ARのデザインではグラフィカルなデザインが重要なのではないか?という話
こんにちは、株式会社BenchでUIデザインなど担当している321です。
さて、今回は漠然とARのデザインについて最近思ったことについて書いてみます。
個人的な感想ですが、昨今のUI/UXデザインでは、グラフィカルな意味でのデザインよりも機能的なUIが重視されているように感じます。
「デザイン」という言葉の意味するところが以前よりも広がっただけなのかもしれませんが、若干、グラフィカルなデザインの価値が相対的に下がったような。。
フラットデザインやマテリアルデザインが出てきた頃が、UIにおいてもグラフィカルな意味でのデザインが注目されていた最後なんじゃないかというのが個人的な感想です。(完全にただの個人的な感想なので、深く捉えないでいただきたいです)
ところが、という話です。
ARでのデザインではグラフィカルな意味でのデザインが非常に重要になると予想しています。
理由としては2点。
ディスプレイ内だけだった既存のUIに比べ、見る時間が圧倒的に長い。
デジタルの3Dグラフィックは物理の制約を受けない。
というものです。
それぞれ詳細について語ります。
今回は(も)語りたいだけのnoteです。
UIが景色になる
ARが普及した世界では、朝起きてメガネ(もしくはコンタクト)をつけた瞬間から、寝る前までARのUIを見続けることになり得ます。
壁紙や窓の外をARで表示することもあるでしょうし、街中の看板、何だったら空の色までARで変えることもあるでしょう。
ディスプレイを見る時間×空間の比ではないくらいにARを見ることになります。
スマホやパソコンのUIでは使いやすい・わかりやすいことが優先順位1位でした。おしゃれでも使いにくいアプリ(昔iOSでそんなメモアプリがあった気がするのですが)は廃れてしまいます。
が、一日中見るとしたら、もっとグラフィカルなデザインを重視するんじゃないでしょうか?
家具を買う時にまず見るのはデザインであって機能性ではない(場合もある)のと同様のことが、ARのデザインにも起こるのではないかと思います。
伝統的な武家屋敷の様な家で暮らしている方は、武家屋敷っぽいボタンが良いだろうし。サイバーパンク好きだったら、機械っぽいUIの方がテンションが上がるだろうし。
iOSヒューマンインタフェースガイドラインやマテリアルデザイン等に則ってさえいれば新しいサービスっぽい感じに見えていた(る?)ディスプレイ内のUIと違い、グラフィカルなデザインもしなければならないのがデフォルトになるのではないでしょうか?
これは、デザイン全般で言えば何も新しい話ではなく、建築でもプロダクトでもインテリアでも、当たり前にグラフィカルなデザインが重要だったわけです。
今私達が見ている都市の景色は誰かがデザインしたものだったりするわけで、「UIデザイン」もそれらに取り込まれるようになるということです。
UIデザイナーは「ドラえもんの道具を考える人」みたいになる
UIデザイナーとして今まで通り仕様や機能・情報の整理・わかりやすいレイアウトなどをして、ARではそこにグラフィカルなデザインを施す必要がある、という話でもありません。
仕様や機能を決める段階から、グラフィカルなデザインが入ってきてしまいます。
バウハウスで合言葉になった「形態は機能に従う」のように、機能を突き詰めること自体が、最終的なデザインにつながったりするわけです。
例えばメーラーのUIを作るとしたら、メールとは何なのかというところから考える必要があると思います。
チャットで良いのに今更メール? 長文を贈り合うことの意味? 長文をどうやって書く? チラシを混ぜても良いのか? 着信をどう知らせる?
等などいろいろなことを考えた上で、初めてUIを作ることができます。
ディスプレイの制約がある今は楽です。
アプリであれば、ヘッダーがあって、メニューがあって、ここにコンテンツがあり、フッターがあり、リストから選んで詳細に進むみたいなものが枯れた技術の如く熟れています。
深く考えなくともUIを作ることができてしまいます。
ARのデザインだとこうはいきません。
机にARの便箋が1枚出てきてペンで書けるようなアプリかもしれないし、タイプライターが出てくるのかもしれないし、アバターが出てきて音声入力で書いていくのかもしれないし、例文を選んでいくだけかもしれません。
UIを考えるというよりは、ドラえもんの道具を考えるのに近いかもしれません。そういう意味ではUIデザイナーという仕事の括りはなくなるのかもしれないですね。
「素材」×「構造」は「憧憬」×「慣れ」になる
デジタルではないデザインでは素材や構造が重要でした。
浅学の私には詳しいことはわかりませんが、コンクリートにはコンクリートの特性があり、それを活かしたデザインがあるのだと思います。顔料によって色が増えたりしたのでしょう。布の素材に寄ってシルエットも変えていたのでしょう。
素材によってできることが変わり、それに合わせたデザインが重要なのだと思います。
そして、椅子には椅子の構造が必要で、椅子の機能を支える構造を計算しているんじゃないかと想像します。シャツはボタンで止めるという構造によって着脱するという機能があがり、シュッとした服も作れるようになったのでしょう。
機能×素材×構造がそれらのデザインで重要だったとだと思うのですが、デジタルの世界ではここがちょっと違います。
機能については考える必要がありますが、素材×構造は無視はできないものの必須のものではなくなります。
無視できないというのは、あえて錆びた鉄のようなテクスチャを貼るような「憧憬」と、押すと凹むような「慣れ」として、素材と構造が残りそうだからです。(しかしそれもあんまりやってしまうと、豪華な大理石をプリントした安い家具のようになってしまう気がします。)
グラフィカルなデザインが重要になるだろう上で、今後より重要になるのが人間がどう感じるか、という部分だと思います。
実際に物理的におかしな動きだろうと、人間が違和感なく感じるのであればOK。例えば「メラ」なんて魔法は物理的におかしな事が起こるわけですが、ファンタジーで慣れ親しんでいればOK。テレキネシスなんて物理法則的におかしいわけですが、鼻血が出ればOK。
物語で生まれたビジュアルやら機能やらは、AR上で現実世界に混じっていくと思います。その際、物理法則的に正しいかどうかは問題ではなく、人間がそれを心地よく思えば良いという話。
ディスプレイの中では当たり前の話でしたが、プロダクトや建築のデザインにおいてはちょっと邪道感のある話ではないかと思います。
上では大理石プリントをバカにしてしまいましたが、現実にあるものも含め、あらゆるディテールが「ミーム」として使われていくんじゃないかとも思います。
その良し悪しは実際にならないとわかりませんが。。
超正常刺激に溢れた世界
超正常刺激というのも重要になりそうです。
確かデスモンド・モリスだったと思うのですが、芸術家は超正常刺激を知らぬ間に体得してそれを作品に活かしているということを書いていました。
芸術家に限らず、創作物はそういう傾向があります。
赤ん坊の様に目が大きいのが「可愛い」刺激だったので、アニメでどんどん目が大きくなっていくみたいなやつです。
建築やプロダクトでも超正常刺激が爆発しているものもあったと思うのですが、如何せん物理の制限があったわけです。
ARではこの制限がなくなるので、よりはっちゃけたデザインがたくさん出るんじゃないかと思います。
さらに、超正常刺激はそれを読み取った凄い人達がいたわけですが、センサーによってそれを自動化することもありえそうです。
アニメの目の大きさで言えば、その人が一番かわいいと感じる大きさに自動で修正するとか。
ユーザーが落ち着きたい時には、ユーザーが一番落ち着く部屋の色になるとか。
もしくはデザインもレコメンドのようにマスの中での統計で処理されてしまうのか、もしくはデザインもAIが自動で作り上げてしまうか。
結論、どうなるか全くわからないのですが、そんなに遠い話ではないのだと思います。