心象風景の旅4 懊悩
6月初旬
忙しいのと投稿のためにイマジネーションを止めていた。
そういう時はどうにも自我の統制が強いのか「しっくりこない」のだ。
6月6日
ユング心理学における「影」とは「わたし」の「生きる事が出来なかった半身」だという。
一般的には自分が否定したい自分であったり、気づかない自分であったりそういう説明のされかたをするんだが、これを量子力学的に解釈すると「体験されなかった時間線」の自分とも考える事が出来る。
「獣=リル」は再び元の姿になり幼くなった理由。
因と果。
見つけなければならないものはどこにあるのだろうか。
イマジネーションが動いた。
曇天のような夜のような世界でリルは俺の先を進んでいる。
やがて一本の木が見えた。
その木は葉を多くつけている。
太い幹の一本が切られており、そこには赤いルビーのはまったペンダントがかけられていた。
随分前にしたイマジネーションの一部だ。
俺はそのペンダントの意味を理解出来なかったがとりあえずそれを手に取り雑にポケットに放り込んだ。
そのペンダントは心地よい暖かさを持っていた。
6月9日
イマジネーションが動かない事もないが「しっくり来ない」感がある。
どうやら俺は冥府の旅をするハメになりそうだ。
冥府。
前回の一連のイマジネーションが剣と共に女神の塔に登るというのはフロイトっぽく解釈するなら男性としての完成を想起していたのだろう。
ユング心理学を知らない頃に「地母神の呪縛」と表現し陰の母性元型に打ち勝ち男性として完成する。
境界性パーソナリティ障害と和し俺のアニムスを確立するイマジネーションだったように思う。
一方俺が冥府を行くのは何を意味するのか。
母性元型への回帰?
スサノオは八岐大蛇を倒しクシナダを娶ったあと根の国の王となっている。
俺はこの冥府を行くイマジネーションに妻との死別を想起している。
これはなんだ。
イザナミとイザナギ、オルフェウスとエウリディケ、浦島太郎と乙姫。
俺の深層に居るアニマとの訣別なのか。
ダンテの神曲のようにベアトリーチェと出会う事はないのか。
…解らない。
6月10日
以前とは「違うステージ」に立っている事がなんとなく自分で解る。
俺は既に診断名で言うところの「ボーダー」ではない。
母の三回忌を明後日に迎える。
一回忌には出る事が出来なかった。
彼女のデスマスクを見て酒を飲みながら哄笑をあげていた、母の虐待を「知らなかった」サイコな俺はどう変わったのだろうか。
恩を受けたのにこんな事をする自分は本当に性格異常者だと思っていた。
可能ならばあの時の俺を抱えてやりたい。
俺はあの時の俺と対話してみるべきかも知れない。
今の俺ならば出来るだろうか。
最近妙な苛立ちを覚える。
今思えば母が死んだ事で俺の病状は良くなった。
が、一方で俺はまだ母の死を認めたくないのだ。
そうした葛藤への「答え」が出てしまう予感。
今の俺ならばちゃんと何か見つけ出す事が出来る。
しかしそうしたくない何かがある。
俺の無意識が告げた。
あの「おばけの夢」はそれだと。
今日は眠りたくない。