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0050 いわき市❹ 6年ぶりの地元。震災への向き合い方

【旅ログ】
to 震災との向き合い方を考えたい方

6年ぶりの地元。変わったのは景色。あの震災を忘れないようにという施設とイベントが増えている。

海の目前。母校の中学校の建物があった。今はもうない。通学路もない。11年たとうとしている。その事実があり、それらの被害に対して前向きにがんばろうという掛け声がある。

正直に言うと、震災に対してそこから先に思考を進めておらず、向き合ってなかったなと思った。これを気に、これからどういう気持ちで向き合い、準備をしていくべきか。震災関連の施設紹介とともに、現時点の雑感を。

3.11いわき東日本大震災展

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2013年からある展示会場。「01笑顔」「02震災」「03記憶」「04復興」「05明日へ」の5ブロック。”当時赤ちゃんだった私が10歳に”のような展示もある。アップデートされている。

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避難した環境が展示になり歴史になる不思議。

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時を経て成長した子供たち。

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上記2つの浜辺が自分の故郷。

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当然、学校教育に。

いわき震災伝承みらい館

2020年5月オープンのみらい館。地元の薄磯海岸沿いにできていた。

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震災展とかぶっている内容ももちろん多いが、こちらは定量的、定性的な事実を伝える場所という感じ。

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2階建の建物。画像は1階の様子。

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当時の様子。

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姉もひいていた母校の中学校のピアノ。調律を施され奇跡のピアノと命名されている。

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うそみたいな当時の黒板の展示。当日の午前が卒業式の学校あり。

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自分も座っていたかもしれない机。

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母校は取り壊され移設。ここが跡地。

防災EXPO くったくのない笑顔が救う

11月5日は津波防災の日だそう。小名浜イオンモール前で防災イベントがとこなわれていた。いいものが見れました。

震度体験、煙体験、高度作業体験などを、子供たちが楽しみながら学べるイベント。

青空。素晴らしいとおもったのは、職種の垣根を超えて、子供たちの未来教育のために、関連するはたらくひとたちが集まっていたこと。警察、消防、自衛隊、電気事業業者など。

ここに何か、震災との向き合い方のヒントを感じた。

震災との向き合い方はニュートラルに

もやもやがあった。今回少し言語化できた。

数多くの方が復興に携わってきた。亡くなった人も多い。伝承していくべきことは伝える。力を合わせて手を取り合って。これは前提。

自分は福島出身。生家も地震の影響で取り壊された。震災当時は東京にいた。被害者のような、外の人のような。感覚が落ち着かない時期があった。今も少し。どうするか。

エモーショナルにふれすぎないほうがいいということ。もやもやの種が発芽。

旅を通じて、さんざんストーリーの大切さを感じてきた。観光地では、辞書的な事実の羅列ではなく、人を介したストーリー性の重要性。ただ、本質をついたものであるべきで、一定の歴史に根差し、作り込みすぎないほうがいいとも。過剰なドラマはチープにさせる。

震災そのものがドラマチックでエモーショナル。小説にはない無骨で無慈悲な事実。大震災。そこにストーリーを載せすぎることで胸焼けする感じがする。

ニュートラルに事実を事実としてとらえ、やるべきことをやる。無理のない腹落ちする長さと内容のストーリー。無知の方へ伝承していく施設も必要だが、震災エキスポのように目に見える明るいイベントは救われると思った。無理のない実利的なもの。くったくのない笑顔で震災を教訓にできるもの。

今はここまで。50個目の節目の記事になったのは何かの導きかも。

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