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情報は生ものではない

よく『情報は生もの』だと言われますね。
結論から言ってしまうと、これ違います。
と、いう話です。

『情報』として取り出した時点で変わらないものになります。その瞬間に、その観点で捉えたものと言い変えてもよいです。だからこそいろいろと扱うことができるのです。そして何千年も情報が残るのも決して生ものでなく、変わらないものだからなのです。例えば、聖書なんか二千年くらい形を変えずに存在しているわけです。

要は情報を受け取る側の解釈が形を変えてしまうことで同じ情報に触れても違うものと捉えてしまうわけです。情報の受け取り手の問題ですね。

逆に生ものだなと思うものは『アイデア』です。
アイデアも情報の1つだったりするわけですが、そのアイデアは使いどころによってその価値が変わります。
まだ誰もやっていない新しいことを始めれば、その時点では大きな価値・意味を持つものでも、周知のものになってしまえば、今さらやっても誰にも響かなくなってしまいます。
逆に時代の先を行き過ぎてしまうと、それもまた本来の価値を出せないこともよくある話です。
これも情報の受け取り手の問題が関わる話で、アイデアの出しどころがあるのです。果物と一緒で最も熟したタイミングを見極めることがポイントです。

情報が生ものと言われる話でよく出てくるのが、情報の使い時の話です。
今このタイミングだからこそ情報が生きるという趣旨ですね。この今のタイミングを逃すと価値を失くしてしまうという意味です。
これ、つまりはそのまま先ほどの『アイデア』の話ですね。
この話をより正しくイメージすると、ある瞬間にある観点で切り取ったものが『情報』で、これは形を変えることがないもの。つまり、意味が変わることなく、腐ってしまうこともないものです。
対して、タイミングが重要なのは、この『情報』をどういう『アイデア』として使うかという場合ということになります。


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