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心象風景の旅3 冥府の守
5月29日
俺はウルズの泉に飛び込んだ。
腕がムズ痒くなる浮揚感。
“物語”と“意味”が流れている。
降り立った場所は硬い岩で出来た地面だった。
風雪のせいか無数の傷がついている。
空には雷雲があり暗かった。
前方には暗闇がある。
《そら、おまえの恐れていたものが来るぞ》
ウルズが片方の唇をつりあげ楽しそう人の悪そうな笑みを浮かべたように感じた。
誰かが歩いてくる。
黒か茶色の着廃れた服。
長い何かを片方の肩で担いている。
「獣!」
大剣を持った男。
かつて最大の敵であり、最高の盟友にして戦友。
俺の物語の終わりと共に俺の中へ還っていった「もう一人」の「俺」
嬉しい再会にならないことは気配が伝えていた。
『遅えんだよ、このオタンチンが』
と彼はニタリと笑うやいなや大剣を振りかぶり俺の至近まで近づき袈裟がけに一閃する。
「やんのかよ!上等だワンコロ!」
5月30日
true endで応戦した俺と獣は何合も打ち合う。
「勝手に出てくんじゃねーよ。お前も納得して終わったナラティブだろうが!」
『お前の経験した時間の中でだけ終わったからって全てを終わらせてんじゃねーぞ!俺はな、お前が葬った可能性だよ。』
「何言ってんだかわかんねーなワンちゃん!」
『そうやって丸く収まってるお前が気にくわねぇって言ってんだ偽善ヤロウが!』
「偽善の何が悪い!為されない善ほどの悪はねーよ!」
『お前の為そうとしてる善が安っぽいって言ってんだ。1秒でも笑わせたい? ハッ聞こえはいいがケツを持てねぇなら何もしねーほうがそいつのためだ!』
「お前こそ笑わせんじゃねーよ!安っぽい善すら為すことの出来ない、自分の傷舐めてるだけの臆病野郎が!何も変わらんかも知れん、俺が渡した可能性でさらに傷つく事だってある。そんなの解ってる、だからなるべくそうならないように、少しでもケツを持てるように努力すんのさ。」
『御大層な御託並べやがって。だったらどうなんだ、お前はお前の選ばなかった過去を、未来を見捨てるつもりか!自分すら救えねえアホに誰が救えるってんだ!』
「選ばなかったものを知覚出来る力はねーよ、俺が経験して知った世界しか救えねーんだ!」
『そうやって俺らを見捨てるつもりか、癒されない過去を、お前が選ばなかった未来を。お前が笑わせたいヤツらの選ばなかった時間線を!』
言い返せなかった。
そういう事だったのか…「可能性を増やす」ってのはそういう事だったのか。
5月31日
「負けだわ」
俺は両手を上げた。
ちくしょーぶった斬るなりなんなりすりゃいい。
《諦めたのか?人の子》
布のウルズが言った。
「いやだって、こいつの方が正しいんだもん。俺は科学教徒である以上こいつには勝てない。」
『●ソったれが!』
獣に殴られて吹っ飛んだ。
『どうして解らない!選んだ事で傷つく事もある、だが選べなかった可能性に傷つく事もある、人はそんなに強くはねーんだ。』
『お前は「選び取って」きた人間だから選べない、選べなかった未来に傷つく事はねぇ。そんな奴ばっかじゃねーんだよ』
「ゴタゴタうるせーんだ。選べず失ったからってそれがなくなるわけじゃねーだろうが。時が戻らないなら、そうやって折り合いをつけて、、ちゃんと自分で葬ってやんなきゃいけねーんだよ。」
そうか…俺の…葬られた可能性…未来…
選ばなかった時間線…
ここは…
「死の本体」は…
《おつむの回りが悪いな人の子、ここお前の冥府、お前の言う[安全基地]のもう一つの姿よ》
《お前が魂の中の安寧の場所に置いた者たちの選ばれなかった可能性、お前が葬って来たものの墓場よ。》
そういう事なのか?
抑圧。自我が引き受けられない意識…。
それは選ばれなかった可能性でもある。
俺の選ばれなかった可能性。
境界性パーソナリティ障害を寛解出来ていない時間線…。
安定していたが故にいつの間にかそこから目を離していた。
「そうか…獣、ようやく解った。」
「ごめんな。」
『バカやろうが。』
人の姿だった獣は光の粒子のようになって溶けていき、子犬ほどの大きさの動物になりこちらに駆けて来た。
俺の足の回りを戯れついている。
抱き上げた。
名前をつけてやりたくなった。
「徳田新之助」
小さな獣に顔を噛まれた。
心理士並みにセンス最悪だわ、と俺の中の何かが呟いた。
んー んー んー
あ。
リル。
リトル獣だし。ネイティブっぽく発音したらそうなるし。あとあれだ。獣は自分の事フェンリルだって言ってたからそれも含めて。
どうやら気に入ったようだ。
では行こう、我が友リル!
足を噛まれた。
そしてスタスタと俺の前を歩いていった。
自分が主人だと言いたげだ。
簡単に懐く気はないらしい。
じゃあついて行きますよ。
次どこに行ったらいいんすかね。
選ばれなかった時間。
時空を一直線にしか感じられない俺たちにとっては無数の枝葉のように分岐が起こる世界。
しかし選ばれなかった分岐もまた真実だ。
たしかにそれは「起こらなかった」
だが「起こらなかった」事によって葛藤を感じる事もある。
なぜあの時自分はこう言わなかったのだろう、こうしなかったのだろう。
未来に関してもそうだ。
諦めねばならないものはある。
それらが「心的リアリティ」として現実世界で葛藤を起こす。
時空に関する理論や「時空観」に関係なく人は「起こらなかった現実」という「冥府」を抱える事になる。
だが同時にそれは「安全基地」とも言えるのだ。
起こらなかったが故に、諦めたが故に得られる安寧もまたある。
可能性があるが故に苦しい事の裏返しとして。
果たされなかった約束、失ったものや人。出来なかった事。過酷な体験で消費された時間。
そうして亡くした可能性。
葛藤を引き起こしているそれらを愛せるようになる事もまた「可能性を増やす」事なのだ。
未来への可能性を増やすことだけが「心的癒し」ではない。
過去への可能性を増やす、起こらなかった現実に思いを馳せ自分の“ナラティブ”の一部として捉える。
それもまた「可能性を増やす」事。
そうして自分の失ったものや果たされなかった過去を愛せなければ人のそれも愛する事はおそらく出来ない。
精神分析における「抑圧」とはある種望んだ未来を、体験したかった過去を封じ込めてそれらを「愛する」機会を失った状態なのかも知れない、と思った。
それを意識の側に戻し、自分のリアリティとして認識し、抑圧/封印したものを愛し、今ここにあるものとして受け止め、同時に失われたものとして悼む。
ある種、精神分析自体が「喪の作業」なのだ。
超個人的意見だけどね。
「見えない世界」を認める事は非科学的な事じゃない。
ただ「今ここにない」可能性を愛する事なんだ。
「今ここ」をしっかり視るためには「ここではないどこか」にも目を開かなきゃならない。
科学も非科学もあまり関係はない。
多分だけど。
解ってるようで解ってなかった。
ある種エンプティチェアというゲシュタルト療法のセラピーっぽいアクティブイマジネーションだったけど、思わぬ収穫が得られた。
「リル」の導く先は冥府の中なのか、それとも全く違う場所か。
さて、どうなるのやら。
俺は予見された“神々の黄昏”を避ける事が出来るのだろうか。