No.05 阿蘇の神々 健磐龍命と阿蘇津姫
阿蘇神社の神々、健磐龍命(阿蘇津彦)と阿蘇津姫について、
福岡県の阿蘇神社の祭神は健磐龍命と阿蘇津姫を祀ります。しかも、その地域は、橘族が多く住んでおられるにもかかわらず。普通に考えれば異常です。筑後の者から見れば、阿蘇神社は異質的な感覚があるのです。
また、祭神名の阿蘇津彦は健磐龍という具体名(諱)があるのに、阿蘇津姫は通称名であり、具体名(諱)がないのです。それだけ、阿蘇津姫の正体は隠したいのでしょうか?
一説では、天豊津姫ともいわれ、これも通称名ですが、「天」と「豊」の高貴な字がついています。日本書紀によれば、天豊津姫は懿徳天皇(いとく)の皇后ですが、その皇后が阿蘇津姫として健磐龍命の妃になられる、不思議です。
福岡片江の阿蘇神社 福岡県福岡市城南区片江二丁目22−2
祭神:武岩龍命
福岡市片江の天神社(福岡市城南区片江三丁目8-1)の案内板(澤野一誠氏謹製)に片江の阿蘇神社の由来が想定されています。それによれば、肥後にある阿蘇神社が、なぜ、片江にも在るのか。誰が、いつ、いかなる理由で建立したのか?わからいと言われる。しかし、片江は南北朝戦乱の折、菊池武時の戦場に関係し、その子武光が筑後川の合戦(1359)に勝利し、筑前を制圧しており、小郡市干潟の阿蘇神社の由緒のように、菊池一族が創立したのではないかと想定されています。
1333(元弘3)年、鎌倉幕府打倒を掲げた後醍醐天皇に応え、九州の幕府「鎮西探題」(福岡市博多区)を襲撃の折、少弐氏、大友氏に裏切られ、多勢に無勢の状況下で、菊池武時は自軍の敗退を覚悟し、息子の武重(と武光)に撤退を命じた後、突入し武時以下全員が討死。
福岡県神社誌 由緒
不詳、筑前国続風土記に「肥後の阿蘇の社記に、早良郡山門庄比伊郷阿蘇神領なる事見えたり。今、比伊郷片江村に阿蘇神社あり。これ昔神戸の地なりし故祭れるなるべし。又、早良郡司三宅春則等が深く斎きたり。三宅氏は阿蘇神の末孫なり。」と記せり。
社伝によれば、現今の大字片江字神松寺に鎮座せる老松天神社こそ本社勧請前に於ける古来よりの当地産土神にして天神田と称する祭田あり。
※福岡県神社誌では、片江の阿蘇神社は早良郡司の三宅春則が斎祀したとあります。三宅氏は阿蘇神の末孫であるという。また、阿蘇神社以前の産土神は神松寺の老松天神社であるという。いずれにしても、正八幡大幡主を祀ります。
小郡干潟の阿蘇神社 福岡県小郡市干潟594
祭神:健磐龍命
合祀:素盞嗚尊、菅原神、宗像三女神、天照御魂神
祭神素盞嗚尊は字町口の素盞嗚神社、菅原神は字下鶴の天滿神社を明治44年に合併。宗像三女神は字黒土の宮地嶽神社を、祭神天照御魂神は字サノコの左野子神社を大正11年合祀。
当干潟村は寛平(889-)の頃より、肥後国宮地町の阿蘇神社の社領であった。南北朝戦乱の後、菊池氏の嗣子が絶え、姻戚関係の阿蘇神社の大宮司惟職の子が肥後国隈府の太守となるや、その祖神の健磐龍命即ち阿蘇神社を肥後国隈府干潟郷に勧請祭祀。
宝暦8年(1758)、肥後阿蘇神社の社領たること、隈府干潟鎮座の阿蘇神社の地名が当村と同名なる故に神殿を改築し,阿蘇神社の祭神を勧請祭祀して今日に至る。
※境内社に生目八幡神社(平景清霊神)があります。社殿は本社並みに大きく、神紋は五瓜唐花紋で祇園社の紋であり、生目八幡神社は正八幡大幡主が本来の祭神です。さらに生目八幡神社の左横に正八幡大幡主を祀る祇園神社があります。神社の構成は熊本県南関町の大津山阿蘇神社と同じです。
朝倉杷木の阿蘇神社 福岡県朝倉市杷木穂坂396
祭神:建磐龍命、中山祇命、高龗命
江戸初期1692年頃、穂坂地区の産神として熊本県の阿蘇大明神を勧請
中山祇、高龗は正八幡大幡主です。田主丸の穂坂(保坂)さんは月読神社(天照女神と大幡主)を奉斎です。
夕月神社 福岡県朝倉市杷木古賀1402(本殿1405)
祭神:月読命(月弓命)
※天照女神は月姫であり月夜見命、大幡主は月読命
※月読命は新月、月弓命は半月、月夜見命は満月を象徴
月弓は上弦の月であり、昼間午後出ており、
夕方の日暮れに南に輝きだします
田主丸の阿蘇神社 福岡県久留米市田主丸町地徳2808
祭神:健磐龍命、阿蘇都比咩命
合祀:神功皇后・国魂神・木花咲耶姫神、勝頼大明神・神功皇后・勝村大明神、浅問之神、大地主神(摂社・四柱神社→八十国魂神社・宮地嶽神社・浅間神社・地主神社)
由緒:不詳。神功皇后、国魂神、木花咲耶姫神は字一ノ尾の八十国魂神社、勝頼大明神、神功皇后、勝村大明神は字新立の宮地嶽神社、浅間の神は字サヤノキの浅間神社、大地主神は字鳥巣の地主神社に鎮座を、大正5年合祀、同一祭神は合併と同時に合霊(祠は北側の上段に有り)。社説に曰く、創立年代不詳なるも、地方の古牡にして古老の口碑に筑後守道公卿(道君首名)の時代、和銅3年(710)多加能里(竹野)の栗木尾山(麓が現在地)に鎮座し給ふと。
摂社 四柱神社(八十国魂神、宮地嶽神、浅間之神、地主神)
末社 稲荷神社(倉稲魂神)
※八十国魂神社は天照女神、大幡主(大国魂神)を祀ります。
※宮地嶽神社は勝頼大神(大幡主)、勝村大神(天照女神=勝村姫=勝浦姫)を祀ります。
八女立花の阿蘇神社 福岡県八女市立花町谷川1464
祭神:健磐龍命(阿蘇津彦命)、阿蘇津姫命、少彦名神
地主神社 祭神:大国主命、天児屋根命、住吉三神
由緒:筑後国黒木の猫尾城主黒木左近大夫親実の弟黒木親元は谷川城主(すぐ北東の山)で、母が菊池肥後守の息女であったので、永正3年(1506) 肥後国阿蘇神仕の神爾(鏡と剣)を請け、この地に祀ったものである。天正年間、大友氏と龍造寺氏との争いで兵火にあい、地主神社と同じく焼失してこの地に移された。このように二神社を祀り、拝殿が合併されているものは全国的にも珍しいといわれる。
筑後乃国阿蘇神社 福岡県みやま市高田町海津1642
祭神:健磐龍命、阿蘇津比売命含む阿蘇十二神
由緒:当社創建の恵良惟澄(後の阿蘇大宮司・阿蘇惟澄)が阿蘇筑後守惟澄と名乗っていたことから、筑後乃国阿蘇神社と称す。古宮は早鷹宮という。
南北朝時代、延元元年(1336)、南朝方の阿蘇の大宮司・阿蘇惟直と義弟の恵良惟澄たちは、多々良が浜(現福岡市東区)にて大敗。惟直は義弟の恵良惟澄に大太刀を託して自刃。
宮園城の城主・大木貞久は、惟澄の傷が癒えるまで城内に留まらせ、貞久は「貴方の郷、阿蘇の大明神を分霊して、ここ海津古川の丘陵に祀られよ」と進言し、惟澄は海津古川の地に阿蘇神社(早鷹宮)を創立。惟澄は後に筑後守に任命され、晩年は肥後国阿蘇神社の大宮司に。
元和8年(1622)、立花藩家老小野和泉守の命により社殿並びに神殿が寄進、現在の場所に早鷹宮より阿蘇神社として分霊される。
早鷹宮 福岡県みやま市高田町海津(古川)209
祭神:健磐龍命、阿蘇津比売命含む阿蘇十二神
阿蘇神社の祭神は健磐龍命(阿蘇津彦命)と阿蘇津姫命の夫婦神を基本としています。
そして、この二柱は「火の神」「水の神」とされ、阿蘇山の火山と伏流水の湧水を象徴されているようです。阿蘇津彦と阿蘇津姫の名は、火神の天照大神(正八幡大幡主)と水神の瀬織津姫(天照女神)が隠されています。(No.257)
小郡市干潟の阿蘇神社、朝倉市杷木の阿蘇神社、田主丸町竹野の阿蘇神社の摂社、合祀社は天照女神と大幡主を祀ります。
福岡市片江の阿蘇神社、みやま市高田の阿蘇神社は、南朝方の菊池一族が創立に関わっているようです。菊池氏の紋章は「並び鷹羽」で、阿蘇氏の紋章「違い鷹羽」を引き継いでいますが、本来の菊池氏の紋章は「日足紋」で、天照女神と大幡主に因みます。
筑後乃国阿蘇神社(高田町海津)の南の瀬高町太神(古島)には、三宅得許が創立した長島大神宮があります。社紋は八日足紋(やつひあしもん)です。日足紋は、草野氏、龍造寺氏、大幡主に関係します
長島大神宮 福岡県みやま市瀬高町太神(古島)2011
祭神 天照大神
筑紫三宅得許(つくしのみやけのむらじとくこ)は663年白村江戦いで捕虜となり、684年(天武13年)猪使連子首(いつかいのむらじこびと)と共に、遣唐留学生であった土師宿禰甥(はじのすくねおい)・白猪史宝然(しらいのふびとほね)らと共に、新羅経由で帰国しています。その三宅連得許は、福岡県みやま市瀬高町古島で、長島大神宮を奉祀しています。
また、三宅氏は壬申の乱(672年)では宗像氏とともに天武天皇方についています。(この時期の三宅得許は虜囚中です)
長島(おさじま)地区には物部田中神を祀る「田中の宮」があります。「田中の宮」は正光土木事務所の裏庭、田中氏個人宅の庭に鎮座です。「田中の宮」と長島大神宮の中間に釣殿宮があり、境内社「西の宮」に物部阿志賀野神が祀られています。
■火の神
火の神は、九州では「埴安彦」、櫛田神社の祭神「大幡主」であり、伊勢外宮の祭神です。現世では那国(奴国)の王様です。
大幡主は多くの神名、通称名、尊称を持っておられます。
国常立神(くにとこたちのかみ)
神皇産霊神(かみむすびのかみ)
天之御中主(あめのみなかぬし)
大地主神(おおとこぬしのかみ)
土御祖神(つちみおやのかみ)
埴安彦(神)(はにやすひこ)
正八幡神(しょうはちまんしん)
大若子(おおわくこ だいじゃこ) 博多櫛田神社の祭神名
塩土老翁(しおつちのおじ)
大海神(おおわたつみのかみ)
速玉男神(はやたまおのかみ 熊野大神)
倭大国魂神(わのおおくにたまのかみ)
白日別神(しらひわけのかみ 筑紫大神)
玉手見命(たまてみのみこと)
稲佐神(いなさのかみ 伊奈佐神)
奴(那)国王(なこくおう)
安寧天皇(あんねいてんのう)
磯城津彦(しきつひこ)
まだ、他にありますが、よく見受けする祭神名は
神皇産霊神、天之御中主神、埴安彦(神)、正八幡神、熊野権現の速玉男神でしょうか。
天之御中主神は、以前、「女神=白山姫」と教え込まれましたが、熊本県の八代神社(妙見宮)を訪問し、さらに神社巡りを重ねるごとに、天之御中主神は男神である、と結論に至りました。
白山姫は瀬織津姫であり、天照女神です。
そして、出雲大社(杵築大社)の祭神である「大国主」は尊称であり、名を明かさない神と言えます。本来の神名は大穴持命であり、「大幡主」と同一神であることがわかりました。
出雲大社は古代より杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていましたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称されました。
大国主の別称
大穴牟遅神(おおあなむぢ)
大穴持命(おおあなもち、『出雲国風土記』での表記』)
大汝命(おおなむち、『播磨国風土記』での表記)
大名持神(おおなもち)誕生後の名。
国作大己貴命(くにつくりおおなむち-)祝詞『大国神甲子祝詞』
八千矛神(やちほこ)沼河比売との物語での名
大国魂神(おおくにたま)各地の神社で同一視される
杵築大神(きづきのおおかみ)
大己貴命(おおなむち)
大国主神社
大国主神社の社号を持つ神社は、福岡県では岡垣町手野が唯一です。
戦前、大牟田市に一社ありましたが、不明です。大国主は正八幡大幡主です。
大国主神社 福岡県遠賀郡岡垣町手野(ての)1306
大国主神社は岡垣町の「手野(ての)」に鎮座です。同じ地名「手野」に鎮座される有名な神社が阿蘇にあります。
国造神社(北宮) 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮
雨宮媛の伝説には乾珠(干珠)・満珠の話が出てきます。
すると、干珠・満珠の説話は神功皇后の伝説でなく、天照女神の話となりますか?
※六角灯籠、本殿の向拝の柱は四本柱で高良神社造り、天照女神と大幡主が祭神
国造神社の一ノ宮・速瓶玉命は大山咋=大幡主
国造神社のニノ宮・雨宮媛は水神で天照女神
雨宮媛は郡浦神社主祭神の蒲智比咩(海神で女神)と同一神
高橋神は天照女神であり水神、火宮神は速日神の大幡主で火神です
速日神は先頭に「饒」が付けば「ニギハヤヒ」です
神社由緒では、高橋神と火宮神は速瓶玉命と雨宮媛の子で、親子とされますが、祭神は二組の夫婦神であり、異名同一の夫婦神です。
■水の神と天照女神
女神の「水の神」は罔象女神(みずはのめのかみ)として、筑後川筋ではよく見かけます。
瀬織津姫も水神です。そして、瀬織津姫は天照女神(大日孁尊)です。
水の神=瀬織津姫(天照女神)=罔象女神=淀姫=豊姫=阿蘇津姫
=雨宮姫=蒲地姫
水の神=水分の神=天照女神=速秋津日命(祓戸の神)=萬播豊秋津姫
瀬織津姫の異名同神として、
福岡、佐賀、長崎では「淀姫」「豊姫」として、
熊本では「阿蘇津姫」「雨宮姫」「蒲地姫」として祀られていることになります。
天照女神は月姫
天照女神は月姫であり、天照女神が輝夜姫(かぐやひめ)のモデルとなっています。
竹取物語(かぐや姫)の作者は紀貫之であるという説があります。紀氏は姫氏であり、紀氏の氏神は瀬織津姫=天照女神です。5人の貴公子が「かぐや姫」に求婚する場面で、貴公子のモデルとなった人物は、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)、大納言・大伴御行(おおとものみゆき)、中納言・石上麻呂(いそのかみのまろ)の3人が実在の人物とされ、他に、石作皇子、車持皇子がいます。
さらに、大幡主は月読命であり、神紋は五三桐紋、また、大幡主は天照男神であり(=彦火火出見命)、天照大神と称したようです。神武天皇の別名は「彦火火出見」です。
大幡主とヒミコ(天照女神)は天照夫婦神ということになります。名実共に、伊勢神宮の天照夫婦神ということになります。
太田亮『高良山史』の中で、高良大社の縁起として高良玉垂宮本地垂迹の記述があります。
高良大社の祭神、
左宮 一殿 八幡大菩薩 本地釈迦牟尼仏
中宮 三殿 玉垂宮大菩薩 御本地得大勢至菩薩、或説十一面云々
右宮 二殿 住吉大明神 本地阿弥陀如来、或虚空蔵菩薩
ここでは玉垂宮大菩薩(高良玉垂命)の本地は勢至菩薩で、後に十一面観音に入れ替わっています。勢至菩薩は月天子と同体とされ、玉垂命(=天照女神)はお月様(月姫)となります。
天照女神が月姫であることは、福岡県小郡市松崎の神社で理解できます。
■月姫を祀る倉稲魂神社がある福岡県小郡市の松崎城跡
月姫を祀る倉稲魂神社(うかのみたま)は、現在でも小郡市松崎城跡北にあります。
倉稲魂神社の創立は、寛文8年(1668)に松崎藩主有馬豊範が城の鎮護として京都の伏見稲荷神社(豊受姫)から分霊を勧請しています。貞享元年(1684)豊範公は失脚し、松崎藩は幕府の天領となり代官所が置かれます。元禄2年(1689)、小郡市下岩田念島にあった氏神社の天満神社を、当時の代官服部六左衛門が松崎宿の鎮守として、松崎宿の北側筒ヶ池(現在の大添池の東側)字古原に遷しています。
大正4年(1915)、古原の天満神社、城山の愛宕神社(軻遇突智神)は、倉稲魂神社の境内に合併され、社号を天満神社として、三井高校のすぐ北側に三社が配置されています。現在、天満神社本殿の北に素戔嗚神社(祇園神社)がありますが、ここに、当初の倉稲魂神社があったようです。
倉稲魂神社 福岡県小郡市松崎704
祭神:倉稲魂命(うかのみたま)
倉稲魂神社(稲荷神社)に宮地嶽神社の三笠松紋が打ってあります。祭神の倉稲魂命は天照女神となります。稲荷神社の主祭神は天照女神であり、朱が使われるはずです。朱は天照女神であり、白または黒は大幡主であり、社殿に朱の柱に白(黒)の壁は天照女神と大幡主を祀ることになります。
境内には、倉稲魂神社、天満神社(天満稲荷神社)、愛宕神社、素戔嗚神社が配置されています。小郡市史によると、倉稲魂神社は別名:月姫稲荷神社となっており、かつてはここに月姫大明神を祀っていたことになります。
天満神社が現在の境内では中心的存在ですが、大正の合祀前までは、倉稲魂神社が中心的存在です。
天満神社(天満稲荷神社) 福岡県小郡市松崎704
祭神:豊受姫命、菅原神、軻遇突智神
菅原神は字古原に村社天満神社として、軻遇突智神は字城山に無格社愛宕神社として祭祀ありしを、大正4年(1915)、字城山無格社倉稲魂神社に合併の上、村社天満神社と変更。
豊受姫命(天照女神)は倉稲魂神社の祭神、軻遇突智神(大幡主)は愛宕神社の祭神。天満神社、素戔嗚神社(祇園神社)の祭神は大幡主です。天満神社の本殿屋根棟には「梅鉢紋」と「三笠松紋」が打ってあります。素戔嗚神社の右横の空き地にはもう一社の祠があったと想定されます。恐らく、天照女神のものでしょう。鳥居の前に七夕夫婦神の天橋立(太鼓橋)があり、鳥居の左横には「ありま藤」の藤棚があります。
※月姫大明神
天満稲荷神社の南隣が県立三井高校です。その高校の東隣の民家に稲荷神社(倉稲魂神社)の月姫大明神社があります。「石■家」であり、名前からしても納得です。居宅が神殿になっていて、高校の通りから朱色の家屋の後ろ姿が見れ、家屋が神殿を兼ねておられます。
松崎の人は、7月頃の夏越の祓には、「お汐井取り」と「獅子舞」の行事があり、氏神の高良山玉垂宮に詣で、帰りに頓宮(味清水御井神社)の朝妻に下り、「朝妻の井」より小石を拾ふて持ち帰り、これを小桶の水につけ、その水を聖水となし、杉の小枝で松崎の各家に振り歩く、という。
高良玉垂命は月姫大明神と同じく月神であり、朝妻の井には水神・水波能売命=天照女神=水神を祀ります。
味水御井神社 福岡県久留米市御井朝妻1丁目5
祭神:水波能売命
味(清)水御井神社(うまし みず みいじんじゃ)の古宮は水沼君の高良玉垂命神社で、水沼君が福岡県北野町赤司の止誉比咩神社の祭神と益影井(蚊田の渟名井)の霊水を御井の湧水に移し、高良玉垂命神社を創立されました。この高良玉垂命神社が後の高良大社です。玉垂命が天照女神であり、高良大神・八幡大神が大幡主です。
赤司の八幡神社 福岡県久留米市北野町赤司1765
赤司の八幡神社は、延長2年(924)石清水八幡宮より高良宮を勧請し、戦国時代末に社号を豊比咩神社から八幡神社に変更されます
私の八重亀天満宮の夏越の祓の茅の輪くぐりでは、聖水の塩水を杉の小枝で、茅の輪をくぐる参拝人に振りそそぎます。
味(清)水御井神社の湧水は清水であり、霊水なのです。
月読神社 福岡県久留米市田主丸町
田主丸町には二社の月読神社があり、それぞれの祭神名が異なりますが、二田の月読神社が元宮とされます。天照女神は月姫であり月夜見命で二田の月読神社の祭神、大幡主は月読命で東町の月読神社の祭神です。月読命は新月、月弓命は半月、月夜見命は満月を象徴。
これらからして、玉垂命=天照女神=月姫=水神 が成り立つのです。
■阿蘇神社の健磐龍命(阿蘇都彦)と阿蘇都比咩命
現在の阿蘇神社の祭神は、健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神、比咩御子神、彦御子神、若比咩神、新彦神、新比咩神、若彦神、彌比咩神、速瓶玉神、金凝神と十二神を祀っていますが、10世紀当時は、健磐龍命、阿蘇都比咩命、國龍神の三神だったようです。(『阿蘇神社』阿蘇惟之)
平安時代の永長元年(1096)、阿蘇神社の境内に神護寺(神宮寺)の青龍寺が建てられて、現在は近くの民家に移転しています。その本尊の十一面観音は天照女神であり、大幡主の薬師如来は不明です。本地仏からすると、阿蘇神社の主祭神の健磐龍命は大幡主であり、阿蘇都比咩命は瀬織津姫であり、天照女神となるのです。
阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
祭神:健磐龍命(阿蘇都彦)、阿蘇都比咩命、国龍神(吉見神・彦八井神)、比咩御子神 他
国龍神(吉見神・彦八井神)=大幡主
比咩御子神=天照女神=瀬織津姫
天台宗 金剛山 青龍寺 熊本県阿蘇市一の宮町宮地165
本尊:十一面観音菩薩
天台宗 阿蘇山・西巌殿寺 熊本県阿蘇市黒川1114
本尊:十一面観音菩薩
西巌殿寺(さいがんでんじ)のおこりは、神亀3年(726)にさかのぼります。
当時、阿蘇信仰の中心は「阿蘇のお池」と呼ばれる噴火口の湯溜まり(神霊池)でした。(中略)そのような意味で、火を噴く山・阿蘇も当時の朝廷から関心を寄せられておりました。
そこで、神の住む阿蘇の湯溜まりのもとで修行せんと、天竺から来朝していた最栄読師という僧侶が阿蘇山にやって来ます。読師は噴火口めざして山を登り、修行に励みました。火口から中を覗き込んでみると、そこには目を覆うような地獄の世界が広がっているではありませんか。(中略)そのとき目の前に九つの頭を持つ大きな龍が天空をついて現れ、「火口の中を見てみなさい」と読師に告げました。その龍は阿蘇神社の祭神、阿蘇津姫の変化した姿でした。(中略)それは慈愛に満ちた十一面観世音菩薩の姿でもあったのです。あまりに尊いその姿に心打たれた読師は、登山途中見つけた霊木に心を込めて十一面観世音菩薩お姿を一心不乱に彫りました。そして火口の西の洞窟(巌殿)に安置してご本尊として祀り、毎日法華経を読んで修行に励んだのです。人々は、そこを西の巌殿の寺と呼び、崇めました。これが、西巌殿寺の寺号の由来です。(公式ホームページ)
http://www.saigandenji.com/history.html
※阿蘇山上神社
阿蘇山頂の火口湯溜まりは、古より「神霊池」とよばれ、阿蘇神のご神体とされてきました。山上神社は火口を遥拝する拝殿のみです。歴史的に麓の阿蘇神社「下宮」対して「上宮」とよばれてきました。
阿蘇都比咩神は中岳の神霊池の神で、神霊池の涸渇や沸騰は、国家的な災いをもたらすものとして畏怖され、朝廷は火口に変化がある毎に平穏祈願の令を出したという。火口の変異は太宰府を通じて都の朝廷に報告され、阿蘇神の評価を大きく高めました。
九州の一火山にすぎない阿蘇の火口の変化が国家的な災いをもたらすという。中岳の神霊池の神は阿蘇都比咩神すなわち天照女神であったからです。火口の異変は天照女神の怒りの象徴だったのです。そして、阿蘇都比咩神の本地仏が十一面観音だったのです。
阿蘇神の基本は、火の神の健磐龍(大幡主)と水の神の阿蘇津姫(天照女神)です。
※蒲池媛(かまちひめ)=雨宮媛
筑後国屈指の名族である蒲池氏、その姫君を蒲池媛(かまちひめ)という。
阿蘇神社関係の古文書によると、阿蘇氏の祖とされる多氏は神八井耳命(かむやいみみ)の子孫とされるが、神八井耳命の孫の速瓶玉命(はやみたま)の妃が郡浦神社の主神である蒲池媛(かまちひめ)であるという。
郡浦神社の祭神は蒲智比咩命(蒲池姫)、雨宮媛命は蒲池姫と同神となります。
この記事の結論です。
火の神=健磐龍=大歳神=年祢神=国龍神=草部吉見神=天照男神=大幡主
水の神=阿蘇津姫=瀬織津姫=罔象女神=淀姫=豊姫=雨宮姫
=蒲地姫=天照女神
「貴 むち」は宗廟神社の意味で、神名の後につけるものではないのですが、使用することとします。「貴 むち」の称号を持つ神名は、道主貴(みちぬしむち)、大巳貴(おおなむち)、大日孁貴(おおひるめむち)があります。これらの尊称は天照女神の尊称です。「道主」は西海道主すなわち倭の主であり、「大巳」は大蛇であり、蛇神です。大日孁は大日女(おおひるめ)とも書きます。
大日子(おおひるこ)=蛭子=えびす=大幡主となります。さらに「おおなむち」の表記に「大己貴」がありますが、これは土神で、大幡主です。
福岡県筑前町の大己神社は「大巳神社」の表記も併用されます。大幡主と天照女神を祀るからです。(メッセージ26)
大巳神社=天照・蛇神、水神、龍神(くらおかみ)
大己神社=大幡・土神、火神、龍神(たかおかみ)
己は土(つちのと)ですから土の神になります。
※打ち出の小槌
大巳神社には、許黄玉のシンボル「打ち出の小槌」の彫刻を見かけることがあります。
「打ち出の小槌」は大国様の専用シンボルではありません。許黄玉から来る天照女神のシンボルです。すると、大国様、大黒様、えびす様は、本来は女神だったのでしょうか?いつからか、男女神が入れ替わったことになります。(No.250)
福岡県北野町赤司の八幡神社(止誉比咩神社)の参道手水舎横には、えびす様(天照女神)と猿田彦神(大幡主)が並んで祀られています。
■参考資料
アメブロ「瀬織津姫と消された男系太陽神」
サブタイトル「ヤマトに消された一対の男神・女神を調べています」
URL:https://seorituhime1.blog.fc2.com/
■No.01 2021/12/19 健磐龍命と宗像神
阿蘇神社 福岡県小郡市干潟594-1
祭神:健磐龍命
合祀:素盞嗚尊、菅原神、(多紀理姫命・市杵島姫命・多紀都姫命)、天照御魂神
熊本の阿蘇関係神社では健磐龍命(阿蘇津彦)と阿蘇津姫が一緒に祀られることが多いのですが、この社では合祀とはいえ、何故か宗像神(宗像三女神、天照女神)が祭られています。
宮地嶽神社は神功皇后を祀ることが多かったのですが、実は宗像神を祀っていたことが分かり、それは収穫でした。
八女の星野村には麻生池、麻生神社、中島弁財天社があり、麻生(あそう)は阿蘇のことではないか、実際に、阿蘇の神・健磐龍命(阿蘇津彦)が祀られています。
星野の麻生神社 福岡県八女市星野村10874
祭神:建磐龍命、柿本人麿 由緒:不詳
境内社:中島弁財天社 祭神:市杵島姫命
ここでも阿蘇津姫の代わりに宗像神(市杵島姫)が出てきます。健磐龍命は阿蘇津姫と一緒に祀られるケースがほとんどです。市杵島姫命を祀ると言うことは、阿蘇津姫と市杵島姫は同神の可能性があります。(※阿蘇津姫=市杵島姫=天照女神)
■No.04 2021/11/16 高良玉垂命(瀬織津姫)
大善寺玉垂宮 福岡県久留米市大善寺町宮本1463−1
祭神:玉垂命、八幡大神、住吉大神
赤司八幡宮 福岡県久留米市北野町赤司1765
祭神:道主貴(三女神)
止誉比咩命・與止比咩命・息長足姫命
八幡大神・高良大明神・住吉大明神
筑後国神名帳には「玉垂媛神」とあり、高良玉垂命は女神ということになります。
道主貴(宗像三女神)=豊姫(止誉比咩命)=高良玉垂命は与止姫(淀姫・與止日女命・與止比咩命)にもなります。『肥前国風土記逸文』には、欽明天皇の25年、肥前の国の佐嘉の郡に与止姫の神が鎮座なされた。一名豊姫、一名淀姫。
そして、佐賀の與止日女神社(別称:河上神社)に祀られる與止日女命は、和歌山県の川上神社に勧請され、本来の瀬織津姫命に戻ります。
川上神社 和歌山県田辺市上秋津1509
祭神:瀬織津姫命、速秋津姫命
由緒:天文16年(1547)、大阪河内の国野村郷の野村久太夫好久が、秋津の里に定住すると同時に佐賀県川上村の河上神社より、川中口の「右衛門平」に勧請したのが始まりと伝えられる。
高良大社 福岡県久留米市御井町1番地
祭神:高良玉垂命、八幡大神、住吉大神
筑後国神名帳にも「玉垂媛神」との記載があり、高良玉垂命は男神ではなく女神ということになります。その上、住吉の神と高良玉垂命(玉垂媛神)は深い関係にある神々のようです。まるで一対の男女神のように。
(※住吉大神=正八幡大幡主、高良玉垂命=天照女神=瀬織津姫)
■No.09 2021/11/27 撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神荒魂・瀬織津姫)
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀る神社
和布刈神社(旧・隼人社) 福岡県北九州市門司区門司3492
祭神:撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
日子穂々手見命、豊玉比賣命、鵜草葺不合命、安曇磯良神
この神社は、かつては「隼人社」を名乗っており、隼人が南九州だけではなく、北九州全域でも活動していたようだ。『肥前国風土記』にも「五島列島の海士は容姿が隼人に似ており、騎射を好み、言葉も俗人と異なっている」という記述がある。隼人は、阿多・大隅に居住したとされるが、その固定観念を覆す必要がある。
■No.14 2021/12/24 雨宮媛命(瀬織津姫)
雨宮神社、雨宮媛命を祀る神社は全国にありました。その名から明らかに水神だと分かります。
国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
御祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮
雨宮神社 熊本県熊本市東区健軍本町13
祭神:雨宮大神
雨宮神社 熊本県球磨郡相良村川辺5886
御祭神:天之水分神、国之水分神、久比邪持神(久比奢母智神)、高於加美神(高龗神)、舟玉命
雨宮神社 愛知県名古屋市中川区中郷二丁目164
祭神:高龗神、志那都比古神、天照皇大神
雨宮神社 滋賀県東近江市市子殿町443
祭神:素盞鳴尊(滋賀県神社庁ホームページより)
ヤマトの得意技、女神・瀬織津姫から男神に性転換されています。
磐上神社、雨宮神社 宮城県仙台市青葉区堤通雨宮町1-1
祭神:表筒男神、中筒男神、底筒男神
由緒:勧請年月不詳。
元、住吉大明神と称されていたが、荒廃もしていた。
明治維新の頃、磐上神社と改称し、明治25年現在地に移転に至る。
磐上神社は磐船神社(祭神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日命)を思い出させる神社名です。
磐上神社には住吉大神が三分身化され祀られているようです。一対の雨宮神社に祀られた神はヤマトに消された女神ということになります。
瀬織津姫は水神の性格から、ミズハノメ、クラオカミなどの水神名に変えられている。
(※瀬織津姫=水神=闇龗神=水波能売=天照女神)
■No.15 2021/12/26 蒲池姫(瀬織津姫)
「筑後屈指の名族」である蒲池氏。
阿蘇神社関係の古文書によると、阿蘇氏の祖とされる多氏は神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫とされるが、神八井耳命の孫の速瓶玉命(はやみたまのみこと)の奥方(妃神)が郡浦神社の主神である蒲池媛(かまちひめ)
郡浦神社 熊本県宇城市三角町郡浦2666
祭神:蒲智比咩命、健磐龍命、速瓶玉命、神武天皇
甲佐神社 熊本県上益城郡甲佐町上揚876
祭神:八井耳玉命、健磐龍命、蒲池媛命神、
日本磐余彦尊(神武天皇)、媛蹈鞴五十鈴媛命、猿田彦命
国造神社 熊本県阿蘇市一の宮町手野2100
御祭神:速瓶玉命・雨宮媛命、高橋神、火宮神
境内社:鯰宮
阿蘇郡誌にはこう書かれています。
国造神社 社格 県社
一の宮 国造速瓶玉命
二の宮 雨宮媛命 「速瓶玉命の妃 本宮は宇土郡郡浦神社なり」
郡浦神社の祭神は蒲智比咩命(蒲池姫)、雨宮媛命は蒲池姫と同神。
そうなると別記事で雨宮媛命=瀬織津姫だと分かりましたので、蒲池姫は瀬織津姫ということにもなります。(※雨宮姫=蒲池姫=瀬織津姫=天照女神)
■No.17 2021/12/27 阿蘇津姫(瀬織津姫)
阿蘇津姫を祀る主な神社
筑後国・阿蘇神社 福岡県みやま市高田町海津1642
祭神:健磐龍命、阿蘇津比売命
田主丸の阿蘇神社 福岡県久留米市田主丸町地徳2808
祭神:健磐龍命、阿蘇都比咩命
地主神社・阿蘇神社 福岡県八女市立花町谷川1461
祭神:地主神社(大国主命、天児屋根命、三筒男命)
阿蘇神社(健磐龍命、阿蘇津彦命、阿蘇津姫命、少彦名神)
太刀緒阿蘇神社 熊本県玉名郡和水町大田黒1147
祭神:建磐龍神、阿蘇都比咩神
小島阿蘇神社 熊本県熊本市西区小島3丁目5 御坊山頂
祭神:阿蘇津媛命
健軍神社 熊本県熊本市東区健軍本町13−1
祭神:健磐龍命、天御中主神、仲津彦神、仲津姫神
神渟名川耳命(綏靖天皇)、阿蘇津姫命、草部吉見神、速甕玉命
彦御子命、比咩御子命、新彦命、若比咩命、若比古命、新比売命、弥比咩命
草部吉見神社 熊本県阿蘇郡高森町草部2175
祭神:日子八井命、比咩御子命
天彦命、天比咩命、阿蘇都彦命、阿蘇都比咩命、新彦命、彌比咩命
速瓶玉命、若彦命、新比咩命、彦御子命
阿蘇神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083−1
祭神:健磐龍命(阿蘇都彦)、阿蘇都比咩命、国龍神(吉見神・彦八井神)、比咩御子神
彦御子神(阿蘇惟人)、若比咩神、新彦神、新比咩神
若彦神、弥比咩神、速瓶玉神(国造神)、金凝神
阿蘇津姫と一対で祀られる健磐龍命は、過去の書き込みから住吉大神のようです。
住吉大神は雨宮媛命(瀬織津姫)と一対で祀られてますから、当然ながら健磐龍命と雨宮媛命(瀬織津姫)は一対神
阿蘇を中心として健磐龍命と一対で祀られる阿蘇津姫の正体は瀬織津姫と言うことになります。
(※健磐龍= 住吉大神=正八幡大幡主)
(※阿蘇津姫=瀬織津姫=天照女神)
■No.19 2022/01/10 毘沙門天と水神
高良山山頂近くに高良大社の奥宮である「水分神社」があります。そこには毘沙門天がまつられています。
水分神社 福岡県久留米市御井町
祭神:毘沙門天、水分神
高良山から近い北野町の毘沙門天神社でも、毘沙門天と水分神(水神)の二神がまつられていました。
毘沙門天神社 福岡県久留米市北野町十郎丸1591
祭神:毘沙門天、水神
同じ「水分神社」でも、奈良では、水分神は瀬織津姫の名でまつられています。
水分神社 奈良県吉野郡東吉野村大字平野1091
祭神:瀬織津姫
毘沙門天の方にはどんな地主神が隠されているのだろう。
天台宗 石垣山 観音寺 福岡県久留米市田主丸町石垣271ー1
本尊:十一面観世音菩薩を内蔵した聖観世音菩薩
本堂には毘沙門天像が安置されている。
創建 白鳳二年(673)
673年といえば「壬申の乱」の翌年、天武天皇即位の年である。
※毘沙門天の垂迹は大幡主です
■No.28 2022/01/30 御手洗水神と日子神
阿蘇神社の西側約3キロ離れた役犬原地区の湧水群の側に霜神社がある。阿蘇の「火焚き神事」が行われる重要な神社である。
霜神社 熊本県阿蘇市役犬原9
祭神 鬼八
現地の神楽殿掲示版には祭神名が書かれ、
霜宮 大御中主命と高皇産霊命 の文字が大きく、
他の祭神は小さな文字で書いてある。
国狭槌命 山の神 =正八幡大幡主
岡象女命 水の神 =天照女神
軻遇突智命 火の神 =正八幡大幡主
旬旬逎馳命 木の神
金山彦命 金山の神
速秋津日命 水分の神=天照女神=萬播豊秋津姫
垣山姫命 山の神 =天照女神
神殿に二躰の神像ありと付け加えてある。
主祭神と思われる大御中主命(=天御中主)は愛知の石座神社でもまつられている。
愛知の石座神社 愛知県新城市牛倉菅沼30
祭神:天之御中主尊
別の石座神社では「天火明命」をまつる。
石座神社 愛知県岡崎市石原町宮ノ入3
祭神:天火明命
天火明命の正式名称は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」
岡象女命という水神名の元神は「瀬織津姫」
霜神社には「御手洗水神」をまつる末社「御手洗社」があり、それは宮崎県高千穂でもまつられ、近くには「瀬織津姫神社」があります。
御手洗水神社 宮崎県西臼杵郡日之影町七折
阿蘇山からの水は五ヶ瀬川とともに大野川へも流れていき東の別府湾、瀬戸内海へと注がれます。その大野川の下流の両側にも御手洗神社と阿蘇神社があります。
御手洗神社 大分県大分市松岡6033
阿蘇神社 大分県大分市宮河内298
霜神社の由緒を読んでみます。
(前略)按に此の社は北斗七星祭られしと傳ふれども、我が国の上古は星を祭れることなし。星を祭れるは漢上の風の移れるなり。
後世齊内親王降り座せし時京畿伊勢近江等の(中略)
豊後国直入郡建男霜凝日子神社を昔より阿蘇末社と云えば、此社につきて、由緒あるにはあらざるかとは三位惟馨大宮司の説なりと。
因に、建男霜凝日子神社は今の九住神社のことにして祖母山上にも之を祀れり。是も阿蘇大神、風水の神を祭られしと、同様農耕を重んぜしむる上より、早霜の害を除かんとの神事に起因せるものならんか(後略)
建男霜凝日子神社には関係社が複数あります。
健男霜凝日子神社(上宮) 大分県竹田市神原
祖母山頂上 祭神:嫗嶽大明神
健男霜凝日子神社神幸所(里宮) 大分県竹田市神原2447
健男霜凝日子神社(下宮) 大分県竹田市神原1822
穴森神社 大分県竹田市大字神原1432
祭神:嫗嶽大明神
近くには神福寺薬師堂もあります。
薬師堂にまつる薬師如来の裏には消された男神が隠れています。
同じ『日子神社』が英彦山神社から勧請された福岡県小郡市の日子神社、小郡市唯一の山、花立山の中腹に鎮座されている。
(※健男霜凝日子=霜宮=天御中主=正八幡大幡主)
■No.32 2022/02/09 住吉神社と薬師如来
博多湾から那珂川に入り、川筋をたどっていくと櫛田神社が見える。
その先には住吉神社、さらには曰佐住吉神社、さらにたどっていけば、住吉神社の総本宮といわれる現人神社にたどりつく。
住吉神社 福岡県福岡市住吉町大字若久字住吉大明神
(現・博多区住吉3丁目)
祭神:(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、天照皇大神、息長足姫命
宗像女神が三分神化されたように、住吉大神もまた三分神化されている。
現人神社 福岡県那珂川市仲3丁目6-20
祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命
境内には住吉三神誕生之宮の石碑あり
現人神社は福岡県田川郡香春町や熊本市にもある。
現人神社(お申様) 福岡県田川郡香春町採銅所1797
祭神 都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)・原田五郎義種尊
意富加羅国(=大加羅・大加耶)の王子をまつる。
現人神社 熊本県熊本市中央区出水3丁目2
祭神 現人大神 地元では火の神さんと呼ばれる。
住吉神社の話に戻るが
住吉神社の神護寺(神宮寺)は『松花山円福寺』だった。
神社関係者に確認すると境内にあった円福寺はおそらく廃寺になっただろうと。
櫛田神社の神護寺(神宮寺)と同じケースで、
「本尊を薬師如来から庚申尊天へと変えるならば寺の存続を許そう」
明治の神仏分離の際に明治政府から、このような圧力があったことは大体の想像はつく。
しかし、円福寺は断固拒否し廃寺となったのだろう。
本尊の薬師如来は円福寺から東光院に移された。
薬王密寺東光院跡 福岡県福岡市博多区吉塚3丁目20番37号
寺伝によると、大同元年(806)最澄により天台宗の道場として開山。正保4年(1647)には、福岡藩2代藩主黒田忠之により密寺東光院と合併され、真言宗薬王密寺東光院となった。
今は廃寺となっている。
本尊の薬師如来は福岡市美術館に移管されている。
■No.33 2022/02/11 現人神社と阿蘇隈社
博多湾から那珂川に入ったところに櫛田神社浜宮がある。その先には中州があり、左方向の大黒橋をくぐって博多川に入れば櫛田神社がある。右方向の弁天橋をくぐって那珂川を真っすぐいけば住吉神社がある。博多川は再び那珂川に合流する。弁天橋の弁天とは弁財天のことで、宗像三女神の市杵嶋姫命と神仏習合したのが弁財天である。
那珂川をたどっていけば美野島地区には弁財天宮、厳島神社、庚申尊天
塩原地区には淀姫稲荷社がある。淀姫は『瀬織津姫』である。
曰佐地区には曰佐住吉神社、八十枉津日神(=瀬織津姫)をまつる警弥郷警固神社、市杵嶋姫命をまつる脊振神社、さらに進んでいけば那珂川市の『現人神社』、住吉神社の総本宮といわれるのが現人神社である。
現人神社 福岡県筑紫郡安徳村大字仲(現・那珂川市仲3丁目6-20)
祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命
さらに川沿いをたどると裂田神社、淀姫(=瀬織津姫)をまつる伏見宮がある。
裂田神社 福岡県那珂川市安徳11
祭神 息長帯比売命(神功皇后)
神社そばには裂田の溝という日本最古の農業用水路があります。
この話で思い浮かべたのが、阿蘇大神・健磐龍命(たけいわたつのみこと)が阿蘇の外輪山を蹴破って、湖の水を抜き、土地を開拓したという言い伝え。
私は現人神社と熊本や阿蘇の関係に注目しているのだが、香春岳三山がある田川郡香春町、そこには金辺川が流れ、川沿いにいくつかの興味深い神社が立ち並んでいる。
下流から順番にいくと香春神社、貴船神社があり、その先には阿曽隈社、清祀神社、古宮八幡神社、現人神社(お申様)がある。
『阿曽隈社』は古宮八幡神社の元宮ともされる場所で、石祠と『阿蘇隈遺跡』と刻まれた石柱だけある。祭神不詳。阿蘇と関係が深そうだ。阿蘇と言えば阿蘇神社の神紋は『鷹の羽紋』である。上流には現人神社(お申様)がある。
現人神社(お申様) 福岡県田川郡香春町採銅所1797
祭神 都怒我阿羅斯等命(ツヌガアラシトノミコト)・原田五郎義種尊
意富加羅国(=大加羅・大加耶)の王子をまつる。「お申様」とも呼ばれ「猿田彦大神」の石柱があることから、猿田彦(猿田日子)大神=日神=火神=太陽神もまつる。
現人神社は熊本市内にも鎮座する。
現人神社 熊本県熊本市中央区出水3丁目2
祭神 現人大神 地元では『火の神さん』と呼ばれる。
■No.37 2022/02/26 阿蘇津姫から健磐龍命への入れ替え
阿蘇の山岳信仰においては、
阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏は十一面観音とされているようです。
このことは、わたしにとって強い違和感を感じる。
阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏は薬師如来、もしくは大日如来であり、
阿蘇比咩神(阿蘇津姫)の本地仏が十一面観音であろう。
違和感を解消するために調べていると、柳田快明氏の『中世の阿蘇社と阿蘇氏』の中の記述が目に止まったので読んでみます。
「阿蘇の神々の原形は、阿蘇火山を取り巻く広い地域での火山神信仰と、阿蘇の開拓に関わった人々の祖先神が合体して生まれた。阿蘇品保夫氏は、とりわけ『日本書紀』が記す景行天皇の巡行説話に登場する阿蘇都彦・阿蘇都媛の二神を重視する。(中略)健磐龍命神と阿蘇比咩神の関係について、阿蘇品氏は興味深い所説を展開する。
現在、阿蘇高岳の神は阿蘇比咩神と理解されており、高岳という名称が示すように、10数メートルの大石柱がそそり立っている。
阿蘇品氏によれば、これが「竪岩立つ」=健磐龍の原形だという。
阿蘇比咩神はもともと中岳の神霊池の神だったが、『日本後紀』や『続日本後紀』にみられるように、神霊池の涸渇や沸騰は、国家的な災いをもたらすものとして畏怖され、たびたび祈祷などがおこなわれた。
こうした神霊池の凶兆を重視した人々は神霊池の神を阿蘇比咩神から健磐龍命に入れ替えていく。
そして、『続日本後紀』も記すように、「健磐龍命神霊池、涸渇三十丈」と表現されるようになったというのである。」
阿蘇比咩神(阿蘇津姫)がもともと中岳の神霊池の神であり、本地仏が十一面観音だった。
神霊池の神を阿蘇比咩神(阿蘇津姫)から健磐龍命に入れ替え、いつのまにか阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏が十一面観音と伝えられるようになった。
阿蘇品氏の説に従えば辻褄は合う。ただ、神霊池の凶兆を重視し神霊池の神を阿蘇比咩神(阿蘇津姫)から健磐龍命に入れ替えたのはいったい誰なのかという問いは残る。
そして、阿蘇大明神(健磐龍命)の本地仏はどこにいったのだろうか?
■No.40 2022/03/05 火の国・水の国の「天照大神」と「瀬織津姫」
阿蘇神社の北東約300メートル先にある『年祢神社』
年祢神社 熊本県阿蘇市一の宮町宮地
祭神 国龍神
年祢神社にまつられるので国龍神は年祢神でもある。
その国龍神(年祢神)は以下の神社で分かるように大年神でもあるようだ。
室園年禰神社 熊本県熊本市中央区室園町17-24
祭神 大年神(オオトシノカミ)、若年神
小山御領神社(歳袮神社) 熊本県熊本市東区御領5-4-3
祭神 大年神、御年神(ミドシノカミ)、若年神
さらには、国龍神(年祢神・大年(歳)神)に関する興味深い話がある。
菊池展明『エミシの国の女神』
「筑紫氏『アマテラスの誕生』には、「とびあがるほどびっくりするはなし」として、アマテラスの前の神は「男性の蛇」であるが、伊雑宮の神もまた「蛇」であった伝承を載せている。その神の別名は大歳神と呼ばれていたことは『古事記』に記述がある。」
天照大神はもともと男神であり別名大歳神である。
火の国熊本の国龍神(年祢神・大年神)は源初の男系『天照大神』ということになる。
阿蘇の白川水源地に、阿蘇神社の末社、白川吉見神社がある。
白川吉見神社 熊本県阿蘇郡南阿蘇村白川2040
祭神 国龍大明神と罔象女命
国龍大明神とは、草部吉見神社の『国龍神』のことである。
国龍神は別名『草部吉見神』と呼ばれ、年祢神、大年神とも呼ばれる。
その正体は源初の太陽神、男系『天照大神』である。その『天照大神』と一緒にまつられているのが罔象女命という水神名で隠された『瀬織津姫』という太古の縄文の姫神なのである。
阿蘇から離れた宇土市にも大歳神社はある。
大歳神社 熊本県宇土市網津町馬門(まかど)
祭神 大歳神、石作神、豊玉姫
「石作神」という奇妙な名の神が挿入されているが、大歳神と豊玉姫の一対神であることが考えられる。男系天照大神(大歳神)と一対の瀬織津姫の別名が「豊玉姫」である。
大歳神社 熊本県宇城市不知火町松合744
祭神 豊受大神、大歳神、住吉大神 (※三神は正八幡大幡主の別名)
肥前国(佐賀・長崎)でまつられる「淀姫」もまた瀬織津姫である。
菊池郡大津町に淀姫をまつる神社がある。
平川淀姫神社 熊本県菊池郡大津町平川234
祭神 淀姫 比咩御子神 竹内宿禰
(※比咩御子神=瀬織律姫=天照女神)
当然ながら「豊玉姫」=「淀姫」
淀姫神社は佐賀県に多く分布し、淀姫(=与止日女・世田姫・豊玉姫)を祭神とする神社です。
ここの淀姫神社は『菊池郡神社誌』によると、戦国時代に創建されたそうです。
当時、この地域一帯は広く肥前の龍造寺勢力と豊後の大友勢力との対決の舞台となりました。
伝説も、ここを舞台に肥前の勢力と豊後・阿蘇との関わりを示しています。
9月の「願成祭」で子供相撲の奉納があります。11月の秋祭りには、平川合志神楽と浦安の舞が奉納されます。現在、地域の5つの地区が、交替で祭りのお世話をしています。また、一宇太鼓がここを拠点に活動しています。
瀬織津姫の異名同神として、
佐賀、長崎では「淀姫」が
熊本では「阿蘇津姫」「雨宮姫」「蒲地姫」としてまつられている。
かつて佐賀、長崎は肥前国、熊本は肥後国、さらに時代をさかのぼれば、肥前国と肥後国は合わせて「火の国」と呼ばれた。雄大な阿蘇からは膨大な水が、白川、筑後川、五ヶ瀬川、大野川へと流れている。熊本は「火の国」であると同時に「水の国」でもある。
古代中国の古文書に倭国のシンボル山として阿蘇山が記録されている。
では倭国のシンボル神はいったい何だったのだろうか?
それが、アマテラス以前に男女神一対としてまつられ庶民にも愛された火の神・天照大神、水の神・瀬織津姫だったのである。
※以上を総合すると、次のようになります。
火神=正八幡大幡主(天照男神)=月読命=健磐龍=大歳神=年祢神
=国龍神=草部吉見神
水神=瀬織津姫(天照女神)=月姫=淀姫=豊姫=阿蘇津姫=雨宮姫
=蒲地姫
大歳神=正八幡大幡主(天照男神)
御歳神=瀬織津姫(天照女神)
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