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TRPGはあるいはパーソナリティ障害や解離性同一障害の療法になり得る?
演じる事で「仮面」を癒せるのだろうか。
境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の一つの療法としてソーシャルスキルトレーニングがある。
BPDのスプリットが人格を持ってしまい解離性同一障害も併発したら「誰が」ソーシャルスキルトレーニングを受けるのだろうか。
場合によっては一人の人格が受け続け、場合によってはその度ごとに違う人格がトレーニングを受ける事になってしまう。
これはアンバランスなケアになりはしないだろうか。
最近YouTubeなんかでちょっとだけ注目されているTRPGという遊びがある。
けっこう長い間やっていたんだが、興味深い事に演じていたキャラクターは3タイプに分かれていた。
そう。
俺の中の3人だ。
俺は知らずに解離人格を「キャラクターとして作成」しながら、それを主人格で「演じて」いた。
つぶやきでちょいと書いたんだが、TRPGの物語世界の中での登場人物は能楽における「面」のようなものであり、物語世界しか認識する事が出来ない。一方、主人格であった俺は能を舞う人のような、物語の中にありながら物語を俯瞰している登場人物の「無意識」のような存在になっていたのだろうか。
特に「お気に入り」だった3人はTRPGとはまるで関係ない闘病中のイマジネーションの中によく出て来ていたし、これでもか、というくらい色濃く俺のトラウマを反映していた。むしろそのままだと言ってもいいくらいだ。
そのキャラクターたちを設定したのは古くて中学生の時分、一番最後で社会人になって数年経った頃。
自分が境界性パーソナリティ障害とも解離性同一障害疑いだとも知らなかった頃に見事に自分のトラウマや別の人格たちを演じていた事に自分自身驚いている。
(TRPGプレイヤーの皆さん、オリジナル設定が「濃い」キャラクターはその人の深層意識を強く反映して場合があります。だからこそセッションが上手くいくと脳汁が出そうなほどカタルシスを味わうんです)
こうして解離人格と主人格の妙な共生状態で、物語世界中に居る事によって、解離人格=「仮面」がソーシャルスキルトレーニングをしていたのかも知れない、と今では思う。
パーソナリティ障害を仮面の変調だとするなら、演じた人格=仮面が昇華や治癒を経験する事は現実の「自分」にも良い影響を与えるだろうし、解離した人格がいたり、人格化してなくても何らかの固着があった場合、それらを適応的なものに昇華させるきっかけになるんじゃないかと思う。
前にも書いたんだが、TRPGをやっていたおかげで俺は回復のリソースを簡単に作り出す事が出来た。
サイコドラマ療法によく似たこの遊びはzoomや YouTubeによって再び脚光を浴びているのだそうだ。
願わくばパーソナリティ障害や解離性同一障害予備軍であろう、過酷な過去を持った子達にこの遊びが届きますよう。
この投稿にあたって着想をくれた
こちらの記事やパーソナリティ障害が「ペルソナの病」だ、という非常に素晴らしい示唆をくれた(本人へのリンクをしていいか聞いてないので)友人に感謝しつつ。
何らかの奇跡で大学院で研究するなら、真面目にこいつをテーマにしようと思う。
RPG療法なんてのがあったらエキサイティングじゃないか 笑