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20年売れ続ける本を作った話

 おかげさまで拙著「そうだったのか! コード理論」が今年も改訂されました。

 この本は2001年、当時24歳だった僕が出版社へ企画を持ち込んで作った教則本です。

 音楽系の教本というのは出版業界の中でももともとそれほど大きな市場ではなく、発行部数なども例えばコンピュータ系の技術書などに比べてもかなり少ないという現実があります。そういう小さな市場ではありますが、この本は好評をいただき、以降毎年のように改訂がかかり、先日2021年版が発売されました。拙著で最初に図書館に所蔵された本でもあります。(今は「カラクリ」シリーズなども図書館に所蔵されているようです)

 企画から20年、改版を重ねたこの本は、音楽系教則本としては異例のロングセラーと言えるかもしれません。

 トップの写真、上に乗っているのが最新版のもの、下に置いてあるのは最初の版のものです。最初の版は109ページ、現在のものは126ページと、内容も少々増強されています。最初の版にはリハーモナイズ(同じメロディに対して別のコードを割り当てること)と楽曲解析がありません。リハーモナイズは途中の版で追加され、改訂時に題材の曲を差し替えましたが、選ぶ曲によって解説できる幅が制約されてしまうため、これを差し替えるのはやめ、代わりに楽曲解析を追加しました。

 この本はコードネームとその構成音の理論を中心に説明する内容で、本編にはコード進行の話は出てきません。そういう意味でかなり初歩の本と言えます。もともとはそういうコンセプトで企画したものですが、途中で楽曲解析を入れたため、最近の版では選ぶ楽曲によってけっこう高度なコード進行の解説が入ることもあります。例えば直近のこの最新版では劇場版「鬼滅の刃」から「炎」という曲を解説しています。ご存知の方も多いと思いますがあの曲は部分転調のようなことが繰り返される複雑なコード進行になっており、本編の内容を超えてその解説を行っています。

 コード進行の理論は網羅的に説明することが難しい上に、それだけ取り出して理論的に説明されてもわかりにくいという事実もあり、楽曲解析の中で必要なものだけ解説する、というのは情報として網羅的ではないものの、解説された内容については非常にわかりやすいという効果もありました。

企画したきっかけ

 この本を企画する前に、僕はこの自由現代社という出版社から「今すぐ始めるロックベース入門」という本を出しました。これが僕の最初の教本作品で、出版社の企画したものを知人の紹介で僕が執筆した、という流れでした。

 この本も長いこと改訂されて販売されていましたが、現在は絶版なので流通在庫のみで終了すると思います。(この本もこの手のものとしては結構売れた方で、さらに同様の内容がネットで簡単に手に入るようになってなお、しばらくはちゃんと売り切れるという状態が続いていました)

 これを書いたあと、僕は「教本」というものを改めて考え直しました。この本は前述のようにけっこう売れ、好評もいただいたわけですが、自分ではあまり納得がいきませんでした。その原因は「僕でなくても書ける」ものだったことです。

 これは世によくある教本となんら変わらないのではないか。

 考えてみれば当然で、僕はこの初めての教本を書くとき、自分の中にあった「教本とはこういうもの」というイメージをもとにして書いたのです。それまでに雑誌のコラムを書いたり、雑誌に掲載する楽譜に解説を書いたりしたことはあったので、そのイメージで、言わばその時持っている力でできることをやっただけのものでした。

 そこそこ良いものは書けたけれど、この程度のものはほかにもあるし、これが「田熊健編著」として出ることに大した意味はないのではないか。自分の名前を冠して出すなら、それは僕でなければ書けないものでないと意味がないのではないか。

 若かった僕はそのように思ったわけですね。それで、一作目の「今すぐ~」が出た後、書店や楽器店を回って教則本を読み漁りました。僕によって書かれるべき、まだ書かれていない教本とはどういうものだろうか、というのを探したわけです。

 そして発見しました。コードの基礎を解説した本がない。コード理論の本は全部難しく、まったくわからない状態で読んだら序盤で挫折するようなものばかりでした。もちろんそんなものを軽々と超えて読めてしまうだけの情熱を持った人なら問題ありません。どうやったって自分はコード理論を理解するのだ、という迫力を持っていれば少々難しい本だって読めるでしょう。

 でも世の中、そういう人ばかりではありませんね。むしろ、ちょっと難しいと挫折してしまうような人の方が多数派です。ということは、楽器店や書店を回って見つけられるこの辺の本を読んで挫折してしまうような人に向けたものを書いたら良いのではないか。

 そう思い、リサーチした結果と市場の目算を加味して企画書を書きました。ほかの教本を読んでもわからなかった人に向けた最後の砦みたいな本。それを出しませんかという主旨の企画書でした。

 残念ながらこの企画書が手元に残っていないのですね。残しておけばよかった。たぶんワードか何かで作ったと思います。企画書の書き方は映画監督の押井守氏の書いた「注文の多い傭兵たち」という本を参考にしました。

 この本には押井監督の書いたゲームの企画書が載っているので、企画書など書いたこともなかった当時の僕は、これを参考にして教本の企画書を書きました。あの企画書どこかに残ってないかな…。惜しいことをしましたね。

「文体」という意識

 一般に教則本の世界では、いわゆる文章の書き方というものについてはある程度意識されている(読んで意味が分かる程度の文章は期待されている)のですが、こと「文体」となるとほとんど意識されていません。これは現在に至るもなお、それほど意識されていない印象を受けます。

 そこで僕はこのとき、ここで企画するコード理論の本では文体を意識しようと考えていました。それについては企画書には盛りませんでしたが、最初からそのつもりで考えていました。

 軽音楽系の教本(ギターとかベースなどの教本)は、僕の書いた「今すぐ~」も含め、だいたい兄貴分が後進に教えているような口調で書かれています。「これをこうやってこうするんだ。」みたいな文体です。「そうだったのか~」を書くにあたり、まずこの文体から離れることを前提にしました。

 とはいえ、当時の僕は「文体」を云々するほど文学をわかっておらず、何をどうしていいのやらさっぱりわかりませんでした。そこでいろいろな作家のエッセイを読み漁るということをやりました。この時出会ったエッセイは今も好きなものが多く、その後作者を追いかけたものもいくつもあります。読んだのは宮沢章夫、土屋賢二、酒井順子などです。そして、酒井順子さんの「トイレは小説より奇なり」を参考にすることにしました。

 酒井順子さんのエッセイはとても読みやすく、やわらかい文体でありながらけっこう強烈なことを言ったりしていて、そのバランス感が非常に良いと感じました。これだ、と。この文体で書けば少々難しい内容でも読者はあきらめずについてきてくれるのではないか。優しい先生に教えてもらっているような感覚で読めるのではないか。

 ここで得た自分なりの文体意識というものはその後の教本でも僕の力になり、企画主旨の発想とも相まって、僕らしい僕にしか書けない本を書く土台となりました。(その後出会った編集さんがまた大きな影響をくれるのですがそれはまた別稿でお話したいと思います)

 こうして、「そうだったのか① コード理論編」が誕生しました。当初は「そうだったのか」シリーズとして進める予定でしたが、あまりにもこのコード理論編が強すぎたため、シリーズではなく単独の書籍として「編」を取り除き、三回目の版ぐらいから「そうだったのか!コード理論」と改題され、現在まで20年、売れ続けています。総数でどのぐらいになったのだろう。20年売っても部数的にはそう大きな数字にはならないのが教本市場なのですが、それでも20年売れ続けているということはかなり幅広い世代が手にしてくれたことになり、部数云々を抜きにしてとても光栄なことだと思います。

 引き続きこの本が多くの人の手に届くことを、多くの人の最後の砦であることを祈ってやみません。

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田熊 健
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