家康とか今川とか時事単語が含まれていたので下書きにあったものを推敲なしにupする。
ひさしぶりにユング心理学の話。
俺は気分変調の激しい母を「陰の母性原型」つまり「全てを飲み込み混沌に帰す母性」だととらえていた。
一方、父曰くそして俺自身の感想として祖母を「聖母のように優しい」と感じていた。
俺は祖母の存在があったからこそ、彼女の慈愛があったからこそ境界例を克服出来たと思っていた。
だが…。
「全てではないにせよ、多くを許容出来る」と俺が感じた祖母は「陽の母性原型」たりえるのか。
むしろそれは「飲み込み混沌に帰す母」と同じではないのか。
子を許容し過ぎる母はあるいは子の「個」を飲んでいるのではないか、と感じた。
「むごい教育」というエピソードがある。
戦国大名の今川義元が当事人質だった徳川家康に対して行ったとされるものだ。
「望むものは与えよ、思い通りにさせ、本人がしたくないと言った事はやめさせよ」
そうすることで自己愛が肥大した人物になり、戦国時代に生きられない人格にさせてしまえばやがて成長しても今川義元の敵にはならないであろう、という教育だ。
まあ、この話史実を追うと矛盾点が出るんだけどね。
静岡県民にはそこそこ知られた話なんで。
そのような意味において俺は二重で「飲み込む母」の居る環境で育った長男ではないか。
思い通りにならなければ、気分変調し従わせようとパーソナリティを支配しようとする母、もう一方で「優しく見守り」ながら「むごい教育」をする祖母。
俺は決定的な構造的とも言える勘違いをしていた。
様相は異なるとはいえ二人の「飲み込む母」に育てられたのだ。
なぜ…こんなシンプルな構造に気づけないでいた。
ばあちゃん…あなたの事は大好きだったけど…あなたのしたかった事は決して間違ってはいなかった…俺の唯一の救いだった。
だけど…。
俺にとっての最適解ではおそらくなかった。
ようやく解った。
いまでも大好きだけど、思い出したら涙が出るけど…。
それでも俺は「限りなく優しいけど飲み込む母」であるあなたを超える。
あなたの影を追うのをもうやめる。
などと容疑者は供述しており依然事件は混迷を深めております。
「育てる」事の最適解なんぞ未来永劫解明されない。
「どう育てられた」かではなく「育てられた環境やそこから得た教えをどう生かしていくか」が大事なんだ。
どんなかたちであれ、陽であれ陰であれ俺は母性の恩恵を受けた。
そこからどうするか、何を為すか何を残してどう進むかは俺次第。
スヌーピー曰く「配られたカードで勝負するしかないのさ」