モンスター 浦沢直樹 アニメ解説
(※ネタバレ)(無料)
このストーリーはドクター・テンマが殺人鬼を蘇らせることによって人生を転落させ、ラストで殺人鬼を蘇らせることによって再び人生を取り戻すという構図になっている。善悪の判断、人間の光と闇の境目を読者に投げかけるようなシーンが多く、文芸性の高い作品であるとおもう。そのため人間味のかけらもないような悪が描かれ、一見救いのないような話にも見える……初見ではそう見えたのだがそういうわけではない。
善から悪へ落ちるのか?
ドクター・テンマが悪魔を止めるために自ら悪に落ちるか(殺人鬼を止めるために自ら銃口を向ける)どうかというシーンが幾度もあるものの、最終的には誰も殺すことなく終えていることを考えると善性を保ち続けたと解釈できる。およそ人生の幸福というものが奪われたとして、心までモンスターに食べられるかどうかという闘いがある。絵本の解釈は複雑に描きすぎているきらいがあるがあるがこの物語の本質はどこまで行ってもテンマが悪への反対概念であるというところにあるとおもう。
悪魔を止めるためには悪の力を使ってもいいのか。悪魔が狙っているのは実は悪の方へ落としてしまえば悪へ流れる理由は何でもよい。「人の生命を救う存在であるテンマが、たとえ殺人鬼であっても生命を奪って良いのか」というテーマが作品全体を通して流れている。
サスペンスミステリーとして
この物語はサスペンスミステリーとして面白さ、恐ろしさ、不気味さというのがまず注目される。毎話ではないものの2話に1人以上は死人が出ている。精神異常者もたくさん出てきて、魅力的なキャラクターもたくさん描かれている。アクションや裏社会の面白さもあり、それが単なるミステリー以上のエンターテイメント性を高めていて、浦沢直樹は非常に才能豊かだとおもう。
ただ感情がないかのような絶対悪として描かれるヨハンの描き方はやや不満があり、子どもの人格操作、実験という要素は設定としていい味を出しているが、悪魔(ヨハン)を人為的に生み出したかのような印象が強くなると、悪魔がまるで再現可能なような陳腐さを持ってしまう。その辺の描き方は複雑さが増して、結局のところナチス・ドイツ、東西冷戦、第二次世界大戦の傷痕が持つイメージに付託しているような気がする。悪魔の誕生に理由は必要なく、あまりに明快にしようとしてもリアリティは薄れてしまうが、複雑になりすぎてもストーリーがぼやけてしまう(多少ぼかしているようにみえる)。
転落したとしても
フィアンセとの婚約破棄、事件現場に落ちていた証拠品から犯人扱いを受け、天才医師という社会的にステータスの高い位置から指名手配犯として追われる日々。この生活の落差がドクター・テンマを悪の道に引きずり込むかのように見えて、一貫してテンマは人の生命を奪うことはせず、むしろ行く先々で生命を救い続ける。たとえ敵でも病院に連れていったり、銭形役ともいえるルンゲ警部に追われながらも、ルンゲ警部が刺されたときはちゃんと助ける。自分が逮捕されるリスクを犯しても、相手の生命を守ろうとするテンマの姿に心を打たれるのだ。
この善悪の揺れ動きのなかで、すでに医師という職業ではないのに関わらず医師として人を救い続けるテンマをいつの間にか尊敬してみてしまう。登場人物もテンマが指名手配犯だとわかってもあえて通報せず見逃してしまう。そんな成り行きに妙に説得力がある。この作品の魅力はやはりテンマという人物を描き切ったことにあるとおもう。異国の地でどんな人でも差別なく生命を救うドクター・テンマ。追い詰められたとしても人に優しくあり続けるテンマの姿をみてなぜか同じ日本人として誇らしくなってしまう。フィクションであると分かっていてもそうおもってしまう。サスペンス・ミステリーというジャンルではあるが、あえていえばそれらは恐怖や悪の象徴を描くための設定でしかなく、それ以前に骨太の人間ドラマがここにある。