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イシュタルの塔9 剣の王と虹色の闇

エクスカリバー、デュランダル、グラム、干将・莫耶、アスカロン、フラガラッハ、クラウ・ソラス、天叢雲、思いつくまま挙げた「剣」のエピソードを思い出しそれらが必ずしも幸福な終焉をもたらすものではない事もまた思い出す。
「剣」とは持つ者に勝利を与える一方で振るわれた者に敗北をもたらす両価的なものだ。振るわれる事がなくなった「剣」は誰に敗北をもたらすのか。
あるいは「剣」によって栄光を得た者もそこに含まれるのかも知れない。

カウンセリングで次の予約はしなくても良い、と言われさまざまな事が過去になったと感じた10月頃の話。

前回書いた「最終剣」が散ったことで俺の中の「剣」のナラティブは終わったのだと思っていた。

しかしその頃から頭の中に何度も何度も囁きかけてくる声があった。
言うのをはばかられるような内容というか、サイコパスっぽい俺。
その声が「自分はまだ居る」と主張していた。
お前はお前の影をどうにも出来ない、と。

正直困惑していた。
正体がまるで掴めないのだ。
ココロは安定しているのにその声だけが不協和音として俺をざわつかせる。

そして何よりも困ったのはそうした声をなんとかするイマジネーションの産物どもが消え去ってしまった事だった。
呼び戻す事が何故か出来ない。

「これ…俺自身でやれって事だよな。」

イマジネーションの産物ではなく俺自身が内世界を探索せねばならない。
「やってみるか」

意識を沈ませ、もう一人の自分の意識を保ち
身体感覚を研ぎ澄まし、サイコな俺の声の主に集中する。

わけのわからないものが二つ居た。
一つは様々な色の模様がモヤモヤと浮かんでは消える闇のようなもの。
これは静かなものだった。
こちらから手を出さなければ何もする事はない何か。
意識すら感じない。
「個」であり「全」のような。

もう一つのそれは剣であり王だった。
姿は解らない。影のようなものであり、剣が集合した真ん中に目が一つあるイガグリのようなものであり、俺だった。
存在感の塊だった。
なんというかビリビリと殺気だけを感じるうような。

「なんだこれ」
と苦笑した。

と同時に首を刎ねられた。
なんだか嫌な感覚だったので一度瞑想を解いた。
「意味わかんねーわ」と独り言を言った。

そして再度意識を沈ませた。

そして首を切られた。

そんな事を数回繰り返した。
なんというか容赦がない。
俺自身のイマジネーションであるはずなので、不快なものは排除出来そうなものだ。
それなのに何度やっても「王」に無言で首を切られる。

感情も何も感じない。
怒りや悲しさも湧いてこない。
ただ、無感情に首を切られる。

終いには偏頭痛がしてきて、あまつさえ胃腸がでんぐりがえったような感覚になって激痛が走った。数度吐いた。
そしてそれが一晩中続いた。

あまりにどうしようもないので翌日憔悴しきって市の時間外診療所に駆け込む。
このあたりは日記のように書いた気がする。

「これだけ体が抵抗するって事は大物だな」と感じていた。
俺が解放する事を拒む記憶、触れたくないもの。
それを「王」だと認識している事。

これはなんだ?
時間外診療所で鎮痛剤をもらって、運転出来ないため
鎮痛剤が効くのを待つため診療所の駐車場で車の中でシートを倒しながら考えた。
ここまで出てこない解離記憶があるとでも言うのか?
「剣の王」は自分が内世界の支配者であり抵抗するのは無意味だ、とずっと主張していた。

「剣を消しちまったから出てきた…いや、こいつ焦ってるのか?」
ふとそんな考えが浮かぶ。そして少し余裕が生まれた。

「王」か。
多分これは俺の自己愛のイマジネーションだ。

そして俺は彼を「剣の王」と認識した。

なぜ…「王」は焦っている。
なぜ俺に心身症まで与え抵抗している。

そこまで考え動悸が激しくなった。

最初に見えたのはクラスメイトに踏まれ続けるランドセル。
放課後だ。

思い出したくない。

俺が…
俺が…小学校低学年でいじめられていた記憶だ。

「やめてくれ!」と誰かが言った。
これ以上進んだら面倒な事になるのも解っていた。

でももう、目を背けるのは嫌なんだ。

俺は…俺の家は…ギフテッドと「キ●ガイ」を何人も輩出している江戸時代の中期までは寺の人別帳で遡れる家系だ。
「神童」と小さな町ではスキャンダラスな事件を起こす「はみ出し者」を何度か産んで来た家系だ。
じいさんは前者だった。
親父は凡人だったためこの次の代は、と思われていた面はおそらくあったのだろう。
気性が不安定な母親もおそらくプレッシャーのようなものを感じていたのではないか。
今ならそのような想像も出来る。

俺は長男だ。

「この代もダメなほうか」
妹しか居ない俺は、よく病気になりカンのムシが強く発達の遅い俺は本人の意向なぞお構いなく地元では「ダメなほう」になった。
いたずらをして回り、カンシャクばかり起こす俺は親ではなく近所の人間におそらくやっかみ半分の冗談としてよく言われた「けんは橋の下で拾われた」
当人はいたずらであるという認識はあまりなく、素敵な思い付きを実行したらそれがいたずらだったのだが(この本性は建設的な形?で残っている)

そうした視線を持つ大人の影響を受けた子供は容赦がない。
もちろん、、、さまざまな事が出来なかったのにアイデンティティを「知っている」事でしか表現出来なかった、なのに大人を困らせるカンシャク持ちの俺はおそらくは鼻持ちならなかったのだろう、と思う、
「はみ出た者」は打っても問題ない。
昭和とはそうした時代だった。

俺が望まず生まれ出ただけで得た何か。

さまざまな感情が蘇る。
多少裕福だった我が家。それへのやっかみ。
父親が事業を失敗しみるみる生活が変わっていった事。
それを揶揄する同級生。

俺が何をしたというのだ!

許さない。
許さない。
許さない。
許さない。

許さない!

俺を嘲った者、俺を虐げた者、俺に苦痛を与えた者。

その全てを決して許しはしない!
さまざまな過去が写真のようにものすごいスピードで頭を駆け巡る。
「ああああああああああああああああああああああ!!!」
と俺は車のドアを内側から何度もダンダンと握り拳を作り殴った。
エンジンのかかっていないアクセルとブレーキを足で何度も片足で地団駄を踏むように何度も何度も踏みつけた。

それでも治らず自分の左手を右手の親指以外の爪でえぐるように掻き裂く。

その怨嗟は「剣」だった。
俺のあまり誇れない自己愛の源泉だった。
俺に不利益を与えた者に抗うため、いつか鉄槌を下すため、容赦のない残虐な復讐を遂げるため俺には武器が必要だった。

「剣」が必要だった。

「グランドフィナーレ」が散ってしまったが故に新しい「剣」を探していた「剣の王」
サイコパスの片割れはそのような者だった。

彼の一つの要素は俺の「怨嗟」だった。
行動化をひとしきりしたためか意識は沈んでいた場所から引き戻された。
血が滲む左手が痛い。

そしてそんな自分の幼少期を助けてやりたくなった。
まるで他の子供がそうされているように。

書いていてひとつ解った事がある。
俺が虐待されている児童のニュースを見聞きするたびに感じた激しい怒りと残虐な心。
これは俺の復讐心だったのだ。
義憤という名に彩られた個人的な叶わない私刑。

俺のこうした心情がやがて得た語彙力と共に自分の中に宿ったものが「剣」であり、剣を生み出す「王」は自分を保全し防衛する自己保存欲求であり、親のマルトリートメントによって満たされなかった愛着であり、それらを満たすために自己愛的に振る舞う俺だった。

彼が無感情で容赦がないのは自己愛の表れでもあり、天候のように降り注ぐ俺の都合を無視した数々の心的外傷体験を俺が主体となり再演するためだった。

適応的なコーピングとして生み出されたはずの何本かの「剣」も自分自身や他者の都合を顧みないという点では加傷的な象徴なのだ。
「預言の剣」として顕れた「かむがたり」でさえも。

それ故に「剣」たちは最終剣によって散らねばならなかった。

俺は小さな俺を抱きしめたくなった。
もうそんな事はさせはしない。
お前はそんな風に出来ていないんだ。

「もういいんだ」
「全て俺が受け止めるからそんな風に怯えなくても」

「剣の王」は小さな俺になった。
泣きじゃくってしがみついて来た。

「もういいんだ」
と何度も言葉を繰り返した。
あやして、彼は泣き疲れ眠ってしまった。

彼は赤ん坊になった。
そうして「剣の王」は何かに庇護を受けなければならない存在になった。

「王」はさぞ焦っただろう。
自分を助け、支えてくれる基盤を失ったのだから。
言わば内世界での生命維持装置そのものを自ら手放そうと言うのだから。

そして「現在の俺」という庇護者を得た事によって「王」はおそらく安心し再び赤ん坊に戻ったのだろう。

あとは…あの虹色の闇か。
触れてはならない何かだと「自我」を失う何かだと感じていた。

◆◆◆

前もどこかで書いたんすけどこんな雑文でも「無意識パワー」が充填されないと書けないし、アップ出来ないんすよ。
なんか今じゃない感があって放置しっぱなし。
ずっと下書きのままでした。

なんか、自己憐憫がすげーなーとか思ってどうにもアップできなかったんです。
でもなんか「もういいや」みたいな感じでボツ原稿とともにアップします。
何かの準備が整ったんすかね。
よくわからん。

次回は「イシュタルの塔」の第一部完
虹色の闇の正体の話です。
「自我が溶ける」パニ障害の根源。

これは…なんだ?
正直赤の書の図版入りは持っていない。

これはユングの書いた曼荼羅だ


だが…なぜ「剣の王」と「虹色の闇」がいるんだ。
こんなイメージだ。左が「剣の王」右が「虹色の闇」

アクティブイマジネーションの講義の中でこれを見た。
なんだこの共時性と布置(コンステレーション)は!

俺は科学教徒だ。
安易に語りたくない。
俺は…何を見ていた…。

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