見出し画像

車の販売会社で営業事務の仕事をする

前回からのつづきです。

期待と不安が入り混じる中
車の販売会社に入社します。

社員研修も一通り終わり、辞令がおります。

希望した経理ではなく、営業事務でした。

こればかりは、会社できめることなので
仕方がありませんが、経理に配属されると
思い込んでいたのでショックでした。

仕事の内容は、車を登録する際に必要となる
車庫証明を警察に申請し、受理された書類を
受け取ることがメインとなります。

その他に、新車をお客様に納車するといった
営業の補助的なことです。

配属されて、挨拶をしたのもつかの間、
早速警察に受理された車庫証明の書類を
取りにいくことになります。

初めて行った警察は、東京の光が丘警察署。

まったく、土地勘のない場所です。

自分で光が丘警察に電話を入れて、
行き方を聞きます。

東武東上線の「成増駅」で降りて、
そこからバスを利用とのこと。

成増駅に着きバスの時刻表を見たところ、
次のバスが来るまで時間がかかることから、
タクシーを使います。

帰りは成増駅までに向かうバスの停留所を
警察で教えてもらい会社に戻りました。

交通費の精算を教わり、
タクシーを使ったことを報告したところ
「交通手段がある場合はタクシーは使わない
ように」と釘をさされます。

車庫証明の申請・受け取りは、
東京・神奈川・千葉・埼玉と
多岐にわたります。

そのため、当初お金のやりくりに苦労をします。

仮払い制度がなく、
週に1度の精算だったからです。

例えば、千葉の佐倉から神奈川の大倉山、
秦野と3カ所行くだけで5,000円を超えて
しまいます。

先輩に相談したところ、
その都度精算するのが面倒なので、
ルールを設けているに過ぎないことが
わかります。

お金の管理をしているのが女性なので、
「たまにお菓子とか買ってきて渡すと対応が
変わるからやってみな」と言われ実行します。

先輩の助言通り、態度も変わり親身になって
対応してくれました。

ここで処世術を学んだともいえます。

そこで「千葉や埼玉の人がなんで東京の
販売店でわざわざ車を買うんだろう」という
疑問が湧いてくるかと思います。

その理由は、トップセールスマンが
私の支店にいたのが大きいです。

この方は、毎月車を20台売っていました。

売上の内訳は、リース会社からの紹介、
販売系列店からの引き合い、
既納客からの紹介です。

だから、お客さんの住んでいるところが
様々なので、警察も多岐に渡るわけです。

とにかく毎日が忙しかったです。

直行直帰なんてこともザラでした。

しかしこの目まぐるしい忙しさも、
ピークを迎えます。

1990年12月を境に
緩やかに勢いは落ちてきました。

これまでとは打って変わって、
手持ち無沙汰の状況に陥ります。

そうしますと「このままでいいのか」という
不安に駆られてきます。

私の仕事は営業事務とは名ばかりで、
営業となる上でのいわば下働きのようなもの。

会社側は20歳になったとき、
再度辞令を出すとのことでした。

周りも自分が営業になることを
期待していました。

しかし、自分の中では、
経理の仕事に就きたいという思いが
心の片隅にずっと持っていました。

でも、いざ経理に就いても、
仕事がこなせるのかという思いもありました。

それはなぜかといいますと、
私の仕事は一旦外に出れば一人になれ、
誰にも束縛されず自分のペースで
出来るので、協調性のない
自分には合っていました。

なので、1日中デスクワークするよりも、
毎日変化に富んだ仕事の方が
向いているのではないかと思い始めます。

最初は拒んでいた営業も、
とりあえずやってみるかと
考えるようになりました。

そして1992年4月、辞令を受けます。
                 (つづく)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集