雑文 田舎でおしゃれは、暴力か?
滋賀県に住んでいる。
それまでは、名古屋のベッドタウンに住んでいた。
都市部に向かうとき、「この人、おしゃれだな」って思う人は、大抵電車の中で「浮いていた」。
まわりが、ダサいから。それだけだった。
この前、東京にいった。
東京は、そこらへんのサラリーマンでも、なんか違った。
「おしゃれに見える、サラリーマン」だった。
なんかシュッとしていた、特に東京駅周辺。
自分の地元じゃ、見かけないなーと思った。
ここで、大事なことは、その「おしゃれに見える、サラリーマン」は全然浮いてなかったし、さらに言えば、街ですれ違った、「奇天烈な服装の自由業風の人」も「エレガンスなマダム」も浮いてなかった。
むしろ、なんか語弊がある表現だけど、ダサい人が「浮く」。
そんな空気を感じた、東京だった。
何が言いたいかって言うと、田舎でおしゃれすると、ある種「浮く」のはしょうがないんじゃないかって思う。
田舎を馬鹿にしてるとか、そういうことじゃなくて、
「そうなってしまう」ってこと。なんじゃないかと思う。
どこかの記事で、山本耀司が「モードは都市でしか成立しない」って言ってたような気がするけど、それと近いことなのか?(難しいことはわかんないけど)
都市部と地方での可処分所得の差が、服装の洗練さを決めるのか。
結局、ファッションて「カネ」がものを言うのか?
セカンドストリートが田舎に普及しても、おしゃれに着こなすには、
おしゃれ偏差値を上げる努力をしないといけないのは、田舎でも一緒だとして。
でも、田舎では「おしゃれな人が浮く」(のを僕の仮定として)=「おしゃれな人が相対的に都市より少ない」=「おしゃれ偏差値が高い人同士の相互刺激が生まれにくい」→結果、田舎でおしゃれは生まれにくい。
ってことになるんじゃないかって、思う。
いいや、「好きな服を好きなように着ればいいだけ」、「結局、勇気の問題」
っていう、精神論じゃ、たぶんない、と思うって話。
忘れもしない。高校生の時、名古屋から40分ぐらいかかるような、地元の最寄駅をなぜかその日は思い切って、栄の古着屋で買った、まっピンクのボウリングシャツを着て休日に散歩した。
すれ違う人、みんなに「ギョッとされた」気がした。
こんなことを書くのは、年齢で人を判断しているかもだけど、
それでも、明かに、大抵「おばちゃん」が特に、僕を、まっピンクのボウリングシャツを着て歩く僕を凝視していた。
「あれは一体、どこの子や?」と。
そんな視線を後ろに感じながら、最寄駅ですら、歩くのが怖くなって、10分ぐらいで家に引き返した。
おしゃれについて、もっと学びたい。