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学歴を一言で表すと何か

久しぶりに格差について考える機会を持った。日本ではあまり語らられることはない観点(格差に対する批判は沢山存在する)が、海外では割とお決まりの論点だ。

特にアメリカでは1980年代頃から格差が非常に拡大している。それは、80年代のドットコムバブルを経て、ITや無形商売の専門として知られる、シンボリックアナリストが台頭したのが一因である。

シンボリックアナリストはとても高学歴な人がつくので、学歴資本が非常に重要になってくる。この学歴資本がどのように決まるかはたくさんの論点があるがブルドゥーの『ディスタンスシオン』が有名である。学歴や格差は趣味によって刻印されると叙述した。(これには賛否両論ある)

学歴格差を語る論文は多く、そのほとんどが量的研究、いわゆるアンケートのようなもので語られやすいのだが、学歴ってそもそもなんなのかという問いかけは非常に少ない。

ふと、社会人になって見た時、仕事と学歴は関係ないと教えられてきたり、社会に出ると学歴は日の当たらないところに置かれる。

仕事とは何かを語るのは難しいが、仕事というのは中卒や高卒でも成功できるひとは成功する。難関大学を出ている高学歴でも確かに躓く人がいる。正直ほとんどの仕事は言うなれば誰でもできるものだ。(もちろんスキル自体は本人に依存する部分があるが)

ただ、学歴はそうはいかない。点数という明確なごまかしの効かないもので語られ、できる人とできない人の差が明確に生じる。みんな勉強できればmarchや関関同立以上のいい大学にいくだろうけど、決してそうではない。

しかも仕事はキャリアを例え失敗しても転職するチャンスが無限に存在する。しかし、決して学歴を変えることは簡単ではない。学歴を変えようと思ったらそこには更なるお金、時間、勉強量が必要だ。

だから、学歴というのは「タトゥー」の一種ではないかと思う。

一度入れたらそう簡単には取り消すことができないのだから、学歴もそれと似たようなものだな、とふと思った。

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