実はただの影
音楽の対義語は建築だなんて言ったらそこそこウケた。で、建築の対義語を訊かれて答えに詰まって情けなくなった。
詩人だか建築家だかが、たびたび建築を「凍れる音楽」などと形容するが、そんなことが僕の頭の隅っこにあって、ただちょっと独り言を呟いただけだった。
「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」とは、イギリスの元首相チャーチルの名言だが、「政治」が先天的に備えている悲劇性を嘆いているように僕には思えた。「政治」は神の遊戯で、人間は「政治」の盤上の駒。あらゆる政治の主体は自分が神かのように錯覚している。だから政治はトラ(tragedy:悲劇)。
リストのラ・カンパネラを聴いて何も感じない人がいるだろうか。超絶技巧の連続、有機的な滑らかさと幾何学的な旋律、終盤にかけての静謐さとクレッシェンド。……体の中に鍵盤を埋め込まれたかのような直接的な衝撃が走る。ピアニストが叩いているのは僕の中にある鍵盤ではないか?
9月の雨。安穏な生活を予感する、雨。穏やかさが漂う9月。秋の風に包まれながら、吐き気を催す。眩暈がする。あぁ、気持ち悪い。電車の車窓に映る自分。背後には相変わらず奴がいる。黒のボロ雑巾みたいな格好で、袖から覗かれる腕は人工物みたいに骨張っている。指は奇妙に長くて、常に大きな鎌を握っている。青白い顔に比較して目だけはやけに澄明な印象を与える。表情という表情はなく、常に僕の右斜め後ろに佇む。こいつは、あれだ。死神とかいうやつだ。先週からずっといる。話しかけてもみたが、特別な反応を示すこともない。この超自然的な状況に初めは慌てもしたが、数日経てばなんてことない。今ならどんな状況も受け入れられるだろう。たとえ目の前に突然、死んだはずのマイケルジャクソンが現れたとしても、僕がこれまで何年も練習を重ねたムーンウォークを披露してやることくらいは造作もない。ただムーンウォークをした場合、死神が誤って前進してしまうかもしれない。その場合、僕は歩いてるようで実は後退し、死神は前進するので、衝突事故を起こしてしまう。死神との接触はまだ避けたいところ。やはりムーンウォークはやめて、素直に「ポーッ!」と叫ぶだけにしておこう。
「幸福だから自由を感じるのか。自由だから幸福を感じるのか」
ジャン=リュック・ゴダールの『小さな兵隊』での台詞。
「特定の誰かにしか手に入らないものを幸福とは呼ばない。誰もが手に入れられるものを幸福と呼ぶの」
是枝裕和の『怪物』でこんな一節があった。
「幸福とは、日々経験されるこの世界の表面に、それについて語るべき相手の顔が、くっきりと示されることだった」
平野啓一郎の『マチネの終わりに』の一節。
「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです」
太宰治の『人間失格』の一節。
幸福、という言葉に敏感なのか、映画や小説に出てくるとそればかりが印象に残ってしまう。幸福に囚われた自分への憐憫で泣きたくなる。
で、そんなしょーもないことで泣いていたら、後ろにいた死神も一緒に泣いていた。死神の泣き方はこの世のものとは思えないほどに奇妙で、またとてつもなく悲しげで、死神の流す大粒の涙で部屋が溢れそうだった。いつか部屋からも涙が溢れて悲哀に満ちた海となって街を飲み込んでしまうのではないかと思われた。
本当にこの世のものとは思えない泣き方だった。でも、そもそも死神自体が浮世離れした存在なのに、泣き方くらいで驚くなんて僕もまだまだ死神慣れしてない証拠だ。
死神が憑いてから数週間経ったある日、部屋で「音楽の対義語は建築だよなぁ」なんて独り言を呟いたら、死神が笑った。笑い方が奇妙だったことは読者諸氏もすでに想像しているだろうから割愛する。で、笑った次の瞬間には「建築の対義語はなんだ?」なんてギリギリ聞き取れる低音voiceで訊いてきやがったから、絶句ものである。僕は建築の対義語なんか考える余裕もなく、驚きと好奇の目で死神を見つめることしかできなかった。
都内某所。冷たく乾いた風が体の芯まで凍らせる。駅に設置されたピアノから「ラ・カンパネラ」が流れてきた。以前からこの曲が好きな僕は、演奏される音楽に身を任せた。ふと目の前のガラスに目を移せば、僕の後ろで死神が音に合わせて身体を動かしていた。動きの奇妙さはギネス級。あまりの恐怖に僕の身体は音楽を忘れてただ震え慄いていた。
「花はトラだろう」
「案外コメってこともあるぞ」
「靴は?」
「トラだな」
「ほぉ、じゃあ政治は?」
「政治はトラだね」
「そうか? 俺にはコメにしか思えん」
「ヒトラーはコメだと思うよ」
「いや、ヒトラーこそトラだろう」
「まぁ、いいや、太宰治はどっちだろう? やっぱりコメか?」
「どうだろうな、太宰を嫌った三島由紀夫はコメだろう? てことは太宰もコメだったりしてな」
「それには賛成だ」
はたして、僕は死神との生活にピリオドを打てるのだろうか。今のところ実害こそないが、迷惑はしている。最近は急に話しかけてくるようになったし、低音voice過ぎて、かなり耳障りだ。
メタファーでもなんでもなくて、ある日、僕に死神が憑いた。
右手に持っている鎌を振り下ろす日はいつ来るのだろう。あの鎌で僕は斬られるんだろうけど、どこを斬られるのだろうか。首か? 腹か? まぁどこでもいいけど、中途半端なのはやめてほしい。刃が途中で止まるとか、そういうのはやめてほしい。ザクッと綺麗にやってくれ。
とにかく、これ以上死神と仲良くなるのはやめておこう。お互い情が残っても後味が悪い。死神にそんな感情があるのかは知らないが。
ではまた。