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まったく軽薄である

 (芸術作品の鑑賞に関して)
 ぼくは多くの人の鑑賞の仕方が不純に思えてならない。
 たとえば、作品の前に立って、それを直接見とどける前に、まず、これはいったい誰の作かということを気にする。有名な巨匠の作品、ゴッホでもピカソでもいい、そんな偉い人のだとわかると、とたんに「なるほど、やっぱりいいですね。さすがは」などと、口先で感嘆してしまう。まだよく見てもいないのに。感心しないと、芸術がわからないと馬鹿にされるのではないかと心配するのだ。まったく軽薄である。

『自分の中に毒を持て』岡本太郎

 複雑な思いでございます。
 わたしも軽薄そのもので耳が痛いのですが、おそらく最近はこういう人は少なくなってきているのではないでしょうか。
30年も前に出版された本ですし。
 
 わたしが心配になったのは「馬鹿にされるのではないかと心配する・・」の部分でございまして、変なところにひっかかって恐縮ですが、どうも最近「バカにされる」ほうがいいことなんじゃないかと思いはじめておりまして、というのも「バカにする」ほうの人になにかと問題や心配や厄介なことが多そうな気がするのですが、どんなもんでしょうか?
 勉強ができない、仕事ができない、デジタルに対応できない、貧乏人だ、酒飲みだ、などとバカにしたり、されたりしまして、わたしも時と場合によってどちらの側にも居るのですが、なるべくバカ側にいるように精進しようと思っております。
どうやって精進するかって?
あんたそんなことも知らんのかい? 遅れってる~♪

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