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継ぎはぎ靴下と僕とダーニング。

買い物をする上でひとつ気をつけていることがある。今買おうとしているその物は自分で修理できる代物かどうか。

必要で修理できる物なら迷わず買う。修理できない物なら少し考える。

自分で修理できない物は、当然だが壊れたら他人に修理を依頼するか、ゴミにするしかない。そして大概その修理費は新品を買うか迷うほどの費用がかかったりする。当然、ゴミにするという選択をした場合は、新品をまた同じかそれ以上の価格で購入し直すことになる。そしてまた壊れる。そしてゴミを買った事と、地球上にしょうもないゴミを増やした事に後悔する。

だからほとんどの場合、僕は自分で修理できない物は買わない。例外としてはパソコンと車ぐらいか。ちなみに携帯電話というものは持っていない。蛇足になるが、スマホの支配から抜けると随分と日々の暮らしが自分本位で余裕が出来る。皆さんにも是非お勧めしたい。

さてさて、寄り道したところで本題に入るとしよう。今日の主役は「靴下」だ。靴下は消耗品である。擦り切れたり、穴が空いたら新しい物を買うのが世間の常識だと思う。ほぼ毎年買い換える代物だ。

だが、靴下は本体の1/20にも満たない穴やほつれで、残りの無傷な19/20をも捨てられてしまうのは非常にもったいないと思うのは僕だけだろうか?大量生産大量消費のこの世の中で、この「もったいない精神」は弊害でしかないのかもしれないが、それでもそれはもったいない。

産業革命が来る前は衣服は高価なものだった。ゆえに、自分でしつらえたり、穴が開けば継ぎはぎをして衣服とは長い長い付き合いだったのだ。時にはそれが(継ぎはぎが)貧しさの象徴でもあったりしたが、それでも人は衣服の修理を繰り返した。当時の世の中の人々の「エコさ加減」は現代の何十倍も高度な意識を常識としていた。

だが、現代は資本主義活動の環境破壊の末に、自分達にとって非常に不都合な未来が来るとわかると、SDGsなどと称して「持続可能な目標」とやらを叫び始めた。僕には綺麗事にしか聞こえないが・・・

ただ、綺麗事は時によって有用なものだ。その一例として今日は「ダーニング」という言葉を紹介したい。日本語は「継ぎはぎ」だ。衣服のほつれや穴ボコに色とりどりの糸を紡いで塞ぐと、その「ダーニング」は現代のエコオシャレ的なアートに生まれ変わる。

大事なことは「継ぎはぎ」と言わずに「ダーニング」という事だ。それは貧しさの象徴から、エコとオシャレの表現と変わる。

このダーニングを覚えると、靴下などの穴ボコは半永久的に継いでいける事になる。

エコにオシャレに

3年前にワークマンで買った僕の靴下。毎年ダー二ングを重ね、年々エコでオシャレになってゆく。

そしてどんどん愛着が湧く。

どう?僕の靴下!

どこまで付き合うかわからんけど、これからもよろしくです。



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