何の実績もない僕がバスケでお金を稼げるようになった話①〜まずは自己紹介〜
こんにちは!
けんいちです!
僕は現在、大阪にてダイアモンドバスケットボールスクールというスクールにて立ち上げの時期から関わらせてもらい、最初は5名だったスクールも350名を超えるスクールとなり、スクールとともに今も成長をさせてもらっています。
またそれ以前は、大阪でもかなり有名なKAGOBASKETBALLSCHOOLにてコーチをさせて頂いたこともありました。
そして、僕の指導歴のスタート地点である大阪YMCAにて非常勤講師として今も指導を続けさせてもらっています。
加えて現在はCROSSOVERというクラブチームを作り、大人に向けた練習会を開催したり、YouTubeチャンネル【大人のバスケ部】を開設して、大人になっても全力でバスケを楽しみたいあなたへ発信を続けています!
この記事では、そこに至るまでの自分の思考整理も兼ねた僕の経験や考えをまとめた物を書いていこうかなと思います。
まずは僕自身のプロフィールというか経歴を。
中野健一(なかのけんいち)
1986年5月9日生まれ/大阪府出身
中学校からバスケ部に入りバスケ人生がスタート。
中学はそれまで培ってきた運動神経と真面目に練習を休まず行っていたということとでキャプテンをしていましたが、その後、学生生活でのバスケには恵まれず、、
高校卒業後、大学へ進学し、自身で社会人のクラブチームを設立し、地元の出身中学校で練習活動を始める。
当時、まだ成人もしていなかった若造のところにたくさんの大人の方がバスケをしてきてくれました。
今思えば、この頃の経験がのちのバスケでお金を稼ぐという発想を生んでくれたのかなと思います。
その後、指導者のへ道を歩むことになるんですが、元々大学へ進学したのも、教員になりたかったという思いがあり進学したものの、大学で相当遊びまくっていたので、教員試験にも受かるはずもなく、卒業後もフリーター生活をして暮らしていました。
当時の自分を今の僕が見たら本当に情けなくなると思います。。笑
フラフラしていたそんなとき、当時付き合っていた彼女の知り合いの紹介でYMCAというボランティア団体で学生ボランティアリーダーとして、子どもたちにバスケットを教える環境があると聞き、そこでボランティアリーダーとして指導者人生がスタートしました!
当然ボランティアなので、一回の指導での謝礼はほんの少しだけ。
お金稼ぎというよりも、バスケを「教えたい」という気持ちが先行してやっていました!
今思えばボランティアと言えども謝礼はもらえることができていたので、ほんの少しですがこれが僕の「バスケでお金を稼ぐ」第一歩となりました。
先にも書いたように、当時付き合っていた彼女の知り合いの紹介で、僕の第一歩はスタートしました!
今の僕はがあるのはその一歩を作ってくれた周りの人たちのおかげなんだなと振り返って改めて感じました。