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番外編 タネローンを求めて

マガジンで「安全基地」を作ろうという投稿をしようと考えた。

安全基地。
愛着理論のボウルビィが「A secure base」で提唱した心の拠り所となる場所、人物、概念。
もともと境界性パーソナリティ障害の心理療法として功を奏している「スキーマ療法」でもまず最初にするのはこの安全基地を作る事だ。
逆に言えば安全基地を作ったり揺らいでいる状態でスキーマ療法を行うとスキーマを探索する過酷な段階で著しくダメージを負う事になる。

しかし、いや待てよ?とも思った。

自我の空虚さや気分変調や易怒性が著しい境界性パーソナリティ障害は刹那的な行動をしてしまう事が多く人間関係を上手く形成出来ない。出来たとしても強く依存してしまう傾向もあるいはある。
そして、現実にあるものを安全基地にしようとしても投影する自我が希薄なためか応答性を求めて上手くいかない。

要するに安全基地を作る事のハードルが高くなる。

俺自身の事で言うならずっと「ここではないどこかにしか故郷はない」という想いにとらわれていた。
どこに行ってもココロの奥底で違和感があったし、感情を表わしていてもどこか他人事のように感じていた。
ココロを埋め尽くす「熱狂」や「使命感」の中にしか自分を見出せなかった。
今はココロの中心ある、と確信出来る上手くは言えないが暖かく形がない「これ」を得るのにどれだけの時間を費やしたか。

そう思うと簡単に「安全基地」を作れ、とか安全基地はこう作るんだよ、しかもその安全基地に依存しきらないようにしよう、なんて言えようはずもない事を実感する。

ただ、今にして思うのはそうした彷徨い続けた日々に得た小さな一つ一つや地味過ぎる成功体験がココロの中心にある「これ」を構成している気がする。
触れたものや出会った人。
迷惑をかけた過去や何度もした過ち、悲哀や少しだけの喜び。

最初はバラバラだったそれらを繋ぎ合わせていって「これ」が出来た気がする。

刹那的な自分に嫌気がさすかも知れない。手に入れたものをまた壊してしまったと嘆くかも知れない。この人も自分の大事な存在に出来ず、なれなかったと思うかも知れない。どうせなくなるなら最初から要らないと思うかも知れない。

でも多分それでいい。

そうしてあなたが見捨てたものは多分失われていない。

あの日からずっと、あなたのココロの中でかたちにすらなれていない、置き去りにしたままの自分がちゃんとまだ安全基地のかけらとして持っている。
多分、それは好きな歌や曲、楽しかった場所や好きな本、今大事にしている持ち物の中に隠れている。

だから自分のしてきた事をたとえ褒められるような事じゃなくても否定しないであげて欲しい。
何度も自分の「好き」をなるべくならヒトサマにあまり影響を与えずに追求して欲しい。

どんなにやらかしちまっても、不器用ですぐ手に入れたものをおっことしてそれに癇癪を起こしたり泣いている、そんなあなたが俺は好きです。

それにね。

すぐ見つからないからこそ、
かけらになってそこらじゅうに散らばっているからこそ、すっげー安全基地になるんだぜ?

それだけは保証する。

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