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写真で何かを伝えたい すべての人たちへ

写真に関する本の感想文です。

写真で何かを伝えたい
すべての人たちへ

別所隆弘 著
インプレス

偶然手に取った本

みなさんは、本をどこで買いますか?
最近は、ネットでポチッとすると翌日には届く便利な時代。

それでも、街の本屋さんは月に2、3回はのぞくようにしている。

年々無くなっていく本屋さん
なんとか生き延びて欲しいという願いもあるが
あてもなく、本屋さんの店内をブラブラするのも面白い。

ネットでポチだと、ほぼ自分の目的の本しか見ないが
本屋さんの店内をブラブラすると、目指す本以外にも面白い発見があったりする。

この本も、偶然写真本のコーナーで背表紙だけ見せて、目に飛び込んできた。

背表紙はいたってシンプル
白地に黒文字で「写真で何かを伝えたいすべての人たちへ」とある。

様々な色彩で賑やかな本が並ぶ書棚で、かえってこのシンプルさが目立った。

さあ、手にとってみようと訴えかけられているような気がして、手に取ってみた。

まず、表紙の美しい写真に目を奪われる。
なんだろう、この流星のような光は?
どうやって写したのだろう。

この写真の著者の思いは、この本の最後に綴られている
最後に、その思いを知ってこの写真を見ると、さらに感慨深い。

感動ものである。

だから、あえてここでは書かない。
ぜひ買って読んでみてくだされ。

それで、この本を本屋さんの棚から手に取って、まずパラパラと見る。

美しい写真が随所に散りばめられ、写真を見ているだけでも楽しい。

この素晴らしい写真を見ているだけでも、この本が欲しくなった。

もしかすると、この本を読み終わると、少しは感動の写真の撮り方が、わかるかもしれない。

というわけで、手に取ってから30秒で購入を決め、レジに進んだ。

読み始めると、それは大きな間違いだったのに気がついた。


いきなりの「ニーチェ」登場に驚いてはいけない

読み始めて、前書きの「はじめに」というところの一文

19世紀末、ニーチェは「神は死んだ」と言った。
20世紀中頃、ロラン・バルトは「作者の死」を宣言した。

本書「はじめに」より

はて?
なんだか、凄い本を買ってしまったか?

ニーチェ?
ロラン・バルト?

ちょっと調べてみた。

「神は死んだ」とはすべてが無価値化したという意味

 この書は、ニーチェの分身ツァラトゥストラが、「神の死」「ニヒリズム」「超人」などの思想を伝えるストーリー形式になっています。神とは、キリスト教の神を意味していると同時に、あらゆる彼岸的(神・イデア)な諸価値と理想の全体を意味しています。


 ツァラトゥストラが「神が死んだ」と人々に伝えるということは、今までのすべての最高の諸価値、すなわち真、善、美がその力を失って、現実と理想という図式が崩壊することを意味します(真実がどこかにあるという神話が崩壊するということ)。

 そうなると最高の価値根拠と目指すべきものがないわけですから、私たちの「なぜ生きているのか?」「何に向かって生きているのか?」という人生最大の問題についての答えがなくなってしまうのです。

 「なぜ、世界と人間は存在するのか? それらはいかなる意味や価値をもつのか?」というような形而上学的な疑問のすべてが無意味となります(これをニヒリズムといいます)。

 ストーリーの最初では、ツァラトゥストラが、「神の死」を告げて、人々に無意味な現実と向き合うように示唆しますが、なかなか受け入れてもらえません。また、「隣人愛」はキリスト教の価値観でしたが、これは偽りの態度であり、隣人に対する愛ではなく、未来に出現する超人への「遠人愛」について説きます。これも人々はわかってくれません。

 実際に、当時はニーチェの哲学を、世間の人は誰も理解してくれませんでした。

 失望したツァラトゥストラは山にもどったり下ったりと、「神の死」という事実を布教するために様々な努力をするのです。

読破できない難解な本がわかる本
富増章成 著

ん?
余計に頭の中が混乱した😅。
頭の中では、あのキューブリックの映画「2001年宇宙の旅」にも使われた、リヒャルト・シュトラウスの交響詩が鳴り響くだけだ。

なんだろう?????
この本は写真の本だよね。
哲学の本?

もしかすると、筆者は最初にカウンターパンチで読者をふるいにかけようとしているのか?


そして助け舟が現れる

さあどうすると考えながら読み進める。
目次を通り過ぎて進むと「手引きの書」が書かれている。

この本の読み進め方が書いてあるようだ。
なんて親切な本なんだ。

でもこれを読んでも、まだ頭の中は混乱している。

ちょっと哲学的だ。

写真を撮るのに、そんなに難しく考える必要があるのか?

それでも、この本に掲載されている数々の感動的な写真を眺めていると、筆者はさまざまなことを考えながら撮り続けてきたんだろうなと、納得し、読み進める。


それでも読み進められない人へ


この本を買ったときのレシートが栞代わりに挟んである。
日付を見ると、2024年4月24日とある。
かれこれ10ヶ月にもなる。
恥ずかしながら、まだ読み終わっていない。

部屋の手の届くところにずっと置いてあるが、気が向いたときに虫食い的に読む。
そして、ちょっと難しいことが書いてあると、パラパラと写真ばかり眺めている。
綺麗な写真ばかり並んでいて、写真集としても価値あるなぁなんて思ったりして。
いつか自分もこんな写真を撮ってみたい。
と思っても、写真の撮り方だとか技術的なことは、この本には書かれていない。

さんざん迷子になりながら、最近になってまた読み始めた。

それも、noteのおかげ。
noteの中から、こんな記事を見つけた。

なんと筆者の別所隆弘さんが、この本が発売されるときに書いておられるnoteの記事。

これを読めば、より理解が深められる。

そして、彼のnoteにも書かれているように、この本は最初から最後まで順番に読む必要はない。
手元に置いて、読みたいとき、読みたい部分を読めば良い。

そんなことを考えながら、つまみ食いするように読んでいる。

繰り返しになるが、この本には技術的なことは書かれていない。
それよりも、もっと大切なことが書かれている。

カメラの性能やAiの進化で編集ソフトで、技術的なことは素人でも真似はできる時代、それでもシャッターを押して瞬間を切り取るのは、人間であるということを考えながら読んでいる。

写真好きのみなさんも、この本を読んで、ぜひ迷ってみてください。



今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。

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