「休みの日の朝マックにて」
これからの投稿を勘違いしないでよんでほしいのですが、
金や銀はたまた鉄は、高熱にして不純物を取り除いて、初めて純正品ができる。
私達が住む社会には、やはり民主主義という濾過器が必要だと思う。それは、独裁制という長年の失敗を受け継いで、やっとここまできた制度。もちろん、それが社会の歪みを是正する上で最低限の制度であると申し上げたい。
そして、純度の高くなった共産主義ならば当然に民主主義的な制度をとらなければいけないであろう。しかしながら、現在の共産主義者等が語る制度の中には、最低限と言われるこの国で大切な民主主義を反故にされているような気がして仕方がない。その不信感の中で、どうしたらより良い共産主義が形成されていくのか疑問である。
現在の状態では、かっての東側諸国にあったような独裁主義覇権主義体制ができるだけではないのか、、、。
最後に、彼等が語る共産主義が、現在の民主主義という濾過器の中で淘汰されていくのならば、所詮そこまでの制度と言わざるを得ない。現在は、色々な立場の人が試行錯誤を繰り返している状態である。そして、共産主義という制度も試行錯誤するべきだと思う。ただ、試行錯誤を繰り返しているうちに消滅するならば、それはそこまでの制度であると言わざるを得ない。
最後に、エンゲルスやマルクスをはじめ小林多喜二や伊藤千代子等は、純度の高い共産主義を目指していたのだろうと私は思っている。