No.06 阿蘇の神々 国造神社の神
阿蘇の国造神社(こくぞう)も難解で、なかなか踏み込めない神社でした。
国造神社は、阿蘇谷の北東、北外輪山の麓に鎮座し、肥後国一宮・阿蘇神社の北方に鎮座するため北宮とも称され、その創立は阿蘇神社より古く、肥後最古にて、伝承では阿蘇神社の元宮とも言われていて、謎が多い神社です。
また「肥国」の起源は、阿蘇山と火山から、景行記による有明海や八代海に夜見える漁り火の蜃気楼である不知火から、火の国とされてきました。
しかし、平安初期の和名類聚抄(和名抄)では「火国」の「火前」「火後」ではありません。「肥国」とされています。その起源となった場所は、古代の中心であった八代郡北部の現在の八代郡氷川町宮原にあるようです。
国造神社に入る前に、「肥国」の起源から。
■肥国の起源と宮原の阿蘇神社
ブログ「宮原誠一の神社見聞牒」
No.46 宮原(橘)公忠と鎮宅霊符と八代郡氷川町宮原 ⑦ 2018年2月16日
No.77 宮原(みやのはる)から見える宮野 ③ 2018年9月22日
を参考にしています
肥後国八代郡宮原の起こり・肥国の起源と阿蘇神社
八代郡氷川町宮原の阿蘇神社近くの街燈の柱には「火の国発祥の地 みやはら」とあります。旧八代郡宮原町は、火の国、肥の国の名称の発祥の地で、太古は「火の邑」「火の村」と言い、その後「火の国」と称しました。平安末期「火の村」は「宮原村」へと改め、鎌倉・室町時代は八代郡文化の中心として栄えました。昭和の合併で旧八代郡宮原町は氷川町宮原となっています。(No.46 No.77)
ミヤノハル(宮原)という地名は、三宮社にちなんで出来て、その前はヒノムラ(火ノ村)と言った。「宮原」を地名として呼ぶ時は「みやのはる」と言い、名前を呼ぶ時も「みやのはる」と呼んでいましたが、後に「みやはら」と呼ぶようになったという。そして、ここ宮原の地は「火の君」の中心的地域でもあります。よく「火の国」の起源は阿蘇山の火炎から来ていると聞きますが、ここから阿蘇山の炎が見える所ではないです。「ひの国」の「ひ」は「とてつもなく尊い方」を意味し、「とてつもなく尊い方が住まわれている国」ということになります。八代市の竹原の津は周王朝系呉国末裔の泰伯王家の渡来の地だからでしょう。
熊本県の地名は、「火の国」→「肥の国」→「肥後国」→「隈本」→「熊本」と、その名称を変えています。
氷川町の宮原の地名は三宮社(宮原三神宮)に因みますが、三宮社の主祭神は国常立尊(牛尾神、大己貴)の大幡主であり、脇神が天照皇大神(天照女神)、神武天皇(下賀茂の大幡主)であり、祀る神様は大幡主と天照女神の二神(柱)なのです。
宮原三神宮
熊本県八代郡氷川町宮原491
祭神
天照皇大神(右・伊勢神宮内宮)
国常立尊 (中・近江日吉宮)
神武天皇 (左・京都下賀茂神社)
由緒 もとは三宮社と称していましたが、明治後、宮原三神宮と改称。
平治元年(1159)二条天皇の勅命によって越中前司平盛俊が社殿の造営にあたり、応保元年(1161)竣工、盛俊の弟平盛房を兵庫頭中四位に叙し社司に任じて、同年8月に勅使として内大臣平重盛等と共に肥後国八代郡火の村に神輿を奉じて勧請しました。
神仏習合時は三宮妙見宮と称するも、明治の神仏分離令により、神蔵寺(天台宗氷川山)を廃し、社号を宮原三神宮と改めました。
三宮社は旧八代郡北部の妙見信仰の中心的存在で、八代古跡略記によれば、三宮とは「一の宮は目深検校・二の宮は手長次朗・三の宮は早足三郎を祭る。」という。目深検校・手長次朗・早足三郎は、亀蛇に乗って竹原ノ津に上陸した百済滅亡後の百済王族とされる。
また一説には「一の宮は妙見、二の宮は阿蘇・甲佐・八幡・賀茂・春日、三の宮は立神六所権現(熊野権現)を祭神とする」という。妙見神が一の宮に祀られ、三宮妙見宮は八代妙見宮を勧請したものであり、八代宮地の妙見宮に次ぐ重要な末社であった。
氷川が山間地から平野部に出る所の氷川町宮原に、小じんまりとした阿蘇神社が鎮座しています。
氷川河畔に鎮座する阿蘇神社
熊本県八代郡氷川町宮原若宮760
祭神
阿蘇津彦命(あそつひこのみこと)
阿蘇津姫命(あそつひめのみこと)
阿蘇津彦は建磐龍で阿蘇津姫と夫婦神であり、案内板では「若宮さん」と呼ばれています。
神座には「花菱紋」が打ってあり、「花菱紋」は天照女神の紋章です。この地域が九州王朝の支配地域であったと考えます。
天照女神(ひみこ)と神武帝が住まいとされた所を「姫城 ひめぎ」といいました。今もその地名が残っている場所があります。
宮崎県都城市姫城町(市役所付近)
鹿児島県霧島市隼人町姫城 国分姫城
熊本県八代市泉町白木平 竜北の野津古墳群の「姫の城古墳」
福岡県うきは市浮羽町姫治(ひめはる)
氷川の北の竜北に野津古墳群があり、古墳時代後期(6世紀初~中頃)としては珍しい墳丘の長さ60~100mの前方後円墳(物見櫓古墳・姫の城古墳・中の城古墳・端の城古墳)が4基も並んでいて、「火の君」一族の墳墓である可能性が高いと考えられている。
■阿蘇市手野の国造神社
国造神社が鎮座する地名が「手野 ての」であることは先に述べています。
福岡県岡垣町手野に大国主神社があり、大国主神社の社号を持つ神社は、福岡県では岡垣町手野が唯一です。祭神の大国主は正八幡大幡主です。
大国主神社
福岡県遠賀郡岡垣町手野1306
社頭に通じる手前の辻に大幡主の大きい六角灯籠があります。
灯籠建立奉賛の西手野の方々です。井野、工藤、三城、山部、宮川さん等です。山部氏、宮川氏は国造神社の社家、阿蘇北宮祝家の流れであるといわれる。神社の下の東に西手野村、東手野村が展開します。国造神社の南西の下に「尾篭 おごもり」村があり、その下に吾田の「片隅 かたすみ」村があります。片隅村は吾田片隅命=正八幡大幡主に通じます。宗像大社、厳島神社と宗像に関係がありそうです。
国造神社の祭祀線を調べていたら、国造神社・阿蘇神社・高岳が直線に並びます。高岳は鷹岳であり、大幡主の山です。天照女神の中岳と火口には向いていません。阿蘇神社の北鳥居は国造神社に、南鳥居は阿蘇高岳に向いているという。要は阿蘇神社の祭祀線は大幡主を祀る祭祀線ということになります。
国造神社(北宮)
熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
祭神:速瓶玉命、雨宮媛命、高橋神、火宮神
門守社(もんがみしゃ) 国造神社の本殿左右脇に門神社があります
手野のスギ
1924年(大正13年)史蹟名勝天然紀念物保存法で国の天然記念物に指定されたが、1991年(平成3年)9月27日、台風19号の被害を受けて折損
祭神
速瓶玉命(はやみかたま)阿蘇国造大神、阿蘇神社では十一宮に祭祀
雨宮媛命(あまみやひめ)速瓶玉命の妃 郡浦神社主祭神の蒲智比咩命(かまちひめ)と同体で海神の女神
高橋神(たかはしのかみ)速瓶玉命の第二子
火宮神(ひのみやがみ) 速瓶玉命の第三子
由緒
延喜式神名帳には肥後国は四座が記され、健磐龍命神社(阿蘇神社)、阿蘇比咩神社(阿蘇神社)、国造神社、疋野神社(ひきの)、四座のうちの一座。熊本県内において、最も古い神社の一社とされている。肥後国誌によれば、崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、景行天皇18年に、国造神社を修造し祭典を整えたという。
父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命と共に阿蘇の地を開拓し、農耕・植林などを指導したとされる速瓶玉命(初代阿蘇国造)を主祭神とし、妃、子息の合わせて四柱を祀ります。
祭神の高橋神と火宮神
高橋神と火宮神は速瓶玉命と雨宮媛命の子息と説明があります。両親は通常名で、子息には神号が付きます。これでは子息が主祭神を抜いて格上となります。
高橋神は水神の天照女神であり、火宮神は別名・速日神であり、「饒」を頭に付ければ、饒速日命(にぎはやひ)となり、火神の正八幡大幡主です。(No.02)
雨宮媛神は郡浦神社の主祭神の蒲智比咩(かまちひめ)と同体であり、海神の女神であるという。蒲智比咩は水神海神の天照女神です。
速瓶玉神は火神の正八幡大幡主です。「速」「瓶」は建甕槌命(大幡主)に、「玉」は許黄玉、玉垂命(天照女神)につながります。
祭神は天照女神と正八幡大幡主の夫婦神が重なって祀られていることになります。
社殿、境内を見れば、参道には大幡主の六角灯籠、水神社の闇龗神と高龗神の夫婦神、拝殿の屋根には鳳凰の彫刻と「違い鷹羽」紋、拝殿向拝の龍と大幡主の蘇鉄の彫刻、本殿の向拝は高良神社形式の四本柱、本殿両脇の坂本の門神社。高良神は正八幡大幡主です。
さらに、国造神社の祭祀線は国造神社・阿蘇神社・高岳が直線上にあり、国造神社の社殿・参道は阿蘇神社、阿蘇高岳へと向かいます。高岳は鷹岳であり大幡主の山です。
これからしても、国造神社の祭神は、天照女神と正八幡大幡主の夫婦神と察しがつきます。
拝殿の「北宮」の神額を見れば、両脇の神額は「火宮神と雨宮媛命」「速瓶玉命と高橋神」の夫婦神の二組の神額があります。
国造神社は高良玉垂命を祀る高良玉垂神社でしょう。高良神は正八幡大幡主、玉垂命は天照女神です。
両親は通常名で、子息二柱には神号が付く親子四柱の配神の神社が福岡県福津市にあります。宮地嶽神社です。
宮地嶽神社
福岡県福津市宮司元町7−1(No.250)
福津市の宮地嶽神社の祭神は天照女神と大幡主であり、祭神表記は下記の通りです。
安倍丞相(あべ) →大幡主
息長足比売命 →天照女神
勝頼大神(藤高麿)→朝日豊盛命→大幡主(日天)
勝村大神(藤助麿)→暮日豊盛命→天照女神(月天、月姫、勝村姫、勝守姫、勝浦姫)
宮地嶽神社の本殿の屋根には平削ぎの女千木と七本の鰹木で、主祭神は女神に男女神を祀ります。宮地嶽神社の主祭神は天照女神です。天照女神は隠された女神です。
■国造神社の門守社(もんがみしゃ)
国造神社の本殿左右脇に門守社があります。
門神社(もんがみしゃ)の元宮は高良御子神社の坂本の門神社です。門神社がある神社は高良神社か高良御子神社です。
国造神社の門神社は、
左手(西)を蛇の宮といい、
右手(東)を鯰(なまず)の宮という
左手(西)の門神社を豊磐窓命(天照女神代理)
右手(東)の門神社を櫛磐窓命(正八幡大幡主代理)
それぞれの蛇と鯰は天照女神と大幡主の神使となります。
※高良御子神社内の坂本神社(門神様)
高良御子神社社殿の右に坂本神社があり、坂本命と二人の門神様を祀ります。古昔、JR九大線御井駅付近の栗林に東西両坂本神社があったという。
山川校区郷土研究会説明板によれば、
「明治43年9月26日 郡役所の勧誘により、王子山596-1高良御子神社境内に、全末社とも移転遷座す。現在、王子宮境内に祭祀してある坂本神社の社殿は一つだが、正面祭壇上に素木の厨子が二つ並んでいる。それが東西坂本社のご神体である。中央にご神体一柱あり。(坂本社)」とあります。(No.71)
山川の坂本神社
福岡県久留米市山川町字王子山596番地1
門神社としての坂本社の祭神は次の通りです。
坂本本社(中) 坂本命
東坂本社(東) 櫛岩窓命(くしいわまど) → 日吉様
西坂本社(西) 豊岩窓命(とよいわまど) → 山王様
山川校区郷土研究会の設明板には「両祭神は、太玉命の御子で「殿(みかど)」を守衛(まも)る神、即ち高良参道入口の守護神である。」と書かれています。高良神社を門神として守っておられています。
高良大社の門神の坂本社は、社殿への登り階段口の両脇に分霊が祀られていましたが、現在は本殿内の御客座に遷座して、門神の社殿はなくなっています。
■月読神社
国造神社の案内所で宮川のおばちゃんに出会い、国造神社の古い絵図を見せてもらいました。山城まい様が、阿蘇神社に大切に保管されている四百年前の国造神社の古い絵図を紹介されています。その絵図を見ると、昔の国造神社は朱の柱に白壁です。この形式の神社は天照女神と正八幡大幡主を祀ります。現在の社殿は、寛文12年(1672)、肥後熊本藩第3代藩主細川綱利によって造営されていますので、その以前の姿でしょう。
まるで、龍宮神社です。大分県由布市湯布院町の宇奈岐日女神社も同様です。
宇奈岐日女神社
大分県由布市湯布院町川上2220 (No.247)
朱の柱と白壁の配色社殿は天照女神(瀬織律姫・水神)・大幡主を祀ります。
宇奈岐日女(うなきひめ)は楮(こうぞ)の栽培を司る神様で、木綿(ゆうば)大神と呼ばれていた。
木綿(ゆふ)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のこととなります。天照女神は養蚕の神でもあり、織姫神です。
同様の古絵図が、福岡市箱崎の筥崎八幡宮です。現在の茶色の社殿でなく、朱の柱に白壁の社殿です。(メッセージ10)
筥崎八幡宮
福岡県福岡市東区箱崎一丁目22-1
阿蘇社、高良社、若宮八幡、乳母子社、多賀塔、筥松が楼門横に描かれています。
筥崎八幡宮の境内社に阿蘇社、高良社、若宮八幡宮があります。筥崎八幡宮に阿蘇社と高良社があるのが驚きです。祭神は共通ということでしょうか。福岡市の筥崎八幡宮の祭神も天照女神と大幡主です。月読神社の祭神は月夜見命(天照女神)と月弓命(大幡主)ではないか。
壱岐芦辺町の月読神社に筥崎八幡宮が勧請されて、海裏神社から箱崎八幡神社となっています。
「壱岐神社誌」によれば、芦辺町箱崎に式内月読神社が創立され、次に海神が配祀され海裏神社(海裏宮)となり、後に筥崎八幡宮が配祀され箱崎八幡神社となっています。
芦辺町の箱崎八幡神社
(相殿の月読神社)
長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘の尾触1294
海裏神社(海裏宮)
(主) 豊玉彦命(とよたまひこ)
豊玉姫命(とよたまひめ)
八幡神社
(主) 品陀和気命(ほんだわけ 応神天皇)
仲津日賣命(なかつひめ)
帯仲日子命(たらしなかひこ 仲哀天皇)
息長帯日貴命(おきながたらしひめ 神功皇后)
(相殿)月読神社
天月神命(あめのつきかみ 月夜見命、月姫、月天、天照女神)
(相殿)高御祖神社
高皇産霊神(たかみむすび 月弓命、日天、正八幡大幡主)
京都市西京区松尾大社の境外摂社の月読神社は、箱崎八幡神社の月読神社から分祀されたとされる。高御祖神社から分祀されたのが、奈良県橿原市の目原坐高御魂神社とされる。
高御祖神社 たかみおや
壱岐市芦辺町諸吉仲触9
嵯峨天皇時代の弘仁2年(811)創建。紀州田澄の熊野権現を勧請し、延貨の調(1676)、平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査により式内社高御祖神社と改められる。
祭神
高皇産霊大神(たかみむすびのかみ 正八幡大幡主)
伊聾諾大神(いざなぎのかみ)
伊奘再大神(いざなみのかみ)
(相殿)
天日神命(月弓命、日天、正八幡大幡主、熊野速玉男神=薬師如来)
天月神命(月夜見命、月天、月姫、天照女神、熊野牟須美神=千手観音)
壱岐芦辺町国分の月讀神社(つきよみ)
長崎県壱岐市芦辺町国分東触464
祭神
月読命(右) 月夜見命(中・天照女神) 月弓命(左・正八幡大幡主)
由緒
延宝以前の由緒来歴は不明。
延宝4年(1676)に平戸藩の命を受け、壱岐の式内社調査を行った橘三喜が当神社を式内名神大社の「月読神社」に比定し、藩主松浦鎮信によって石祠と神体として木鏡一面が奉納され、以後しばらくは式内社とされたが、それ以前は特段の祭祀設備もなく単に「山の神」と称されるのみであった。
※本来の祭神は「山の神」であったが、平戸藩の橘三喜の比定によって月読命が祭神とされました。Wikiでは、これは「誤り」とされていますが、「山の神」は大山祗の神であり、月読命とされます。さらに、山の神で月読命は天照女神と正八幡大幡主です。
よって、橘三喜の比定も、あながち間違いとは言えないようです。
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