元ひきこもりのゆとり世代が考える今
最近のニュースはショッキングな出来事ばかりだ。
家にいても今まで知らなくてすんだことを簡単に知ることができる。
だけど対面で他人と何かをする時、見えているはずなのに知らないことばかりで、なんだかよくわからなくなってきた。
僕は元ひきこもりで、所謂ニートというやつだったのだが、今はひょんなことからひきこもりを卒業して労働者をやっている。
社会に出てみるといろんな発見があって楽しいけれど、自分以外のことを考える必要が出てきて予想以上に体力を消耗するし、人によって考えることがあまりにも違うという当たり前のことを実感し、毎日クタクタだ。
そして疲れた僕は今、『攻めのひきこもり』(世間一般的な言葉で言う休暇)を開始し、この記事を書いている。
自分だけの世界からいろんな人がいる世界へと身を移した僕が今考えていることを即興的に書きだして自分の思考を整理し、ついでにこれを読んだ人が何かを考えるきっかけになればいいなと思う。
1.金について
労働者に慣れ、賃金により最低限の生活が送れるようになり、株式売買に手を出してみた。
なぜ株式売買に手を出したのかと言うと、労働者をしているだけでは裕福な暮らしを送るために必要なお金は絶対に手に入らないと思ったからだ。
僕が子供の頃の夢は動物博士だったり考古学者だったり探検家だったりなんだか本当に夢のある夢だった。
いつからか、近所の土地を買い占めて屋敷を作って池に写るまん丸の月を眺めたり、森に囲まれた家で美味しいお肉や果物を食べながらコーヒーを飲んだり、そういう欲に塗れたことを欲するようになってしまった。
子供の頃に抱いていた世界をよくするみたいな気持ちが少しずつ薄れてしまっているように感じている。
生きるために全力を尽くして、試しに社会に出てみたら、今度は別のことに全力を尽くす必要があることに気づいてしまった。
別にお金なんてなくてもそれなりに楽しく暮らしていけるのに、なんでなんだろうね。
そんなこんなで毎日よく分からない棒を眺めているうちによく分からない数字の羅列を少しだけ理解して、よく分からない会社のことを少しだけ知るようになった。
そんなことをしても時間だけが過ぎていって小遣いしか稼げないことに気づいて毎日よく分からない棒を見ることはやめたけれど、世の中を見る目が変わった気がするから、やってみてよかったと思う。
ところで、僕が10年以上前から愛用しているYouTubeという動画視聴サービスに大きな変化があった。
広告が表示されるようになったことがまさにそれだが、広告に『お金』が絡むものが増えたのが印象的だ。
転職という言葉や投資という言葉や保険という言葉、さらにはマッチング(つまり僕と同世代に馴染みのある出会い系)という結婚に関わる言葉に「月額○○円!!」という文言がセットで付いてくる。
ハッピーセットについてくるおまけですら欲しくならない人間になってしまったのに、なんでもかんでもおまけにお金がついてくるのは懲り懲りだ。
浅い情報であればいつもどこでも誰でも手に入れられるようになって、投資家ではない一般の人たちが使う投資という言葉が目や耳に入ることが増えすぎて気が滅入ることもある。
自分も株式売買に手を出したりしているのに、『お金』という言葉が嫌になってしまうのはどうしてだろう。
増えない資産、上がらない賃金、減り続ける子供の数、僕に必要なものは本当に『お金』なんだろうか。
2.競争社会について
少し前に東京オリンピックがあった。サッカーのW杯と2年おきに開催されるから、僕の記憶が正しければ今から2年前の2020年のことだ。
東京オリンピックの前のリオデジャネイロオリンピックの閉会式では、インベーダーゲームやキャプテン翼やマリオ、僕だけでなく世界中の人たちがワクワクするであろう演出があったことを今でも覚えている。
対照的に僕は全くワクワクしなかった東京オリンピックの開会式。世界中の誰かに配慮したかのような開会式は正直つまらなかった。
SDGs、多様化、コロナ、世界に必要なものは本当にそれなんだろうか。
いろんなメッセージを世界中で送り合う世の中だけれど、楽しいと感じにくくなったし、もしかしたら変わってしまったのは世の中ではなくて僕なのかも知れない。
伝統と文化、エンタメ、バランスを取るのは難しいけれど、僕がワクワクしたかどうかというとても小さな世界だけで考えると、日本はグローバルスターダードという資本主義の勝者だけが参加できるゲームに縋り付くんじゃなくて、独自路線を突き進んだほうがいいんじゃないかと思う。
グローバルスタンダードという言葉を文字にして打ち込むだけで寒気がする僕のような人間が、社会に出てみると新しいことに詳しい人だと勘違いされてしまうような僕の故郷が、国際競争に参加できるのは僕が引退したあとなんじゃないか。
これから生まれてくる数少ない子供たちのために一刻もはやく引退して未来を託すためにも、僕は歯を食いしばって一生懸命頑張らなければならないんだと思う。
3.新しい時代
社会に出て、頭の良さそうな人が来る勉強会みたいなものに出席する機会があった。
X世代、Y世代、Z世代みたいに世代が分けられていて、どうやら僕はY世代に含まれるらしい。
あまり世代で分類するのは好きではないけれど、会話が通じなくなっていると感じるのは青春時代を過ごした時代があまりにも違うことも関係しているのかもしれない。
先日、Instagramのフォロワーが3桁になった。
スマホで録画した短い楽器の演奏動画を編集無しでアップロードしていたらいつの間にかフォロワーが増え、いいねやコメントがつくようになった。
フォロワーのほとんどは外国人で、言葉が通じないのにオンライン上で交流できるのは正直楽しい。
初めたての頃はほとんど何もしていなかったけれど、今ではたまに投稿したりいいねをつけるような趣味のひとつになっている。
最近、多様化とよく言われるけれど、インターネットが普及して情報が平等になった結果情報を見つけやすくなり、皆が安心しやすくなったように感じる。
つまり、隠さず情報を発信しやすくなったことでその情報が誰かの目に留まり、自分は一人じゃないと感じやすくなったんじゃないか。
そして人と人とが簡単で手軽に繋がりやすくなっていて、新しい世界に飛び込んだ気にさせてくれる。
だけど、多くの人がそれぞれコミュニティに所属している一方で孤立や分断という言葉が世に溢れかえっている。ぐちゃぐちゃだ。
小さい時は母親がなんでも面倒を見てくれて、学校に行き同じ地域で産まれた人たちに出会い、会社などの組織に所属する、これまで当たり前だった一人じゃないとか社会の一員だと感じやすい暮らしや環境だけでは、僕たちは満足できなくなってしまったのかもしれない。
4.超高速社会
とんでもないスピードの変化だ。僕が子供の頃は友達の家に黒電話があった。おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らしている大家族の家なら珍しくなかった。
夏は扇風機をつけて夜の風を感じながら眠り、冬は氷柱の下を歩かないように空を見上げていた。
手紙が当たり前だったのがいつからか親に携帯電話を買ってもらい、mixiやFlashが大流行して隠れて2ちゃんねるを覗いたり、YouTubeでいろんな動画を見て通信料金が天井を突破したりしていた。
ニコニコ動画や掲示板でいろんな人に怒られてネットの使い方を学んだり、Skypeでネットの友達と話したり、便乗してTwitterやFacebookを始めてみたり、いろんなものが超スピードで変化していった。
出会い系サイトと蔑んでいたものがいつの間にかマッチングアプリというサービスに代わって市民権を得ていたり、LINEに登録しないと連絡が不便になるようになった。
TikTokやYouTubeショートなど短い動画が評価されるようになり、Facebookが嫌になって匿名でInstagramを楽しんだりしている。
多くの人はSkypeの代わりにDiscordでネット友達と話をしていて、企業の多くはZOOMやSlackを導入したりクラウドを使うようになった。
そして夏はクソ暑い。
僕はついてくのが大変でおかしくなりそうだ。
一年に一回は電波の届かない(正確には電波が届くからスマホの電源を切っている)山の中で自然遺産を見たり滝を眺めたりしてなんとか正気を保ち、生活している。
このスピードについていくのか、それとも我が道を進んでいくのか、僕はまだ中途半端なポジショニングを貫いている。
5.これからどうすりゃいいんだろう、ということ
僕たちの祖先は農耕民族らしい。学校で勉強したこととネットで仕入れた浅い情報を掛け合わせてみると、僕たちの祖先は島国に根を張ったから遊牧民を避けて独自の発展を遂げられたらしい。
広く浅い知識の人。
狭く深い知識の人。
僕はだいたいの人がどちらかに当てはまるような気がしている。文章化することで、自分はどちらとも言えないなと思ったのでこの考えには誤りがある気がするけれど、僕はどちらかと言うと広く浅い知識の人だと思う。
バランスを保ちながら何かに特化しやすい環境を手に入れたのだから、この環境をどう活かすのかは僕たち次第だ。
感染症が蔓延する令和の時代。僕たちや僕たちより上の世代の人々にとっての当たり前の青春が送れず、会社に入ったら入ったで価値観が違いすぎて絶望する若者はいないのかな、記事を書いていてそんなことを思った。
僕たちがゆとり世代と呼ばれたように大人たちからZ世代と呼ばれる人々は、どうやら新しい生き方に適応したり上手く付き合う人々だと考えられているらしい。
これを踏まえると僕たちゆとり世代と呼ばれた人々は、新旧の生き方を経験した唯一のクッション役として社会にとって非常に重要な存在になり得る可能性がある。
どうやら僕は生まれた時から暗黒の時代を生きているらしい。
違う時代に生まれていても僕の抱える問題は変わらないような気はするけれど、聞いた話だとタクシー券をもらうのが当たり前で、今だと一部の業界の人しか経験しないであろうことが日常茶飯事だったらしいバブル時代。
僕からしたら歴史上の話だし、確かに僕は生まれた時から暗黒の時代を生きているのかもしれない。
しかし同時に栄光の時代は果たして本当に栄光の時代だったのか疑問を抱くようになった僕には、広く浅い知識の中にひとつだけでいいから狭く深い知識が必要なのかもしれない。
6.ゆとりのない自分
ここを使って自分を知るきっかけを作ってみようと思う。自分のバックグラウンドを発信し、即興的に考えたことを書き出してみる。
ゆとり世代の僕は今風の言葉でいうとY世代に含まれるらしい。
僕の父親は日本人で母親は韓国出身の日本人、いわゆるハーフだ。
そして元自殺志願者のひきこもり7年プレイヤーであり今は生存意欲まみれの化け物でもある。
これが今の僕のアイデンティティであり、今の人格を形成する大きな要因のひとつになっている。
僕が育ったのは茨城県の田舎町。兄弟はおらずひとりっ子だった。
子供の頃人種差別やいじめを受けた。人種差別やいじめを受けても助けてくれる人は誰もいないし、「国に帰れ」と言われることもあった。
僕は日本人で日本のことしか分からないのに、周囲の人々はまるで僕のことを僕より知っているかのように見えて、とても不思議だったことを覚えている。そして、助かりたいという気持ちが、ほぼ全ての時間を支配していた。
今の僕ならその光景を録画なり録音するなりして大問題にすることができるかもしれないし、チャンスに変えて笑いを生んだり、仲間を作ることができるかもしれない。
しかし、子供の場合小さな箱の中で世界が完結しているので、助かる可能性があるとすれば、同じ学校の誰かに助けを求めて味方を作ることだけだ。
僕がこの国を自己責任社会だと初めて認識したのはこの頃だった。
昔の価値観ではゆとりがあるが、今の価値観ではゆとりがないのが僕の特徴なのかもしれない。
世間に目を向けてみると、組織単位ではなくもっと大きな物事として、もしくはコントロール可能な小さな物事として、自ら意思決定ができるけれど責任は全て自分で取らないといけないと思い込んでいる人が多い気がしている。
人は一人では生きられない、一人だと思っている人も無意識のうちに誰かに支えられて生きている。
僕が死なずにひきこもれたのは、食べ物を作ってくれた人、家を作ってくれた人、育ててくれた人、育ててくれた人を育ててくれた人、そして人が生きられる環境を作ってきた沢山の人たちがいたからだ。
それと同時に僕が生きているのは生きることを他人任せにするのではなく生きることを死ぬほど考えて頑張ったからだ、とはっきりと言える。
僕のような考えに至った人間にとってこの世界は生きるのがとても大変でとても過酷な世界なのかもしれない。
そしてこんな僕に必要なものはお金や名誉などではなく、心の『ゆとり』なのかもしれない。
7.元ひきこもりのゆとり世代が考える今
僕がすべきことは自分の人生を楽しむことだ。
シンプルでありながら難しいこのミッションを達成するために忘れてはいけないのは、僕が生きているのは社会に生かしてもらっているのではなく自らの意志で生きると決めたからだということだ。
このことだけは忘れていけないし、綺麗事で片付けて自らのアイデンティティに揺らぎが生じることを防がなければいけない。
この複雑化した世の中における大きな課題として他人と自分のバランスを保つことがあげられる。
本気で頑張っても何も変わらなくて絶望してる人が近くにいたら、その人を見捨てないことは大切だが、それを理由に自分の人生を台無しにしてはいけない。
しかし、自分の人生を一番に考えた結果周囲の人を無意識に傷つけてしまっているのであれば一度立ち止まる必要がある。
自分の人生を一番に考えた結果、周囲の人が無意識のうちに幸せになることが理想なのかもしれない。
人々が今より生きやすくなるきっかけを作るためのクッションになる生き方を選択する場合、クッションがクッションの役目を果たせなくなったら何の意味もないことを心に留め、心にゆとりを持って生活する必要がある。
かつてゆとり世代とラベルを貼られたことをネガティブに捉えるのではなくポジティブに捉えてピンチをチャンスに変えるためには、ゆとりがなくては何も始まらないのだ。
これからの人々がどうなっていくのか僕には分からないし、これからの社会がどうなっていくのか僕には予想すらできない。
僕が時代遅れな人間になった時、社会の中で台頭するシン人類に期待を抱きながら、ふらふらと生きていたいと思う。
この記事を書くことで自分の考えを整理して次に進むきっかけを見つけることができた気がする。
次回以降はひきこもり卒業マニュアルの記事を書きたいと思ってるんだけど、まずは現実世界の休暇をしっかり堪能して、心にゆとりをもたせられたらいいなと思う。
Kend