「震災詠」が出来てしまった
割と自明な話(俳人の野次馬性、暴力性)
俳人は基本的に野次馬であると思う。なにか俳句の「ネタ」を見つけて俳句にする。その中には、いかがなものかと思うようなものもある。身近な句会で見る例としては、手話・白杖などを題材にした(往々にして当事者以外による)俳句で、身体障害者の様子を「ダシに」して、自らの俳句にしようとするものだ。個々の事例によるので一概にNoなどということはできないし、やってはならないが、この例で言うと大多数が「野次馬的に」俳句のネタに身体障害者の様子を用いている俳句ということが体感的には言える。
正確には「感動ポルノ」とはまた異なるのであろうが、搾取の構造は似通っている。他人の困難を自分の作品の題材にして利用しようという行為は暴力的であるとさえ言える。だから、作られた経緯には個別の事情や個別の心の動きがあったのだろうが、自句を不誠実なものと見られることへの想定と、それでもなお余りある作品としての質の高さが求められる。
自然災害や戦争を題材にした作品にも同様のことが言える。被災していない人が災害を題材にすること自体に問題があるとは思わないが、題材にした瞬間に「題材にする≒ダシにする」負い目に似たものを持つことが必要であると思う。俳人はどこまで行っても野次馬である。他の事物をダシにすることで俳句を作らせてもらっている。ただ、そういう災害などの困難に(たとえ遠くからでも)触れると、心が動く。その心の動きは俳句に反映されることがある。その素朴な心の動きは記録しておきたいとも思う。自分はウクライナなど海外の戦争のことは俳句の題材に(今のところ)していないけれど、コロナは自分の身辺を詠んだ。東日本大震災の時は俳句を始めていなかったけれど、たとえ自分が俳句をしていたとしてもきっと身辺のことを詠むにとどめていわゆる「被災地想望俳句」は詠まなかっただろう、自分にいわゆる「震災詠」は無縁だろう、そう思っていた。
震災詠ができた経緯
震災が起こった1月1日、自分は東京の自宅マンションで動画を見ていた。揺れは比較的大きくて長かったけれど、家具が倒れるほどではないのを確認して動画に戻った。どこで起きたのかな、震源が遠くてこんなに揺れたのだとしたら現地はヤバいかもな、その程度の認識だった。揺れて1分もしないうちに立て続けにLINEが入った。「能登フグ旅行」というLINEグループだった。胸さわぎがした。「能登、、心配ですね、、」「こわ。」という後輩からのLINEだった。
自分は12月29-30日の日程で輪島に滞在していた。29日は千枚田を見て、宿でフグづくしの料理を食べた。翌朝は朝市で貝や輪島塗の小物を買った。
1月1日2日は特に変わった過ごし方はしなかった。ただ、輪島は震災発生2日前までお世話になった土地で、特に宿には本当に良くしてもらったので、心配は大きかった。火事のエリアはまさしく自分が歩いたエリアであるし、倒壊したビルは自分の宿泊した旅館から目と鼻の先だった。旅館や旅館の方の被害状況は現時点ではわからない。安心材料が欲しくてTwitterで流れてくる映像や画像を見て、そのたび心配が募るような状況だった。
1月3日、この日は吟行して10句連作を作ろうと思っていた。近所の公園の梅林で、いつも通り作句モードに入り、ほころびはじめた梅を見上げていた。梅の優しい姿を見ているとふと、いまだ燃えている輪島の街のことが思われた。
去年たのしかりしよ燃えてゐる街よ
気がついたらこの句ができていた。他の人から見たらそこいらの野次馬俳句に見えるかもしれない(そのあたりの客観的な意見も正直聞きたい)。しかし、自分の中では手応えがあった。それは、この俳句を作った時の「自発性」にあった。当事者ではない。しかし無関係者でもない。白梅に心を寄せているときにふと奥から膨らんだ輪島への気持ちが俳句になった気がした。
いや、梅を見にきている時点で本当にお気楽な話である。何が「輪島への気持ち」だ。被災地の人々が苦しんでいて、少しでも力になろうと行動している人がいて、自分はのうのうと吟行か。その指摘はまっとうであり、甘んじて受けようと思う。ただ、自分にはその距離感の出来事である。自分は全く被害を被っていないし、知り合いや親類もいない。ただ全くの無関係というわけでもなく、輪島のことを思う時間は多い。その程度の人間だ。だから「野次馬である」という批判自体はこちらも織り込み済みなので痛くはない。
それよりも、この俳句が野次馬の暴力性をどの程度はらんでいるのか、というところには敏感になる。テキストで提示された時に、その俳句がその俳句のために他者の困難を用いたのでは? と疑念を抱かせるような作品は、テキストベースで搾取の暴力性をはらんでいると言える。それとは別に、この俳句は被災者を嫌な思いにさせる可能性はあっても、足しにはならない。そういう意味でも発表に躊躇するところはある。テキストのみが提示される俳句では、そういう危うさが常にある。
一方作者視点では、テキスト以外に作った時の心の動きも把握されている。この俳句では、俳人としての心の動きは作品になった。野次馬根性で詠んだ俳句というよりは、自発的な心の動きが作品に反映された俳句であり、身勝手な視点であるが、自分と輪島とを繫いでくれる作品ではあると思う。
冒頭にも述べたが、俳人は基本的に野次馬であると思う。そして0から100までのグラデーションの中で暴力性(搾取)の程度が変わるが、野次馬であることはほぼ全ての俳句において言えることだと思う。だから、「野次馬である」こと自体に発表を躊躇させる要素はない。むしろ、それにどの程度無神経な搾取が含まれていて暴力性をはらんでいるかというところが問題であると思う。そして、それにはテキストベースの判定と動機ベースの判定とがなされるべきである。主観的な見解では、テキストベースで暴力的ならもうアウトで、さらに動機ベースで作者による自制がなされる必要がある、と考えている。その基準に照らして、今のところ掲句は発表しようかと考えている。
後づけの「震災詠」たち
そしてここからは懺悔のように(自分のために)その日の出来事を書く。
自分はこの句ができた瞬間引き返して、「震災詠」を作りながら家に帰り、俳句をまとめた。俳句を作った動機は「詠まねば」というある種衝動的なものであった。輪島を気にかける思いを俳句の形にしたかった。しかし、今になって客観的かつ冷静に見ると、そういう輪島を思う気持ちに噓はないだろうが、しかし震災詠を作ろうと思って作っている点からして(つまり、先ほどの梅の吟行句と比較して)野次馬の暴力性という点で格段にタチが悪いということが言える。発想がなかったところから、「震災にまつわることで自分の気持ちが動いたこと」がなかったか過去の心の動きの中で検索をかけて、発想を生み出し、「震災詠」の形にする。先ほどの梅の句にあった「自発性」に決定的に欠けている。そう思った。危ない。こういうところからダシにすることの暴力性を帯びた震災詠が生まれてしまう。
自分の作ってしまった後づけの震災詠は以下の通り。
正月早々遠くなら大変な地震
寒濤いつ化けるかライブカメラの向う
立つてゐるかもわからない川端旅館
市までの目印にしたビルが今
質も下がっているし、誠実性も欠けている。どれも半端な気持ちで詠んだものではなく、気持ちの上では誠実であるが、作品としての不誠実さが否めない。しかも制作過程として回想ベースであるのが決定的に弱い。特に3句目は技術力が欠けているのに加え固有名詞が含まれているため、読まれ方によっては当事者に不快な思いをさせる可能性も多分にあり、こうした自句自解の文脈を離れると危険ですらある。2句目も野次馬に過ぎるだろう。3,4句目が無季なのは髙柳克弘の安易な模倣である。これらの句は作成した当初は人目に耐えられると勘違いしていたが(実際連作句会には出してしまった)、作成後数日経ってやはり誌面での発表は控えるべきと思っているし、もう推敲はしない。
これらの俳句は、テキストベースでも野次馬の暴力性をはらんでいる可能性があり、動機ベースで作者から言うならば、心理の奥に震災を題材に良い作品を生もうという浅ましい考えがあったように思う。
今回得た見解
つまりなんというか、「震災詠」というのは本当に難しいということを、身をもって知った。そして自分が暴力性を帯びた「震災詠」を作ってしまった事実に、自分自身驚いている。ありきたりな表現になるが、誰もが暴力に加担し得る、それが身にしみてわかった。この経験が、他者や他の事物を俳句の「題材にする」ことの危うさに気づかせてくれたことは自分にとって大きい。確信はないが、多分「当事者性」という軸に加え「自発性」(つまり震災詠を詠もう詠もう、という野次馬的心構えのない時になおふと生まれた表現)を重んじるべし、というのが当座の見解である。この自発性を重んじることによって動機ベースでの搾取の暴力性がかなり低減できるのではないかと思っている。
一方、特に大きな災害では、被災者・支援者以外にも、多くの人間の心が動く。その心の動きとどう向き合い、何を俳句にして何を俳句にしないのか、その葛藤はあって然るべきである。今回の震災で、被災者でもその関係者でもなく、しかし無関係者ではない、という複雑な立場に置かれたのを機に、新たな視座を得た思いである。
申し添えておくと、実作者としての「動機ベースの判定」は常に厳しくありたいが、一方で、鑑賞者としては、他者の作品の制作過程にはそこまで興味がない。作品として良ければ、その人の動機なんてどうでも良いとすら思っている。ただ、当事者性や自発性を大きく欠いた不謹慎な作品がテキストベースでの「暴力性」を隠し通して佳句として表れる可能性は著しく低いだろう。
なお、この話における「当事者性」の方について、東日本大震災を受けたさまざまな見解や文献は、加藤正浩「東日本大震災以後の『文学』における『当事者』性の研究 」(2021,名古屋大学大学院文学研究科 博士論文)によくまとまっていた。