歌について
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音に触れ続けた日々
裏方の苦労を知る日々
気持ちを込めるのが歌なのか
気持ちを抑えるのが歌なのか
本当の意味での伝える歌とは何なのか
自問自答が続いてる
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少し前に仲間が「歌」について
noteに綴っているのを読んで感心した。
感想を伝えると、僕の意見も読みたいと
言ってくれたので、ペンを持つ(笑)
noteを始めてみようかなと思っていたので、
良いきっかけをもらった。
誤解を招くような拙い文になると思うが、
悪意は無いし、全ての同業者には最大の
リスペクトを持っている事を先に宣言しておく。
また、自分は文を書くと無駄に長くなり、
結局何を言いたいのかよくわからないことが多い。
読み流す程度の気持ちで読むのがベストだと思う。
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さて、本題に入る。
自分自身の「歌」についての考えは
ここ数年で大きく変わったように思う。
この変化を語る上で、昔話をせざるを得ない。
当時の事や、私情・関係のない話まで
出てくると思うが、許してほしい。
「感情を押しつけてくる歌はクソくらえだ。」
「音楽をどう感じるは聴き手次第で、歌い手の
感情や気持ちを押しつける歌は独りよがりだ」
このような感情を強く持ち、そんなやつと
仲良くする気は毛ほどもなかった20歳の自分。
当時は特にそんなバンドが多い時代だった
(自分が出入りするライブハウスだけかもしれない)
こともあり、当たり前に誰も寄せ付けない
寄り付かない、典型的な1匹の狼だった。
自分は歌を上手く歌う事を何よりも重視していた。
※この記事で言う『歌が上手い』とは
音程(ピッチ)が正確に合っていることであり、
ビブラートを〜とかしゃくりやフェイクが〜などの
技術云々の話ではない。
とにかく自分は歌を上手く歌う事を他の何よりも
優先していた。YouTubeで広瀬香美さんが
「プロなんだから、音程は合ってて当たり前」
という発言をしているのを見て、自分の感覚は
間違っていないんだと思ったりもした。
少なくとも関わってきた同業者の誰よりも
シビアに考えて歌っている自負があった。
ただ、LIVEでは共演者に勝てない。
自分よりピッチの正確率が悪い歌に負ける。
もちろん理由は沢山あるし、
何を言っても全て言い訳である。
全ては自分の努力と実力不足。
LIVEの魅せ方や動き、エモい言葉、
MCとの緩急などを上手く駆使し、
お客さんを盛り上げる。
俗に言う《LIVEが上手い》人たち。
「歌」を歌えてないのに何言われても響かねーよ。そんなMCは売れてからやれよ。
まず上手く正確に歌えよ。
そんな斜に構えた感情を剥き出しにして
本質を見ようとしなかった。
今思えば、ただ逃げていただけなのかもしれない。そう、当時の自分は歌う事で精一杯だった。
自分にできないことをする人に対して攻撃的になる
一番ダサいやつだ。
当時はそれがわからなかった。
自分の方が正確に歌っているのに
今日も負けたと思う日々。
頭で理解はしていても
納得できない状態が数年続いた。
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そんな自分に転機が訪れたのは22歳の頃。
「Kenくんは絶対に弾き語りもした方がいい」
と先輩に言われて、少しずつ弾き語りで
LIVEに出演するようになる。
そこで出会う、バンド界隈では
出会ったことのない考え方や歌い方の人たち。
尖っている自分に声をかけてくれる
物好きな人がちらほらと現れるようになった。
そんなある日、
自分の考え方が変わる決定的なものを
目撃する・背中で見せてくれる先輩との出会いが
あるわけだが、ここの部分はすごく長くなるので
またの機会があれば書きたいと思う。
紆余曲折あって、なんだかんだで自分と
関わってくれる人が増えた。
すると不思議なことに、自分ももう少し
人と関わってみようと思うようになるものだ。
結局寂しかったんだ。均衡が崩れると、嘘のように
人と話せるようになった。
やはり自分は音楽が好きなんだ。
同じ好きな事をしているのに、なぜ斜に構える俺。
自分はもっといろんな人と関わり、話すべきだ。
ついつい自分からシャッターを降ろしてしまう。
どんだけわがままなんだ俺は。
しっかりせい。
そう思い、今更遅いとは知りながら
勇気を出して人に話しかけるようになった。
余談だが、これで人見知りが改善された。
今の僕を知る人からすると
意外と思われるかもしれないが…。
幸い、その頃は先輩と共演する機会が
多かったので、尖ってるのを「若いな〜」程度で
笑って流してくれる優しい人がほとんどだった。
関わった人たちからは
本当に沢山の事を学んだ。
勉強させていただいた。
結果、繋がりが増えたのも事実だし
得たものはとても多い。
そんな中で
感情をぶつける歌を歌う人と
仲良くさせてもらう事も
増えたと言っていいだろう。
そんな方達のLIVEを見るようになって
気づいたことがある。
感情をぶつける歌が
歌い手の素性を知った上で聴くと
泣けるほど感動するということ。
歌う言葉が作り話なのか
リアルなのかはわからない。
でもその歌にはドラマがあった。
ピッチが最優先ではないと初めて感じた。
ただ、やはり音程の正確性は重要だ。
僕が感動したのは、歌い手とのこれまでの
関わりがあり、素性を知っているからだ。
この手の歌でリスナーに響かせるには、
まず自分を知ってもらう必要があると感じた。
仲のいい仲間を感動させても上にはいけない。
自分は何よりリスナーに感動してもらいたい。
そして自分の素性を知らない人間にも
聞いてもらえる歌でなければならない。
やはり音程の正確さは大事だと思いつつ、
自分のやり方で、気持ちを押し付けすぎず
上手に感情を乗せられるようになるのが
自分の理想だなと思った。
それからそれらを踏まえて試行錯誤を重ね、
現在の考えに至る。
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現在の自分は
『上手く歌う』と《上手くLIVEをする》
のバランスを考えながら歌っている。
これは伝えるのが難しいが、
こう表現する以外に説明しようがない。
「絶対に音程を外さないようにしよう」
とは思わなくなったが、
全く気にしていないわけではないし、
練習ではむしろ昔よりももっとシビアに
意識して歌っている。
ただ、「ここは気持ちを伝えたい」って時に
音程よりも感情を優先する場面が
増えたように思う。そういう時に崩れないように、
練習ではもっと追い込んで音程を意識するわけだ。
この『上手く歌う』と《上手くLIVEをする》を
両立できているのが本物だと思うわけだが、
それを実現できている人は今のシーンでも
本当に少数だと思う。
僕が見るに、ほとんどの人がどちらか片方だけだ。
そして、自分もまだまだ全然1%もできていない。
言葉を選ばずに誤解を恐れずに言うと
《感情的なだけ》と『上手いだけ』
なわけだ。
これを完璧に両立するには『上手く歌おう』と
思わなくても既に上手い必要があるように思う。
そんなところに既に意識が向いていないほど、
当たり前に上手いからこそ、細かいテクニックや
遊び心が味になり、言葉に説得力が生まれる。
つまりこれを実現している
玉置浩二さんが最強なわけだ。
そう、長くなったが俺も結局は
これを言いたいわけだ。
歌が上手い人は?と聞かれただいたいの日本人の
頭に浮かぶのは彼だろう。
つまり自他共に認める日本一なわけだ。
(一応異論は認める)
悔しいけど、現状自分は
何も日本一ではない。
そんな漠然とした大きな夢をいきなり見れるほどの若さは持ち合わせていない。
けど、まずは今の自分がいるシーンの中で、
誰よりも
『上手く歌う』と《上手くLIVEをする》
の両立が実現できている
ボーカリストになりたいと思うわけです。
そう思うこと自体が『上手く歌おう』と考える側の
人間じゃね?結局それって尖ってた頃と
変わってなくね?
っていう意見は受け付けません(笑)
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いや、冒頭と最後で口調かわりすぎやん?
だってしゃーないやん…。
書くのに2日ぐらいかかったんやで…。
これからもたまに更新できたらなと思います。
書いてほしい話題とかあれば教えてください。
基本尖ってる意見だと思いますが←
いやぁ〜こういうやつ本当にダサいよね。
こういうやつ嫌いです。
でもまあこんなやつが歌ってるから
何かを感じてもらえる事もあると
すこーし信じています。
今日はこの辺りで。
ほなほな。