子供としてのキャリアのありよう
「キャリアのありよう」シリーズ、最終回の第6弾は「子供として」を内省していきます。(第1弾「父として」, 第2弾「夫として」, 第3弾「管理職として」, 第4弾「カウンセラーとして」, 第5弾「学ぶ人として」)
「キャリアのありよう」とは
僕個人的に「キャリアのありよう」を
「人生の役割を生きる姿勢」
と定義しています。
キャリアは、人生の役割を生きること。
姿勢は、熱い思い、仕事や人に込めた願い、目指す未来、なりたい自分、ありたい自分、精神性の豊かさ、懐の大きさ
といったこと。
歳をとってもずっと子供
僕ももう50歳を超えましたが、80歳の両親からすれば僕は「子供」です。たまに両親の家を訪ねたら、いまだに「食べてけ、飲んでけ」ですね。昔はおやつが出てきましたが、今はビールとつまみが出てきます(笑)。
若いころはちょっと面倒な気もしていました。でも自分が父としてのキャリアを積んでく中で、何となく両親が見ている景色がぼんやりと見えてきました。何歳になっても子供は子供で、関係性はそのまま。恵まれた関係性に感謝です。
子供としてのキャリアを振り返って
子供として僕はどんな人生を歩んできたんだろう・・・。
50年を一口でまとめて言葉にするというのはちょっと無理がありますが、一貫してずっと「自然体でいられる遠いようで近い安全なあたたかさ」を感じながら生きてきたような気がします。
「あたたかな自然体」。これが子供としてのキャリアのありようかな・・・。ブログを書きつつ、内省しながら浮かんできた言葉です。
50年でつらいこともいくつもありましたけど、子供として有難く生きさせてもらいました。振り返れば、あたたかく充実した、子供としてのキャリアがそこにあるようにイメージできます。
これから
どんなに歳をとっても、子供は子供でいい。「食べてけ、飲んでけ」も有難く頂く(笑)。そうすれば、みんな笑顔で楽しく、あたたかい。これが僕の親孝行の一つ。自然体でいられる大事な場所の一つとして、限られた時間を大切にしていきたいと思っています。
この世に生かしてくれてありがとう。