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言葉と言う○○
常日頃から、私たちは「言葉」と言うツールを用いて他人と意思疎通を行っています。一重に言葉と言ってもその種類は様々で、国が違えばその種類や音は数限りない物になります。
また、時代によってそれまで無かったような新たな言葉が生まれたり、反対に知らず知らずの内に人々の記憶から忘れ去られ、使われなくなった言葉も星の数ほどあります。
言葉と言う物は人間の営みの中で必要不可欠な代物ですが、時に残酷な使われ方をされてしまいます。
辞書に元からある言葉もそうですが、私は個人的に昨今言葉の使われ方や生まれ方の意図として、言葉がどうも「他者を隔てる為に使われる物」に感じて仕方ありません。
例えば色で人種を表現する言葉やネットスラング、セクシャリティを表現する言葉などです。これらはあくまで「違いを表現する」意図で存在している物であり、その先にある他人と比較・差別(悪い意味での)的意図での使われ方とは言わば使っている側の問題ではないかと思いました。
そうする事の意味とは何なのでしょうか。本来あるはずの無い境界線を勝手に作って、安全地帯のような場所からただただ自分たちはおかしくない・正常だと言い張りたいのでしょうか。
周りと「同じ」事って、そんなに大切なのでしょうか。
周りと「違う」事って、そんなにダメな事なのでしょうか。
その安全地帯と彼らが呼ぶ世界から見る世界は、どれほど美しくて理想に近い物なのでしょうか。私にはそこが何だかとても寂しい世界としか想像がつきません。
そしてこうやって不用意に人を見て落胆してしまう私自身もまた、言葉に縛られているのかもしれませんね。
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