双方不戦敗や不浄負け~大相撲の歴史を覗く-2~昭和(戦前)期までの幕内力士の体格と気になる話
大相撲力士名鑑からの数字まとめも昭和まできました。昭和の戦前までで括られているので、今回はそこまでを抽出してみました。「双方不戦敗」といった珍しい結末や、「不浄負け」なども起きています。
出典
「大相撲力士名鑑令和二年版: 明治から令和までの歴代幕内全力士収録」
https://www.kyodo.co.jp/books/isbn/978-4-7641-0716-8/
国技館が開場してからの幕内全力士のデータが収録されているそうです。
前回まで
明治・大正期の体格データは今回のでも確認ができますが、三河島事件や春秋園事件などについてはこちらに記載しています。
ここまでの掲載力士数は
明治:92名 ・ 大正:69名 ・ 昭和(戦前):142名
この時代には、69連勝の記録を残している双葉山関も登場します。
全力士平均でみていくと着実に大きくなっていますね。しかし、横綱・大関に昇り詰める力士の方は昔から大きい。。他の番付に比べて人数も少なくなるので、個々の特徴も影響すると考えられますが。
・身長、体重
・BMI
・幕内在位数
・ラッキー入幕
前回の記事の中で取り上げた春秋園事件の影響はここにも残っていて、「ラッキー入幕」と評されている力士もいました。そしてこの時代にも廃業後はプロレスへの転向以外にも探偵になったり、ホテル経営に携わった方もいるようです。
・悲運・不運
全体の数として多くはないのですが、空襲でお亡くなりになった方、戦地に赴いたという記載もあります。講評欄には「戦争がなければ、、」といったものもあります。また、フグでお亡くなりになったという力士の方も数名いました。
・双方不戦敗
昭和14年春場所、鏡岩関と盤石関の取組では水入りとなったのちに、両者取組疲れで棄権。双方不戦敗の記録が残っています。こちらの記事によるとか鏡岩関が棄権を申し出た際に盤石関も棄権したとのこと。
この昭和14年1月場所は4日目に双葉山関の連勝がストップした場所でもあるようです。
https://www.ozorabunko.jp/books/historypocket/read/p22.php
・不浄負け~まわしが外れて黒星
昭和21年、京都準場所にて五ツ海関は不動岩関との一番でまわしが取れて黒星になっています。「事件」は戦後になりますが、戦前に在位していた力士のトピックということでここにあげておきます。
こちらの記事によると、大正時代にもあったようですね。
なお、不浄負けは
『相撲の取組中に廻しの前袋が偶発的に外れて陰部が露わになることであり、露わになった側の力士が即座に反則負けとなる。』(Wikipediaより)
適用される条件は
「取組の途中に」「相手の故意以外の原因で」「前袋が外れて」「局部が露わになる」(Wikipediaより、リンクは同上)
ちなみに、こちらの記事では五ツ海関の場合には決まり手は「寄り切り」となっています。まわしはおそらく外れたのかもしれませんが、即座の負けにはならなかったということでしょうかね。
・力士につけられた「あだ名」
「月の輪熊」:寶川 関
「暗闇の牛」:伊勢ケ濱 関
「超重機」「つりの名人」:肥州山 関
「キングコング」:冨ノ山 関
「怒り金時」:名寄岩 関
「消防自動車」:鹿嶋洋 関 など
明治・大正期よりも数が随分と増えたのですが、色々な逸話から当時の時代も見えてきます。少しずつ名前を知っている力士も出てきたり、しこ名に反映される地名にも反応してしまいますね。
次の昭和期(戦後)はなかなかに長い、、、少しずつまとめていきます。
つづく