少年はやがて大人になって
残暑の続くなか、台風14号が日本列島を横断した。台風が過ぎ去ってから気温がぐっと下がった。
未練たらしい夏の暑さを台風が吹き飛ばしてくれた。
ただ、天候はぐずぐずで、空はつねに雲に覆われている。こうなるとむしろ夏の陽射しに未練を感じてしまう。
季節の移ろいは、僕らの心情にも微妙な変化を与えた。そのような変化が僕らを感傷的にさせる。
眼や肌で感じる景色の変化が心象風景にまで作用した。
四季を愉しむ美徳の精神が僕にもあれば、あるいはこんなレトリックなんて求めなかったかもしれない。
さて、秋といえば、
読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋……等々さまざまに言われる。
要するに、何をするにしても過ごしやすい季節だと、そういうことだ。
何をするにしても。
例えば旅行。これはたしかにしやすい。
夏、ひとりで京都に旅行し、強い陽射しのなか熱中症気味でフラフラの状態で酒を飲んで、これまた酔いの中でフラフラになって、ホテルに帰り、その勢いで誰かに電話して、デレデレの状態を通話越しの相手に晒すだけでなく、翌日、二日酔いと熱中症とが重なって観光どころではなくなって終日ホテルにいるなんてことは、秋になれば無くなるだろう。
秋になれば紅葉狩りなども良い。
春に芽吹き花咲かせ、夏に新緑の葉が繁り、秋に紅葉、冬に落葉、といった落葉樹の生長スタイルを愉しむことが、僕らにとって季節を感じるための最もポピュラーなイベントのひとつとなった。
はしご酒なんかも良いだろう。
都内であれば、そうだなぁ、例えば中目黒なんかではしご酒してみたい。
目黒川は桜の名所だが、秋冬もそれなりの風情がある。
ほろ酔いで夜中に散歩して、気づけば1時間も2時間も歩いてた、みたいなこともしたい。
秋の風に包まれながら、火照った体を冷ますのはさぞ気持ちがよかろう。
ところで、本日9/23は秋分の日だ。
祝日なので会社もお休みだ。
秋分の日は「彼岸の中日」とも呼ばれる。
仏教の世界では、生死の海を越えた悟りの世界を「彼岸」といい、僕らがいるこの俗世界を「此岸」という。秋分の日は昼と夜の長さがちょうど等しくなることから、彼岸と此岸の距離が最も近くなる日とされ、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」として、国民の祝日となった。
ちなみに秋のお彼岸は、秋分の日から前後3日を含めた7日間のことを指す。秋分の日は、この期間の真ん中に当たる日だから「彼岸の中日」と呼ばれるわけだ。
というわけで、昼夜の尺からみて秋分の日は1年の中で最もバランスのいい日だ。
しかし、季節の移ろいはいつも動的で不安定だ。
外はもうだいぶ涼しくなった。
じりじりと肌を刺すような夏の陽射しも、今となっては秋の香りを湛えはじめた。
柔和な陽射しが穏やかさを呼んだ。
街へ出た。穏やかさのなかを闊歩した。
斜め前を少年が歩いていた。
少年の歩くスピードは僕と同じだった。
まだ子どもなのに大人の僕と同じ速さで歩いていた。
少年はひとりだった。
このあと友達と遊びに行くのだろうか。それとも習い事か。ひょっとするとおうちでゲームかもしれない。今の子どもたちはどんなゲームをするんだろう。僕はドラクエ8と桃鉄とプロスピ以外ゲームを知らない。
少年はしっかり前を向いて歩いていた。
少年の歩いて行く先に何が待っているのだろう。
少年の後ろ姿がどこか大人びて見えた。
僕は少年に声をかけようとした。
がんばれよ!とひと言。
だが、やめた。心の中で呟いた。
そうやって大人ぶった僕は少年の横を通り過ぎた。
通り過ぎるとき、少年は一瞬僕に微笑んだ。
気のせいかもしれないが、僕はたしかにそう感じた。そのとき夏の残り香が微かに鼻腔をかすめた。
少しして後ろを振り返った。そこにはもう少年の姿はなかった。
暑かったあの頃が懐かしく思えた。
少年は夏の象徴だった。
今日は暑くも寒くもなかった。
もう、あの少年はどこにもいない。
今日は昼夜が等分された日だ。
明日からは昼よりも夜が長くなる。寒さも増していく。
あの少年もやがては大人になる。
そういえば、お彼岸を表す言葉がまだあった。
「暑さ寒さも彼岸まで」
少年に伝えたかったことがまだまだたくさんあった気がした。
ではまた。