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イシュタルの塔6 剣の年代記

ふと今気付いたんだが、このイシュタルのレリーフ。
アテナの眷属であるフクロウとアルテミスの眷属である狼が居る。
これは非常に興味深い。いつの時代のものなのだろうか。

女神アテナと言えば、英雄ペルセウスの説話の中で彼の英雄が蛇の怪物であるゴルゴン三姉妹に対抗するために「鏡の盾イージス」を授けている。

女神はなぜ自分の持物(じもつ)を貸し与え、人の子にかつての自分(蛇母神)にも似た存在を倒させたのだろうか。
その後ペルセウスは討ち取ったゴルゴン三姉妹の見た者を石化させる目(討ち取られて首だけになっても力は失われていなかった)と鏡の盾を使い、怪物クラーケンを倒し妻たるアンドロメダを娶った。

自分が困難として立ち塞がりそのすえに犠牲になり、場合によってはその際に自分が得た力を子に渡し命のサイクルを繋ごうとする母は居る。
それは彼女たちの業なのか、あるいは己の命を脅かすことを顧みない愚かしいまでの愛情なのだろうか。

アテナは勝利と理知の神でもある。
他の神話でも同様であるが、輝かしい英雄の叙事詩の中で母神たちのこうした両価的な矛盾の意味が語られる事はない。

(今回はスキーマ療法に関する用語が容赦なくブッ込まれてます。よく解らない方は「ふぅん」と雰囲気的に解って下さい。スキーマ療法の説明しだすと20回やっても終わらんから)

「獣」がワンちゃんに変容し、そのためか永らく思い出せなかった、あるいは「知らなかった」母親からごく幼い時期に継続的に虐待を受けていた記憶を思い出した。

思い出して少しだけ「楽」になれた。
俺が母親に抱く抵抗感や嫌悪感の正体が解ったから。
それまではまるで自分が異常者であるかのように思っていた。
母のデスマスクを見て哄笑さえあげていたのだから。

そのせいなのだろうか、以前話した
「黒の剣」が別のものとして想起されるようになった。
刀身が透明であるような、その中に星を散りばめた夜空があるような。

この頃スキーマ療法に関して学んでいた頃であったから、「獣」がスキーマであり「黒の剣」がコーピングスタイルではないかという事に気づいていた。

また、コフートの自己心理学で解釈するなら
「獣」は双子転移した自己対象。「黒の剣」は理想化転移と鏡転移した自己対象とも捉える事が出来る、とも思っていた。

と、なると、、、この「黒の剣」の何らかの変容は俺のコーピングスタイルの変容を暗喩している、とも取れる。

平たく言ってしまえば、
「俺自身が自分の行動が不適応であると感じて無意識で変わりたいと感じて」いるから「黒の剣」は違うものになろうとしているのだろうか、と感じた。コフートやスキーマ療法の事を解らない方はこんな感じで受け取って下さい。

なんだかその新しい「剣」に名前をつけたくなった。
あーでもないこーでもないといろいろ考えを巡らせ
「litera stella(リテラ・ステラ)」と名付けた。
literaはラテン語で手紙、技能、知性、stellaは同じく星。
月ほど明るくなくてもいい。明ける事のない夜を過ごす者の無数にある道標の一つにでもなれればいい。そんな願いをこめて。

こうして黒の剣は変容した。

そして次に驚くべき事に「黒の剣」と「litera stella」は併存するようになった。
これがコーピングスタイル、問題への対処の仕方が増えた暗喩なのだろうと感じた。確かにこの頃ADHDの特性が薄れつつあった。

その後トラウマからの回復と共に新たに「夜帳の剣(よとばのけん)」という名の剣が生まれ、さらに「白の剣」という剣が生まれた。

実はこのあたりで一度パニックを起こしている。
箱庭療法をしてみたいなぁ、と感じており、箱庭を2つ思い浮かべるとその外側に銀色の赤い目をした巨大な蛇が想起されたのだ。
箱庭療法の知識のある方なら解って頂けると思うが「箱庭の外に巨大な蛇」がいる、なんてのを実際やったら即座に箱庭療法を中止しなければならないレベルの「まずい」事態だ。何日かそのイマジネーションに囚われ続けた。

ある日ふと俺はその蛇を我知らず「彼女」と呼んだ。
その途端一気にパンドラボックスが開いた。解離記憶が噴き出してきたのである。

俺は幼児期に母親に虐待されていたが、おそらくはそれよりも前から母親に何らかのマルトリートメントを受けていた。左腹部が火が着くような熱さを覚えた。これは後日妹から言われて気づいた事だが母親は腹をつねる体罰をよく妹にしていたらしい。今でもムズムズするそうだ。

イメージと感覚に翻弄された。
痛みのようなものと、ごうごうと聞こえる日本語のようなもの。
怒りの目で母親が俺を睨んでいる。

蛇だ。
この女は蛇だ。
なぜか俺はパニックに陥りながらそう感じた。

崩壊寸前まで行ってなぜか女性のイメージを想起した。
最初のイメージは「祈り」
巫(かんなぎ)のような、修道女のような清浄な雰囲気を持つ女性。
俺はそれを「機織り女(はたおりめ)」だと感じた。

このへんの大パニック日記はリアルタイムで某SNSに書いたんだが言ってない事が実はある。
「機織り女」が現れると「なぜか」4本の剣が一つになった。
自分でもごく自然にそう想起した。

4本の剣が合一したものは「蛇」を霧散させた。
なぜだか力強い神々しいものであると感じた。

その後、ヨーロッパやアジア中心に蛇とそれを打ち倒す英雄の話を調べていて、当然の事ながら日本にも思いが及んだ。

八岐大蛇と素戔嗚命(すさのおのみこと)の神話。
スサノオ神のエピソードは俺の幼少期にだいぶ通じるものがあった。
絵本を読んだ時からこのハタ迷惑な嵐の神にして英雄神を俺は大好きだった。

ふと。

4本が合一した剣の名が「降りて」きた。
「かむがたり」

物語(ナラティブ)
「モノ」つまり精霊や鬼神が語るものではなく
「神語」
それまでは扱いに困って「真・黒の剣(仮)」と呼称していた。

そして驚愕した。

それを想起した場所は熱田神宮付近。
天叢雲(あめのむらくも)が御神体の神宮だ。
討たれた八岐大蛇から出てきた後に草薙の剣と呼ばれた素戔嗚命の武器。
蛇を撃ち倒して得た神剣。

さらにふと思い出す。
同時期に虐待もされていたが母親とのやさしく懐かしい思い出もある神社。
この祭神は何だったか、、、、

いや、まさかね。
そんなご都合主義あるもんか、ハハ。
と笑いながら調べた。

素戔嗚命!
背筋がアワだった。少し怖かった。
だがなんだか祝福されたような気がした。
いや、有体に正直に言おう。ほんっとうに恥ずかしいんだが。

「かむがたり」を天叢雲の分霊(わけみたま)として素戔嗚命にもらった気分になった。

シンクロニシティのようなものを感じた。
かの英雄神に尻を叩かれた気になった。
「いつまでもウジウジしてんじゃねーぞ!」と。

母の死以外、10年くらい寄り付いてなかった故郷に「自発的」に帰ろうと思った。
どんな面倒な事になろうと、怒ると我を忘れて俺を虐待していた近寄るだけで背中と腕がムズムズして暴れて暴言を吐き散らかしたい気分になる父親と会い対決しようと決めた。

今年のGW、このnoteを初めるちょっと前の出来事だ。

そこからは知ってのとおり、俺の回復の速度はさらに早まる事になる。

◆◆◆

あーー恥ずかしい!
ついに書いてしまった。
最近まで俺のコアであった「剣」の話。

litera stellaや夜帳の剣、白の剣は境界性パーソナリティ障害ゆえに持っている「クセ」それ自体を持っている知識と共に回復のリソースとして外在化して取り出したものです。

それらが精製されるまでゴチャゴチャといろんなイマジネーションをしたし自分を掘り下げて解離した記憶が出てきたり、専門書を読んだりと「剣を鍛える」作業をしました。

しばらく俺の中で無敵の神剣であり、ドラえもんのポケット的便利アイテムだった「かむがたり」は使う事が出来ず、重要な局面でしか姿を現さないものでした。
なんかこういうところが安っぽいというか、戦隊モノとかロボットアニメとかプリキュアとか児童用のアニメにおいて年末商戦の前に3クール終わるあたりで出てくる最終武器っぽい。
しょうがないじゃん。そういうノリ好きなんだもん。

ただ、なんつーかな。
適応的なコーピングとして取り出した他の剣が合わさったものが出て来たってのは歓迎出来るイマジネーションだった。

「俺のコアには剣ある」
現実には何もないけど、そういうお守りみたいなものがあると行動も変わってくるし、以前感じていたような愛着の器に穴が開いているような空虚さもあまり感じなくなっていった。

剣やイマジネーションに登場するものになぜそんな名前をつけたのか、どんな記憶と紐づくのか。
トラウマとの対決って、手法はさまざまあると思うんですけど、直接思い出さずにこうしてメタファー(暗喩)の中からマイルドに記憶を引っ張り出す方法もある、と俺は思うんです。

もちろん自分でイマジネーション働かすのが苦手、という方もいらっしゃると思うんですけど、そういう方がもしメタファーやイマジネーションを働かせてケアしたいなら、自分が好きな虚構作品の「if」を考えるのなんてどうでしょう。
その作品で不満だった箇所があるならそれを改変してしまう。
案外そうやって作ったストーリーに自分の大事なものが隠れているかも知れません。

その剣たちがその後どうなったかって?

というわけでイシュタルの塔が「今」に追いつこうとしています。

次回はいくつか候補があるので書けるのから書いていきます。
「老賢者と機織り女」
「最終剣グランドフィナーレ」
「自我と自己と世界卵」

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