自分流、人間関係の構築方法

初めに


私の人間関係に関する考え方は一般的なものとは異なり、独自の見解で人間関係を構築しています。

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【一般的な考え】
◆愛情について
・友達に対する愛、恋人に対する愛はそれぞれ違う。
・恋人に対する愛は特別なもの。
・無償の愛が真実の愛。

◆性行為とは
・特別な感情を抱く相手としかやらない特別な行為。
・強い愛情を持っている証。

◆恋愛とは
・性行為を伴い生活を共に過ごす関係。
・最も強い愛情を持つ特別な者同士がなる関係。
・恋愛関係になる人は1人だけ
・その人としか濃厚な身体のスキンシップや性行為はしない。

◆家族について
・共に助け合い生きていかなければならない。
・愛情があって当たり前。
・血が繋がっているから分かり合える。

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【私の考え】
◆愛情について
・人に対する愛を種類分けしない。
・恋人という概念がない。
・無償の愛は存在しない。見返りがない行為は身を削られる。

◆性行為とは
・スポーツと同じようにただの行為であり特別なことでも神聖なことでも無い。
・セックスを楽しくする相手だからと言って、別に強い愛情を持っている証とはならない。
・例えば気の合う仲でサッカー好きな人同士で遊ぼうという感覚と何も変わらない。
・お互いが望んでいれば何人とでもやる。
・性対象は限られる。相性が良くないと楽しくない。

◆恋愛とは
・性行為に対する意識が一般と違うのと、恋愛の暗黙のルールに納得してないので自分の中に恋愛というジャンルが無い。
・愛の種類を言葉で分けないだけで、人に対する愛情は持ち合わせている。

◆家族について
・『家族だから』『血が繋がってるから』というだけで、無条件に助け合わなければならない理由にはならない。
・血が繋がっていても他者であり、何もせず分かり合えることは無い。
・家族や血は関係なく、人として大切にしてくれるからこそ自分も大切に思っている。

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恋愛観について


一般的には友情か恋愛かの分かれ目は、身体のスキンシップや性行為をしたいと思うかどうかだと思います。
私にとって性行為はスポーツ感覚で特別な行為でもないので性行為の有り無しで何かしらの感情の変化が発生することはありません。
性行為をする相手も、しない人と変わらず関係性は普通に友達や知り合いです。

「性行為だけではなく、何か特別な感情が起こる相手はいないの?例えばこの人と一生を添い遂げたいと思うような…」とよく聞かれます。
同棲するという事であれば、同棲する相性が良い人であればそうしたいですが、これは特別な1人に対してしか起こらない感情ではなく、1人に絞らなければいけない意味がわかりません。同棲する相性が良い人が複数いたらその複数人と同棲したいです。

特別な1人を決めて、その人とほぼ全ての行動を共にしながら過ごすのではなく、
気の合う仲間達とそれぞれ相性が良い部分の行動をして共に過ごすというのが、私流の人間関係です。

『一生を添い遂げたい』というか、『相性が良い部分が1つでもあるなら相手が良ければ一生縁を繋げていたい』と沢山の仲間に大して思っています。

相性について


人にはプラスゲージとマイナスゲージがあり、他人と関わる際に、幸せを感じるとプラスゲージが増え、ストレスを感じるとマイナスゲージが増えます。
プラスゲージが多ければそれだけ相性が良く、マイナスゲージが高いと逆に相性が悪いです。

一般的な考えだと、このプラス・マイナスゲージは1人の人間に対して1つ用意されており、相手との様々な行動により、プラスが高まったりマイナスが高まったりゲージが揺れ動き、総合的にどちらのゲージが多いかで相性の良し悪しを見て、共に過ごすかどうかを判断しているかと思います。

私の場合は、その人という総合的な1つではなく、1人の人間に対してその人との行動の数だけ、プラス・マイナスゲージが用意されており、単純に、幸せを感じているプラスゲージが多い行動は共にするが、ストレスを感じているマイナスゲージが多い行動は共にしないという判断になります。

例えば
Aさんとは、性的な面ではプラスが多く相性が良いので性行為を行う。旅行や外食も相性が良いので一緒に行きますが、飲み屋に遊びに行くのはお互いの楽しみ方が噛み合わずマイナスゲージが高まりストレスなので一緒に行かない。一緒に住むとなると生活リズム・家のこだわり・タイミングなどが合わずストレスが高まるので同棲もしない。

Bさんとは、性的な面では相性が悪いので性行為はしない。他の遊びや同棲でも相性が悪いのでしない。物事に対する感性が近く、深い対話をする際はプラスが高まり、相性が良いのでよく深い長話をしたり相談し合ったりする。

Cさんとは、性行為はしない。旅行・外食・飲みなど遊び関係の相性は良いのでよく色んな所に遊びに行く。同棲もしないし、特に深い話もしない。

Dさん・Eさんとは、性行為をする。同棲の相性が良いので一緒に住む。遊びなどは頻繁には一緒に行かない。

など、同じ人でも相性が良いポイントが細かく違ってきます。幸せを感じる相性が良い行動しか共にしないのでストレスが溜まることがなく、常に穏やかに過ごしてます。
共に何をして過ごすかはそれぞれバラバラですが、全員に対して人としての愛情を持っており、全員大切な人なのです。誰が1番特別かなど決めることなどできません。皆、心の底から気を許せる仲で信頼しています。

お互いに好きなタイミングで、お互いがそうしたいと思った時だけ共に過ごす。
自分以外の他の誰とでも性行為をしても構わないし、誰と住んでても構わない。私は恋愛はしませんが相手は好きなように別の人と恋愛や結婚をしてても構いません。

一般的な関係性で言い表すと全員自分とは『友達』なので、こうしなくてはいけないというルールは1つもありません。常に本心に従い自然体で気が向くままに行動した結果、共に過ごす部分があるといった感じです。
何にも強制されることなく本心で共にいる仲なので必然的に絆は強くなります。

「ヤキモチは妬かないの?」と聞かれることが多いのですが、恋愛的なヤキモチは一切妬きません。
一般的なやきもちの認識は「相手を大切に思うからこそ妬く、やきもちを妬かないという事は相手の事を好きじゃないんだ」といった感じですが、私はそうは思っていません。

ヤキモチとは、相手を好きな気持ちだけで湧き上がる感情ではなく、様々な要因があります。
例えば『付き合っているなら他者とは性行為をしてはいけない』というルールに則って恋愛をしているとして、他の人と性行為をしていることが判明したら、そのルールを破られてしまったという裏切られたことへの悲しみや恨みがヤキモチを引き起こす原因になります。
付き合っていない状態でも好きな人に対してヤキモチを妬いてしまう場合「もし付き合うことができたなら私だけの物にできるのに、誰にも触らせないのに」といった制限をかけることへの達成されていない望みがヤキモチに繋がります。

私の場合は、前にも述べた通り恋愛のルールなんかに則りませんし、初めから自由な選択肢を持った関係性で約束事など無いので裏切りも何もありません。
そして『どんな関係だろうが、他者の判断や行動を制限する権限は誰も持っていない』と心の底から思っています。
それに相性の良い仲間達はそう簡単に見つかるものでもなく、生きる為にとても大切なので、他人の為にそう易々と仲の良い人との縁を切るべきではないと思います。

なので、相手を制限しようだなんて1mmも思っていないのでヤキモチを妬くことはないんです。誰にも制限されることなく自由に行動できるのが幸せであるという考えなので、常に自由な選択を与えることが私にとっての愛情です。

どんなに自分が一方的に相手と相性が良いと思っていても、相手が私と相性が悪いと思っていたら、ストレスを溜めさせてまで自分といて欲しいと思うことは一切ありません。
自由な選択の上、私と関わらなくなったとしてもそれが幸せに向かうためのその人の判断ですから心の底から納得します。

逆に「ヤキモチ妬かれないの?」と聞かれることもありますが、
私に対してヤキモチを妬く相手とは、共に過ごす相性が悪いので、そもそも一緒に過ごすタイミングがありません。
ヤキモチを妬く人や制限し合うルールが悪いと言いたいのではありません。
愛情の形は人それぞれだと思いますので、愛情に対する考え方が違う『私』と共存するには、ストレスが多く、相性が良くないから、お互いの幸せのために共に過ごすことは無い、別の相性が良い人と共存した方が良いというだけの話です。

相性の良し悪しについて


・『嬉しい』『楽しい』などの幸せを感じるとプラスゲージが増え、ストレスがかかるとマイナスゲージが増える。
・自分が欲している何かを受け取ると、プラス。
・自分の為に相手に何かを与えると、プラス。
・相手の為に何かを与えると、マイナス。
・他人と関わる時は、一つ一つの行動にプラスとマイナスの交換があり、人間関係とはその取り引きの連続である。
・お互いに最低限同価値のプラスを対等に交換し、マイナスが上回らない取り引きができる状態が人間関係において相性が良いと言える。

分かりやすく物で例えるとすると

欲しい物をゲットしたBさんはプラスゲージが増えてますが、欲しい物をゲットできなかったAさんはマイナスゲージが増えただけです。この行動は、Bさんにとっては相性が良かったですが、Aさんにとっては相性は悪い。良い人間関係とは言えません。
こちらのパターンでは、お互い欲している物を与え合っていますが、Bさんが与えたリンゴの価値よりも、与えられたオレンジの価値が低く、マイナスゲージが高い状態になっています。ちなみにここでいう価値とは一般的にではなく自分自身の感性が基準となっています。

分かりやすく単純な物々交換で例えましたが、他にも、行為×行為、行為×感情、物×感情、物×行為など、何を取り引きするかは状況により様々です。

実際の人間関係は無意識下での交換があったり、本心を深層心理に閉まっている場合、自分では何を求めているのか理解しないまま取り引きが成立してたり、かなり複雑なものですが、
要は人間関係とは、何を欲しているのか何を与えられたのか、何を与えるのか、それらの自分が思う価値の大小、取引内容によって、相性の良し悪しが決まるということです。

お金について


『仕事』『商売』というのは、単純にその人間関係の取引内容の一方が『お金』である状態を指しているだけであり、普通の人間関係と何も変わりません。
感情や行為や物などは、人の感性によって価値の大きさがかなり変わってきますが、『お金』はその、人それぞれの価値の認識を一律にするとてもわかりやすい物です。そして生きる為に必須な事柄はほぼお金で手に入るため、『お金』=『生きる力』です。
お金が絡むと『お金の関係』と蔑んだり毛嫌いする人が多いですが、とても便利で生きる為に重要な代物であり、まず強く欲するのは当たり前の事だし、そもそも感情や行為や物などと交換するのと何が違うのだと私は思います。


ザッとになりますが、これらが私が思う人間関係の形となります。
私の考えが少しでも伝わると嬉しいです(^^)

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