noteピックアップ2021.5.24-5.30
今週のピックアップです。勝手に始めたこのシリーズも19編目になりました。漠然と読むよりも、その時々で引っかかるものが変わってきます。
「好き」が怖くなったからこそ、「好き」を大事にしたいと思えた話(長田 涼)
「好き」は、小さい頃から最も向き合ってきた感情だと思う。大事な意思決定ほど「好き」を尊重したし、他者が持つ「好き」を知ることも好きだったし、自分が「好き」のなかで過ごす時間がなによりも楽しかった。
大切に育んできた感情だからこそ、このテニスでの経験は僕にとって大きなインパクトとなった。気持ちが整理できず、だけどあまりそれを表情には出さず、静かに落ち込んだ。”情けない”と思われたくなくて、誰にも「燃え尽き症候群」のことは話せなかった。
好きだからこそ、好きなことを認識しているからこそ受け入れ難い感情。「好きなことをやれているんだから」と自分でも思うし、他人に対しても出てしまうことがある。作者の方と似たような状況は多くのところで起こっていることでもあるかなと思います。下級生の時から試合に出ていて、「さあ、最終学年」というようにこちらの期待だけが勝手に膨らんでしまうこともあります。
好きな気持ちがつぶされる日本のユーススポーツ(yuki hata)
野球が好き、やってみたい、試合を楽しみたい。この気持ちでスポーツをしている人間にとって
「今の苦しみは社会に出てから役に立つ」これほど的ハズレな言葉があるだろうか。
この言葉、強く共感します。「将来生きてくるから」とか「社会に出てもあるから」というのはその時に感じることであって、今の時点で認識しながらやることではないと思うんですね。「経験になるから」というのも一緒。
息子は高校で野球を辞めるそうだ。才能がないから、というのがその理由。
才能がなければいくら好きでも続けることができない。好きの気持ちはどこにも消化されず、くすぶったまま。
部活じゃなくてもやれる場所は沢山ある。
だけれど、そう思わせてしまう状況を部活がつくりだしているということ。
それもスポーツだ、という人もいるかもしれないけれど、もっと多くの側面がスポーツにはあります。それを忘れてはいけないと関わる身としては改めて感じます。
サッカー界のデータ化と指導者の今後
(Tomonori Tsuda)
最初にも書いたように、経験則だけで指導に当たっている指導者にとって、データを用いて検証し、伝える事が当たり前になっていく今後は、茨の道かもしれません。当然、データをどのように活用すべきかわからない指導者も然りです。
データvs経験則、ということは起きうるところです。経験則によるところはある程度のゴールを描くことができている部分があるので、変えることによってそこに到達しなくなることを嫌うところがあるのではないでしょうか。そう言う中では「こうしたらもっと強くなれる、しっかりできる」という視点の提案は必要かなと思います。
データをどう見せるか、伝えるか。これもとても大事なところだなぁと過去を振り返ると思い当たることが沢山あります。
競争相手は他人じゃない。縦型比較で個性を伸ばす(あっちゅん)
藤原秀之監督の指導スタンスは、各選手の個々の成長や個性を見ていく「縦型比較」で、他の選手と比べる「横型比較」はナンセンスだと思っているタイプでした。
高校でラグビーをする理由は、人それぞれではありますが、大枠として「うまくなる」ことが大きな方向性なので、試合に出るか、出ないかは、「うまくなる」ための構成要素に過ぎません。
もちろんみんな試合に出たいから日々の練習を頑張る訳ですが、「うまくなる」を大目標に据えていれば、大きな試合に出れなかったとしても頑張る動機になります。
最終的にはチームが目指すゴールに向けてそこに自分も一員として立つ、ということがもちろん目標としてあると思います。しかしながら、そこに選ばれなかった時点で何をするか、自分にベクトルを向けるという言い方もありますが、それを実行できる強さが土台になっているんだろうと思います。
あとがき
今週もありがとうございました。今日は晴天も荒天も両方浴びました。5月も終わりですね。
かつて不要不急だったものが今もそうであるか、は時々見返してみる必要がありますね。
今週の記事
数字のデータだけですが、日本代表とも対戦するブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズのツアーメンバーの体格をまとめてみました。