福知山脱線事故、尼崎に住んでいたあの日
JR福知山線脱線事故
17年前の今日、2005年4月25日(月)午前9時18分に福知山脱線事故が発生しました。
西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線(JR宝塚線)塚口駅 - 尼崎駅間で発生した列車脱線事故で、乗客と運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷しました。
塚口駅〜尼崎駅間のカーブにて、宝塚発・同志社前ゆき快速列車が速度超過により脱線・転覆し、線路脇のマンションに激突。死者107名(運転士含む)、500名以上の重軽傷者を出すという、JR発足史上最悪の列車事故となりました。
当時、中学3年生
ここからは私の当時感じたことを、備忘録として記します。事故の詳細などは下部にWikipediaをご参照ください。
当時私は中学3年生になったばかりで、事故現場から西に位置していた中学校にいて授業を受けていました。事故が発生したのを知ったのは家に帰ってからでした。
その日は天気がよくいつもと変わらない普通の日でしたが、今思えば変わったことが2つありました。
1つ目は同級生二人が「大きい事故があった」ということで喧嘩をしていたということ。事故があった、なかったで喧嘩をしていたと笑いながら友達が言ってたのを覚えています。
1人が先生から聞いたのか、遅刻をしてきてニュースを見てから登校したのかわからないが、これで取っ組み合いになったそう。
しょーもないことで喧嘩するなと、そんなこと気に留めなかった私は、普段通り過ごし、放課後になると部活動の練習に向かいました。
2つ目、たくさん空に舞うヘリコプター。
数台のホバリングするヘリコプター。一台行ったと思ったら違うヘリコプターが来る。
サッカー部に所属していた私は、ゴールネットに絡まったボールを拾ってシュート列に戻る。そのとき見た東の空を今でも覚えていますし、忘れません。
それは視野の下にはノックをする野球部、上部には空に数台のヘリコプター。複数台飛んでいるところは見ることはなかったし、いろんなヘリコプターが行ったり、きたり。何かあったんだなと感じました。
見たことのない光景でした。
練習を終えて家に帰り、流れてるテレビに目をやると、ヘリコプターからの映像。どのチャンネルもヘリコプターからの空撮映像を流していました。
練習試合で行ったことのある別の中学校はヘリポートとして使用されたり、たまに行っていた尼崎市民体育館は遺体安置所になっていたり、見たことある場所が連日テレビで放送されるという非日常になっていました。
その非日常を体感したくて落ち着いた頃に見に行ったりもしていました。
現場を最後に通ったのは約2年前なので今はわかりませんが、事故現場を通るときは警備員さんが通る人全員に毎回お辞儀をされていました。
とんでもないことが起こったんだと感じたのとともに、
京都から乗っている人が多く、乗車していた人の中に知り合いがいなかったので安堵したのを覚えています。
事故があってからJR西日本は少しのことであっても確認して、安全を最優先にしているように感じます。その分遅延も多く、駅員さんに詰め寄っている人をたまに見かけます。
知床遊覧船の事故も起きています。知床へは昨年行き、時間がなく乗れませんでしたが、あの綺麗な景色は誰もが見たくなるような絶景です。
プロポーズされる予定の方が乗っていたというニュース。とても心が痛みます。
脱線事故、遊覧船の事故ともに人災です。乗り物は人間が動かしていることを、再認識して、少しでも異変を感じたら乗らない、乗っていたら降りるという行動をとる、と考えさせられた17年目の4月25日でした。こういった乗り物による悲惨な事故が起こりませんように。
そして知床でまだ救助されていない方々が、一刻も早く見つかりますように。そしてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、怪我をされた方々、PTSDにより今も苦しんでおられる方々へ想いを込めて。合掌。
冒頭はWikipediaを参照しました。詳細はコチラを参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85
心に残っている報道ランナー(関西テレビ)の特集記事です。
JR脱線事故で「全身を骨折」…PTSDにも苦しんだ女性が語り始めた「記憶」と「安全への想い」
https://www.ktv.jp/news/feature/20200424/
上記のYouTube
「安全の本質は”愛”」JR福知山線脱線事故で全身を骨折…PTSDにも苦しんだ女性が語り始めた「あの日」の記憶と想い
https://youtu.be/sG9eujTQjl0