烙印を聖痕に
興味を持って取り組む事によって、脳が活性化するというお話。
新しい事を覚える事を脳が「快」と感じるようになると頼まれなくても新しい何かに取り組むようになる。
興味のある事に関して「楽しく」知識を蓄えること。
その知識に関連しそうな分野にも手を出す事。
こいつが大事だ。
そのうち脳は勘違いして「新しい事を覚える」ことが「快」になる。
そして。
トラウマ者は必ずというわけではないがしばしば長期記憶野が優れていることがある。
過酷な環境で同じ間違いをすると生死に関わるからだ。
詳しく書き出すと面倒なことになるのでそういうもんだと思って欲しい。
もちろんそうではないケースもあるし、トラウマに抵触する記憶は取り出せなくなるという欠点も存在するけど。
身に覚えはないだろうか。
過酷な環境や忘れ得ないあまり楽しくない記憶はある。
だがもう一方で快いとさえ思ってしまえば知識はどんどん吸収出来る。
俺の例で言うならドーパミン出まくりで「常に何か覚えないと気持ち悪い」という泳いでいなければ死んでしまうマグロのような状態になっている。
トラウマ体験による生きづらさってのは味わったものにしか解らない。
だがこうして恩恵を受ける事もたまにあったりする。
あなたの「傷」から生まれた能力はきっとある。
誰かにつけられた、いつの間にか自分でつけてしまった神経症や精神疾患という誰かが作った「烙印」
それを「聖痕」だって言えるのは自分自身しかいない。
なんでボツにしてたか解らない。
どうやら書きかけっぽい。
何度も言ってるけど心的外傷体験や逆境的な体験があって、そこを生き残ろうとしたあなたの強さや賢さ、順応性の高さが
違うライフステージになって、今まで「適応」していたものが必要なくなったり、それとは違う種類の適応を手に入れる時の障壁になったり、自分が壊れないように強く念じてきた事が別のシチュエーションでも出てしまったりするのが「ココロのビョーキ」なのだと思う。
あなたは弱いわけじゃない。
過酷な状況を生き残った戦士だ。
かつての自分を悔やんで、上手くいっていない現状を憂いて自分を「クズ」だと言った人がいた。
悲しくなるくらいひたむきに何かを追求し、何度も返り討ちにあって辛くなって、それでもまた立ち向かって。
いつ果てるか解らない戦いに身を投じている。
そう出来る人種はクズなんかじゃない。
愛すべき勇敢な気高き凝りないアホだ。
俺はそういう人に落胆はしない。
刑法に触れそうなレベルのおかしな事をしない限り見限ったりもしない。
「やるとおもった。懲りんやつじゃの」と笑いはするけど。