が何かしら手助けをしてくれると思う。思考を停止しなけらば、簡単ではないがお金は稼ぐこともできるし、もっと難しいが人を守ることもできる。大学に入るまではとにかく頑張る。入学する大学は関係ないが、プロセスの段階で自分の限界を決めつけず、とにかく弱い部分と向き合って考える。医者になりたいならば医者になるために必要な努力の絶対量、美容師になりたいなら美容師になるために必要な絶対量がある。自己問答しながら、その絶対量分だけは努力する必要がある。言い訳だが、私はこれが高校生の段階ではできなったのでボコボコに受験にめった刺しにされた。甘い甘すぎる。だから声を大にして言いたい。「考えて頑張る。我が道を行け。」そして、受験を終えた後どれだけの努力を続けられるかが全てだと思う。受験を頑張る人は多いが、受験後を頑張る人は本当に稀だと思う。また受験後は社会の目、家庭、選択肢の数などの壁によって好き勝手頑張れなくなることも多くなってくる。自由な身で好き勝手頑張れるのは人生で限られている。受験が終われば、受験終了段階での結果を咀嚼して、次頑張ればいい。そう思うと受験も少しは気楽なものとなる。受験生の皆さん、健闘を祈ります。