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MVへの怒り


俺の怒りを聞いてくれ


(いっつもこんな感じの話ですみませんね。いつも読んでいただいている皆様には感謝を。たまに記事を購入してくださっている奇特な、有難い皆様にはドッキングにぼしを。)
 
          `ゝ
 ドッキング    _//´
       / :;/'
     _/@,;)ゞ
  _/;@/ ̄
  /",:;ン   にぼし
__/,/
`V


tooboeさんのMVをyoutubeで見てた。
見てないって人は暇だったら見てみてほしい。
俺が見たものを貼っておきます。見るなら必ず2つとも見てほしい。
見ていただけるならコメント欄もざっと目を通してほしい。




見ていただいたところで、みなさんが思ったであろうことを、僭越ながら私の口から代弁させていただきますね。









ここは愚かな人間の博覧会か?来たる大阪万博に展示してやろうか?



MVが悪いとは言わない。それはたぶん、様々な大人な事情とか、制作側の意図とか、いろいろあるでしょうから。
でもこうやって2つを連続したストーリーのような形でだされるとなんだかなぁと思ってしまうわけ。コメント欄もその映像に関する考察とかばっかり。辟易する。
それぞれ、動画と音楽はまあマッチしてるとは思うし、映像に気合入れてくれてるMVはいいんだけど、こうなるともうどっちが主体かわかんないよねって話。音楽に映像をつけるのがMVなんじゃないの?これじゃ映像に音楽がついてんだよな。
コメントも映像に対するものばっかりで、音楽はどこにいったんだ。音楽を聴きに来たんじゃないのか。
もちろん制作側、広告側がそういう風なプロモーション形態をとって、こうして実際にこの2つはめちゃめちゃ再生されてはいるんだけれども、”MV”としての”音楽”としての在り方はそれでいいのか?と思ってしまう。変にこだわり過ぎなのかもしれないけどさ。
それに、じゃあ前後のつながりはどこまで許せるの?って話もある。
MVで前の曲のMVのモチーフがちらっと出てくるみたいなことはまあざらにあるし、セルフオマージュみたいなのもありふれてる。そういうのとの線引きをどうすんのかってのはなかなか難しいところではある。でもやっぱりどうしてもMVなんだから、音楽が主体なんだから、音楽を一番に押し出さなきゃなんねぇんじゃねぇのと思うわけよ。
それこそアーティスト側からしたら映像で有名に、話題になって(映像とか以前に既にかなり有名ではあるが)、そこから音楽にハマってくれる、そういった間口を広げるという意味では良いのかもしれないし、僕みたいなMVは音楽主体であるべきだろみたいなある種の潔癖というか高潔というかそんなものは音楽や商業の世界では邪魔でしかないのかもしれないのだけれども。それでも僕は言いたい。音楽主体じゃないのかと。コメント欄のやつらも、映像の話ばっかりしてねぇで、音楽の話をしろよと。
僕はね、そう言ってやりたいわけですよ。
そうしてやっぱり思うわけですよ。
僕ってやっぱり音楽が好きなんだなぁって。
やっぱり愛してるなぁって。



世界はそれを愛と呼ぶんだぜ!!!!!!!!


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