山姥と居合地蔵
俺はよくイマジネーションに飲まれていた。
今でも怪しいもんだが、まだ治療終結前、運転中に「山姥」のイマジネーションに飲まれそうになった事がある。
ちなみに地蔵(心理士)は精神分析学会に所属しながらも河合隼雄先生を師匠筋と仰ぐ方なので「深層心理学」つまり夢分析を重要視する方である。
俺は夢については一度二度語ったくらいであとは自分のイマジネーションばかり語っていた気がする。
RPGのゲームマスターをアドリブシナリオでよくやってた事もあり、三つお題をもらえばそれに関してシナリオやイマジネーションはスルスルと湧いてくる。今にして思えばあの取り組みが俺の「無意識」を活性化させる良い訓練になったな、とすら思う。
起きながらにして「白昼夢」を観れる。
これが俺の利点であり欠点だ。
山姥のイマジネーションは鮮烈だった。
後日カウンセリングオフィスでも語って再現できるくらいに。
「赤ん坊の俺は山姥に運ばれています。」
「それは…何人くらい。」
「六人、いや七人か、いや六人だ、やつらは俺を食う気なんだ。ようやく食糧を見つけた。」
「どんな様子なんですか」
「喜んでいる!彼女たちは熱狂している!俺を食って一杯やるつもりなんだ」
手足をもがれ頬に噛みつかれぎちぎち、びちゃびちゃと食われるイメージに飲み込まれる。
「ほう…。」
「ああ…俺はやはり誰かに捧げられるために生まれた贄なんだ。それでいい。陰の母性原型に飲まれる。それでいい。くだらない俺の生なぞやつらに捧げられてこそ完成する…」
ここで精神病水準まで意識が行ったように思う。
ブツブツと独り言を言ってクツクツと嗤ったり。
「ところで祭壇は?」
「へあ?」
「祭壇はどこにあるんですか?」
「祭壇…祭壇!」
「あります!月の光に照らされている。そこには剣と鏡がある!」
「俺は…食われるんじゃない!」
「彼女たちは俺が生まれた事を喜んでいるんだ!」
山姥たちは薄絹を着た妙齢の女性に変貌していた。
「彼女たちは大地の御子の誕生を喜んでいるんだ!」
この「祭壇」という介入。
たったこの一つの言葉で俺のイマジネーションはあさっての方向に修正された。
まさに居合切りのような「ただ一撃」のタイミングだった。
あの地蔵「獣→ワンちゃんと命名される事件」でもそうなんだが狙い澄まして「ただ一撃」を放つタイミングを計っているように思う。
正直あれはカッコいい。
あの「間」はなかなか使えるもんじゃない。
営業のプレイヤーとして四半世紀やってるから解る。
あれは、あの「神速の一撃」は現場で培ったカンと経験で放てる実戦で習得した介入だ。
俺もあれやりたい。
今日ようやっと放送大学の「精神分析とユング心理学」の第一講を聞けた。
聞いてる最中に思い出したこのエピソードを無性に書きたくなった。
よしこれからは彼を「居合地蔵」と命名しよう。