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自閉スペクトラム症の私(楽しかった幼稚園児の頃その2)

当時通っていた幼稚園は数十年前にすでに無くなってしまったので、アルバム中心の回顧録になる。

1973年4月、私は茂原市の社宅から北習志野の社宅に引っ越し、父がイランへ赴任したと同時に幼稚園に入園した。

私は2段目の左から4番目の極端に小さいのがそうである。

ここは船橋市薬園台にある郷土資料館に保存されている蒸気機関車D51の125号機で、今も静態保存されているが、ボロボロである。
多分一番前の左から5番目の小さい子供が私のはずだか、本当に幼稚園児の2年間で私より小さい子供はいなかった。

これは卒業アルバムの似顔絵の寄せ書きだが、これも一番下手くそなのが私なので、すぐにわかる。

前回も書いたが、こんなにおかしく大変な対応をしなければならない私に対して、先生はいつも可愛がってくれた。

父がイランへ行ってしまった事も知っているので、余計に可愛がってくれた。

人生の中で一番楽しい時間を作ってくれて、50年経とうとしているが、感謝しても仕切れない。

先生…どこかで元気でいてくれればいいんだけど…

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