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バジョの人々
バジョの人々は、海上を漂って、居心地の良い所で家船ごと停泊して、海産物をとって生活しているらしい。国籍のない者もたくさんいる。
(関野吉晴さんの写真を見ながら)
わたしもバジョの人々の写真を見て「いいな~」と思ったことがあります。漂流民。それは写っていた人々の表情がよかった。
キャンピングカーなどで日本を漂流する方々もいらっしゃるかと。
同じような心持ちなのでしょうか。うちの親父もそんなことがしたいと言っていました。
バックパッカーとして世界を漂う人々も。
同じ漂うでも、漂流民とバックパッカーは違うかもしれません。
でもやっぱり漂うというのは何か惹かれるものがありますでしょう?
惹かれるということはその裏に危険があるからでしょうか。
危険とは生きることでしょうか。
生きることは死ぬことで、
死ぬことはわからない。
「わからないってことは幸せなことよ」というようなことをNHKの『餅ばあちゃんが教えてくれたこと』で94歳の桑田ミサオさんが言っていたのを思い出します。これは死ぬことじゃない。
そしてわからなくなって旅立った若者が世界を変えていく。
このままでいいんだろうか?
人生は何のためにあるんだろうか?
それまであまり深く考えたことすらなかった、生きること――。いろいろなことが根本的にわからなくなってしまいました。
やっぱり ”わからない” ことはすばらしい。