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「非日常」は誰かの日常にお邪魔して成立している

日常のリズムを単調に感じたり、隙間時間がなくなったように感じると非日常を味わいたくなる。映画等選択肢もあるが、ちょっと都心から離れるというのが自分では多い。正直、行って何をしているかと言われると大したことはしていない。ご飯食べてそこでボーッとしているだけのこともある。景色もそうだけど、そこに流れている空気や気配が好きなのだろう。大体行くところも似ている。

その空気を生み出してくれているのはそこに生活している方々の日常だ。もちろん自然の恩恵もある。そこで生活をしている方々にもその恩恵はあると思う。だけど、自分が感じているような心持ちではないだろう。そこで生活をしている。その生活感が非日常をもたらしてくれていて、それを味わっている。

それは立場を変えたら都心だって同じだ。沢山の喧騒や賑やかなものがあっても、嫌だと思っている電車や街の混雑だって誰かにとっては刺激的かもしれない。

そこに住みたい、と旅先で思うのはその瞬間の自分が欲している部分に触れているからこそ思うことでもあって、目にしていないものが沢山ある。そして昨今のこの状況ではそういうことまでには気が及ばずに、閉店や閉鎖などのお知らせを悲しんでいるだけでもあるんだろうと思う。

それに非日常に到達するまでのプロセス、これも大きいんだろうなぁ。


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小平健太郎
読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。