私を変えた恩師
#忘れられない先生 という応募のハッシュタグを見つけ、迷うまでもなくひとりの先生が頭に思い浮かんだので、パソコンに向かっています。(これでちゃんと応募できてるのかな?)
私は今、高校の英語の教員をしています。でも子どもの頃、教員になろうだなんて少しも思っていませんでした。むしろ、教員は絶対になりたくない仕事の一つでした。
そんな私がなぜ、教員になったのか。小学校4年生のときの担任、T先生との出会いがなければ、私は教員をしていなかったと思います。
なぜ教員になりたくなかったか
私は子どものころ、絶対に教員にはならないと思っていました。それは、自分の両親が教員だったことが大きく影響しています。
教員の長時間労働、働き方改革が盛んに議論されている現在ですが、私が子供の頃、「教員は生徒のために時間を忘れて尽くしてナンボ」の時代でした。
父は平日は毎晩遅くまで残業、土日は朝から晩まで部活。ほとんど家にいませんでした。
母も母で遅くまで残業。夜中2時にも関わらず進路相談か何かで生徒の保護者から泣きながら自宅に電話がかかってきてそれに対応するなんてこともありました。
そんな両親を見て、「なぜ他人のためにここまで頑張らなければいけないのか」と思っていました。私は一人っ子のため家に話し相手もおらず、やはり両親にかまってほしい寂しさがあったのか、「なぜ自分の子どもより他人の子どもに時間をかけるのか。自分の子どもは大事じゃないのか」という気持ちでした。
それがきっかけで、将来の夢を「教師」にすることは絶対にないと思っていました。
T先生との出会い
そんな気持ちの中、小学校4年生になったときにT先生が担任になりました。40歳くらいの女性の先生で、いつも笑顔を絶やさない朗らかで優しい先生でした。
そのクラスで、発達障害と思われるAさんがクラスメートになりました。(当時は発達障害などという単語はもちろん知りませんでしたが。)Aさんは自分の感情を抑えることが難しく、突然泣きわめいて授業を中断させたり、T先生やクラスメートに暴言を吐いて教室から出て行ってしまうなど、当時4年生だった私たちからすると「関わりづらい」「話しかけたくない」というイメージの生徒でした。
私も実はそのクラスの学級委員だったのですが、どうしてもAさんとは仲良くなれない、なりたくないと感じてしまっていました。
そんなクラスが始まってすぐの春のこと、授業参観がありました。大勢の保護者が見守る授業の中、Aさんはこの日も感情が抑えられず、泣きわめいて教室から出て行ってしまいました。特にこの日の泣きわめき方は今までで一番のものでした。戸惑う生徒と保護者達。そこでT先生が言ったのは次のような言葉でした。
「みんなも、算数が苦手だったり、鉄棒が苦手だったり、どうしてもできないことってあるよね。それと同じで、Aさんはじっとしていたり気持ちを抑えたりするのが苦手なんだよ。Aさんは特別で変わった子じゃなくて、みんなと同じように苦手なことに懸命に向き合っているんだよ」
私も含めてクラスメートの、そして保護者も、Aさんに対する見方が変わった瞬間でした。Aさんは変わった子なんかじゃない。自分たちと同じで、毎日頑張っているんだ。
クラスはそこから変わりました。学級委員だった私は積極的にAさんに話しかけるようになり、他の生徒たちもことあるごとにAさんに声をかけて、Aさんを「仲間」として接するようになりました。Aさんも自分が受け入れられたことを感じたのか、徐々に落ち着いていきました。
そして、教員の道へ
このことがきっかけでT先生のことを心から尊敬するようになりました。まだこの時は「先生になりたい」とまでは思いませんでしたが、「T先生のような人になりたい」と強く思うようになりました。こんな風に優しくて素敵な人間になりたい、と。
そして中学生、高校生になり進路を本格的に考えるようになったとき、T先生の言葉と人柄が忘れられず、「教師」という選択肢が頭に浮かんできました。あれだけ両親の働き方を毛嫌いしていましたが、「両親ももしかしたらT先生のように温かい心で生徒に向き合っているのかも。Aさんのように救われたり、私たちのように変わるきっかけになった生徒がいるのかも」と思うと、教師が魅力ある仕事のように思えてきたのです。
大学生になって授業で「発達障害」について学んだ時、初めてAさんがおそらく発達障害だったのだろうと気づき、T先生のすごさを思い知り鳥肌が立ちました。発達障害という小学校4年生に分かるわけがない言葉を一切使わず、Aさんの個性を認め、仲間としてクラスに溶け込ませた教員としての言葉がけの力がそこにはあったのです。「先生になりたい」が確信に変わりました。
教員としてのこの先
教員の長時間労働、生徒のために自分を捨てて尽くすことが必ずしもいいことだとは思いません。私もこの状況を心から変えたいと思っている現役教員のひとりです。
でも、それは大人の都合です。教員の勤務環境のことは子どもたちには何の罪もないし関係ない。
だから可能な範囲で、生徒たちのためにできることはやるのがこの仕事に関わる者の責務であり喜びだと思います。
私が担任を持つ時、始業式で生徒に向かってかける言葉は決まっています。そこにはT先生に教わったことが詰まっています。
「全員と友達になれなんて言わない。でも、気に食わない、合わない人がいたとしてもそれは仲間外れにしていい理由にはならない。価値観が違う人とも、それを認め合って1年間過ごしていこうね。」
教員という仕事は何か不祥事があるたびに叩かれ、報われない仕事、なりたくない仕事だというイメージが世の中に浸透してしまっているように思います。そしてそのイメージとともに先生の質も落ち、この仕事に明るい未来はないかのように思われてしまっています。
しかしT先生のように、素晴らしい先生がたくさんいることをぜひ知ってほしいです。そして自分も生徒にそう思われるようになりたいです。
T先生とは高校生のころまで年賀状のやり取りをしていましたが、近年それが途絶えてしまっており、私がT先生に憧れて教員になったことはT先生は知りません。
いつかまたどこかでお会いして、T先生のように生徒全員を大切にする教員を目指して頑張っていると伝えたいです。