第8回 No.2
俺が傾倒しているカール・グスタフ・ユング
臨床心理学において多大な功績を残したフロイトと並び称される精神科医。
あまり知られていない事であるが彼には「No.2」と彼自身が呼んでいた別の人格がいた。
彼の心理学は深淵を探るがごとき奥行きを持っておりそれを語るにはあまりに浅学な俺は適していないが、ひとつ解る事は彼は彼自身の「もう一人」をどのようにとらえるか、ということに生涯の多くを捧げそれが彼の心理学に影響を与えたという事だ。
自分と他者、自分の中の何か、セラピストとクライエント、世界と自我、あるいは善と悪、陰と陽、男と女、海と陸、そうした異なる二者間に何があるか、どのような現象が起こるか、そこから何を生み出すか、それをどうとらえるか。どのように自己実現していくか。
それが彼の心理学の重要なテーマの一つだ。
多くのBPD当事者は自我が「割れて」いる。
自分を許し安心させたい一方で「内なる批判者」の苛烈な声に苛まれる。
もう一方で、己を律していたつもりでも己の中のコントロールし得ない「もう一人」に自我を奪われる瞬間がある。
俺自身のことで言えば自分の中のそうしたもう一方の「受け入れがたい自分」をどうにかする事に20年もの月日を使ってしまった。
今ではペルソナ化した「No.2」が今囁いた。
「へへ、だから戦い方は山ほど解ってんだよ、俺のは実戦のケンカ殺法だ。」と。
一般的にBPDでは弁償的行動療法やスキーマ療法が有効であるとされているが、俺のように「もう一人」を完全に認識してしまっているBPDにあるいはユング心理学は「自己ケア」として有効である、と提案させてもらう。
あなたの「もう一人」は忌むべき存在でもなく、駆逐する対象でもなく、あなたが呪って葬り去ろうとリセットを試みる「過去」もまた愛すべき大切な「物語」だ。
「現在」のあなたが「そんな過去の自分は好きではない」と言ったとしても、同じだけ「過去」のあなたは「そんな物分かりのいいフリをしようとしている現在のあなたが嫌いだ」と言っている。
「過去」のあなたは「治療すべき対象」ではない。
苦しかったその時をなけなしの戦力と手持ちの駒で必死に戦って来たあなただ。
どうかそんなあなた自身の「No.2」を否定しないでやって欲しい。
彼または彼女が得た力は使い方を間違えなければとんでもない能力になるのだから。