xRのメリットについての考察

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xRにするメリットとは何でしょうか? 没入感というのがまず思いつきますが、それ以外に3次元化するメリットを考えてみました。

そもそも、情報*1というものは大抵2次元で表現されてきました。
文字、絵画、写真、映像など、メディアで扱われているのはほとんど2次元です。さらにコンピューターとインターネットによって情報をインタラクティブにやり取りすることもできるようになりましたが、それも2次元。2次元上で情報をやりとりすることにかけてはだいぶ上手になりました。わざわざ3次元にする必要があるのでしょうか?

3次元にする意味が「地味に」ありそうだ、というのが今回のnoteの主旨です。とは言え、本当に3次元オリジンな情報の表現方法というのは僕には想像できてません。想定しているのは、2次元情報を3次元上に表現するということ。VRでNetflix見るのって結構いいよね、とかそんなレベルの話です。

紙→ディスプレイのアップグレードとデグレード

そもそも、今の2次元情報はハナから便利です。言葉→文字→活版印刷→映像→テレビ→コデジタルター&インターネットの進化の中で、めちゃめちゃ便利になっています。まだギリギリ残っている新聞とWebを比べても、スクロール、ページング、コピー&ペースト、拡大縮小、共有、他記事への参照、アーカイブへの接続などなど。同じ2次元情報とは言え、文字を石板に打ってた頃と比べると、今の2次元情報は格段に見やすく使いやすいです。

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しかし、しょうがないから当たり前になってますが、進化の前の方が良かったことも多々あるわけです。
本だったらたくさん開いておいて見渡せるのがPCだとできません。雑誌はパラパラ高速でめくれるけど、Kindleではスライダーで移動するのがやりづらい。せっかく描いた渾身の大作が、小さい小さい画面で表示される(ディスプレイサイズによって表示の仕方や大きさが変わってしまう)のもデメリットでした。

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ディスプレイ→xRではどうなる?

xRでは空間上にディスプレイを幾つでも増やせます。ディスプレイのサイズを変えることもできます。要するに、ディスプレイに依存しなくなるわけです(もちろんHMD自体ディスプレイですが、それが視界そのものになるので)。これによって、「紙→ディスプレイ」の時にデグレードしてた部分を改善しうるんじゃないかと思います。

まず、ディスプレイを並べられるというだけで便利です。デザイン作業では「並べて表示して見比べる」ということを良くすると思いますが、これが印刷しなくてもできます。
調べ物をする時に本を開いたまま別の本を開いて、机の上を本でいっぱいにするという上の絵のようなこともできます。
wikipediaでリンクを辿っていくと1日経ってたなんてことが昔ありましたが、リンクを開く時に新しいディスプレイを作っていたとしたら、部屋中ディスプレイだらけです。なんか、壮観じゃないですか?

ディスプレイサイズを変えられると言うことは、(極論すれば)スクロールなしで表示できると言うことです。長いページでは端が見えないので意味がなさそうではありますが、例えば複数ファイルを表示する時にいっぱいあるということだけは直感的に分かります。
「終末少女」というアニメで、カメラに保存されていた写真が空間に表示されるシーンがあるのですが、ものすごい量が出るんです。感動的なシーンなのですが、スクロールバーのバーの短さ(ページが長いとバーが短くなる)では表現できないわけです。(日本映画好きの方には「黄色いハンカチが1枚だけ見えて残りはスクロールだったら」で想像してもらうと良いと思います)

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同じ理由で、大きな絵画もやはり大きなサイズで見れるのが嬉しい。「明日の神話」をスマホで見ても、参考程度にしかなりません。絵画はPCやスマホでは見るきがしませんでしたが、xRでなら見る価値がありそうです。(解像度や輻輳調節矛盾の問題はいつか解決されるでしょう。たぶん)

本をパラパラめくるというのは、(まぁ技術的にもデザイン的にも難しいでしょうが)似たUIは作りうるのではないかと。ハンドトラッキングやコントローラーはディスプレイタッチやマウスやキーボードの様に場所が制限されていないので、起こる物理現象と操作が直感的に近いですし。めくってる間も、5Gを活用してサーバー側で描画も行なって低遅延で表示すれば速読的に残像を見てくことで目的のページを見つけるというのも可能ではないかと。とは言え、めくる手の感触を再現できるのは当分先だろうし、そもそも本という形態自体が紙の物理法則に縛られた結果なわけで、踏襲する必要があるか?というのは難しいとこですが。

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他にも、天井画なんかもxRでこそ表現できます。天井画は見上げてこそだし、大きさも重要です。

漫画のサイズも「実空間上の182×257mm」みたいに指定することも可能でしょう。意図したサイズで見せることができます。

ポストイットをホワイトボードに並べるのも、ちゃんと俯瞰できます。(Miroとか便利ですが、やはり一覧性が弱いよなぁとおもいますし。)

xRは「言葉」以降の進化によってデグレードしてたあらゆるものを改善しうる(言葉という情報にする時点で抜け落ちていた匂いや手触りも含めて、何らかの方法で改善しそうな気がします)情報の表現方法になると思いますが、中でも直近で改善されつつある「空間」に関する改善が、実はすごいことなのだろうと思います。

空間知覚能力を活かす

なぜ、空間を使えるのが大事か。
例えば、将棋を空間という概念を使わずに定義し直すとしたらどうなるでしょう? 歩は1歩前に進めるとか桂馬はマスを飛び越えて斜め前に進めるとかを、空間以外でルールを作るとしたら? 数字とか、色とか、マークが変わるとか、、、到底そんなことでは置き換えできなそうです。将棋にしろ囲碁にしろチェスにしろ、空間を扱うゲームだからこそ理解できるし、想像できるし、記憶できる*2のだと思います。

空間を自由に使えることが、理解・記憶・想像に大きく寄与する、のではないか。その意味で、ディスプレイサイズ(360度×360度に比べて格段に小さい)に閉じ込められていた能力を解放できるというのはxRの大きなメリットになるのではないかと思います。リアル→言葉、リアル→映像でデグレードしてた部分を改善するというのも非常に未来を感じますが、とりあえずは紙→PCの改善を色々考えてみたいと思います。

*1 情報を表す英語informationはinformの名詞形。informの語源の一つはラテン語のinformationem(=心・精神に形を与える中に形を与えるとか精神に形を与える)ということらしいです。実にxR的。情報が本来の形になるということなのかもしれません。

*2「記憶の宮殿」という記憶法がありますが、これもまさに空間を使って記憶する方法です。これを使うと、記憶力がニワトリの僕でも10個ぐらいの単語は覚えられます。

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