夏の終わりにまったり観たい映画 3本
「夏の終わりにまったり観たい映画を選んでほしい」というリクエストをいただいたことをキッカケに、これまでに観た映画の記憶をひっくり返してみて、コメントと共に3本選んでみました。
結局のところ、日差しがポイントだったのかな、とおもいます。
強かった日差しがすこし弱まってきて、ちょっと傾きかけて短くなった日の光。 それは具体的に太陽のことでもあり、人生、あるいは日常においてのある状態にある一定の期間。
はじまった何かがピークを迎え、徐々に暮れていく。 なにかが起こって、それに右往左往しながらも日々を重ねていった先に、振り返ってみればすこしだけ一回り大きくなった誰かの姿。
そこに頼もしげな姿を見つつ、その変化に一抹の寂しさを孕んでいる。
そんな映画を3本選んでみました。
夏の終わりの映画選びのひとつのキッカケになれば幸いです。
ショート・ターム
ティーンエイジャーのグループホームが舞台の本作は、彼らの日常に潜む様々な事情に光を当てます。
そこに見るドラマはどれも生易しいものではありませんが、それを見守るサンディエゴの陽射しは、人生のビターな時期を過ごす彼らを柔らかく照らしつづけています。
その彼らの向かう先、様々な経験を経て一回り大きくなり、より広い世界に向かって自ら歩いて行こうとするその姿に、わたしは夏の終わりの日差しの眩しさを思うのです。
20センチュリー・ウーマン
思い返してみると、なぜあのタイミングにあのメンバーが集まったのだろうとおもう瞬間があります。
なにをしたとか、なにを話したとかは全然覚えていません。
でもすごくたのしかったことだけは覚えていて、十数年経ったいまでもふと思い返すだけで心があたたまる、そんな想い出があります。
1979年のサンタバーバラの一軒家に集った彼らの物語もまた、人生のなかのある一瞬にだけ確かに存在した、夏の眩しさのようなお話でした。
奇跡
冷たい麦茶、もぎって齧ったトマト、庭先での手持ち花火、プールの後のガリガリ君。
わたしの夏の終わりの原体験も、本作で描かれているような年頃だったのだとおもいます。
あの頃に信じていたものはいつのまにか忘れてしまいましたが、なにかに夢中になり、いつのまにか走り出していたというような感覚は、まだ心の何処かに残っているようにおもいました。
彼らの姿を見て覚える気恥ずかしさは、きっとその名残なんだとおもいます。