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今週の日記

今日(今週)から日記(週刊だから週記と呼ぶのが正しいのか?)を書き始めることにする。
一本のまとまった記事を書くほどの何かが起こるような毎日ではないが、ちょっと書きたいことがあるような日々なので、それらをまとめて一(いつ)として記事にしようという魂胆である。
おそらく時間を書ければ一本の記事になるような出来事も含まれているが、何分今はちょっといそがしくて余裕が無いのである。
昨日みたいに何か大きめの出来事や感情の動きがあれば不定期で書くことももちろんあるだろうが、とりあえず、できるだけ毎週書いていこうと思う。


本読んだ

(いっつも声がデカくなるときにこの大きい文字を使っているので、「本読んだ(クソデカ声)」みたいな感じでちょっと面白いですね。)

色々と縁があって、住野よるさん『青くて痛くて脆い』を読んだ。
(作者のことを呼び捨てにするにはリスペクトが欠けているように思うが、引用などでは基本的に呼び捨てだ。「先生」と敬称をつけるのも変に恭しく感じてしまう。「さん」をつけるほどの間柄でもないし、と迷った挙句に結局一般的に「さん」を付けるという着地点に無理矢理正座した。)

住野よるさんの小説は恥ずかしながら読んだこともなく、知っているものと言えば『君の膵臓を食べたい』とか『か「」く「」し「」ご「」と「』ぐらいのものである。
そんなわけで、僕の中の住野よるさんの小説のイメージは、「中高生に人気の、恋愛小説家」程度のものであった。正直言って半ばバカにして侮っていたのである。後に正座のままに襟を正すことになるのだが。

『青くて痛くて脆い』は結構好きだった。
ネタバレに配慮して詳しく内容は明言しないが、きったねぇ人間が見れて超嬉しい。青臭い、痛々しい、脆い、というより崩れ落ちていく人間が見れる。全員苦しめ!!!!!!


二冊目、杉井光さん『世界で一番透き通った物語』を読んだ。これも明言は避けるが、まあ悪くはなかった。ただなんかこう、宣伝の仕方で損をしているというか。前半を読み進めていく中で、だいたい物語の核の部分は察してしまっていたので、それほどの衝撃的という感じではなかったかも。ハードル上げ過ぎたな。
そういった部分抜きにしても、結構文体とかは好きな方だったかも。なんでかは分からないけど。


京都市バスって当たりはずれあるよね


京都市バスの運転手ってガチで当たりはずれありすぎ。
普通に客に暴言吐いてる運転手も見たことあるし、バス停の周りの名所についてめっちゃしゃべりながら案内してくれてて観光バスみたいになってるのもあるし、当たりはずれデカすぎる。
でも暴言吐くのはどっちかっていうと客が悪い。お前だよお前。
扉のすぐ横に立ってんじゃねぇよ。お前ひとりのせいで扉が閉まらなくて、バスが発車できなくて、遅延するんだよ。そういうやつに限ってバスが遅延したらキレたりするんだろういや、これはよくないな。実際にそいつがバスが遅延してキレている姿を見たことはないから。だからそれで批判するのはよくない。だがお前がバスを遅延させて平然としているという事実その一つは変わらないし、お前はバスの遅延に対して金輪際その口から文句を垂れる権利を喪失したということだけは覚えておいてくれ。そしてお前が文句を放ったその瞬間に、影より俺が這い出て貴様の首を捩じり切るということだけは覚えておいてくれ。


しいたけ占い

先週ぐらいに、しいたけ占いの下半期分がリリースされたらしく、気が向いたから読んでみたんだけど、意味わかんなくてワロタ。
なんか占いって抽象的なこと言ってそれで当てはまってると思わせるのかなと思ったらずっと意味わかんない例え話をされててなんなんだって感じだ。そのたとえ話の中から具体化して落とし込む作業は読んでる側に一任しているのか。

とりあえず俺のうお座を見てほしいんだけど、マジで意味が分からない。

しょっぱなから飛ばしすぎだろこれ。全然意味わかんないよ。

今回、2024年下半期の占いを書いていて、2024年という年が少しだけ「かわいそう」に思えてしまったのです。

どういうことなのでしょうか。

2024年はですね、やっぱり、ここまで多くの人が「嵐の海を泳ぎ切るぐらいに大変な数年間を過ごしてきたこと」を見てきたのです。

それで、「2024年になったら、色々なことがちょっとは落ち着くだろう」という希望をみんなが抱いていたことも知っていて、その希望に応えるために、「ささやかだけど、ここまで辿り着いた皆さんとお祝いをしたい」と言って、2024年の方もですね、パーティーの準備をしていたのですよ。

奮発して出前を頼んだり、「ここまでお疲れ様でした」、「2024年の世界へようこそ! 」などのメッセージをバルーンと共に壁に貼ったりして、みんながこの2024年に辿り着くことを心待ちにしていたのです。

でも、2024年になってみると、みんなは想像以上に忙しくて、手が離せない日々が相変わらず続いた。「ここまで辿り着けたお祝い会? 行きたいんだけど、ちょっとまだ手が離せなくて」と言って、キャンセルのお電話を受けたりもしてきてしまった。

でも、2024年はそういう仕打ちを受けても、「カーッ! 」と顔を赤くして怒りません。みんなが大変だったことをちゃんと見てきたし、見守ってきたからです。

だから、今からでも遅くありません。これから2024年も下半期に入っていくのですが、「やっとここまで辿り着いたね」とか、「ささやかだけど、お祝いをしよう」と、ここまでみんなが来るのを待っていた2024年という年と共に、自分たちを祝ってあげてくださいね。

「ここに来るまでが大変過ぎて、まだ占いを読む気にならない」

という人は、今読まなくても大丈夫です。自分のタイミングで、ゆっくり読んで頂けたら嬉しいです。

しいたけ占い

んですぐこれだもんな。俺はもう無理になっちゃったよ。
ここに来るまでが大変すぎて、まあそうだよ。ずっと意味わからないフワッとした例え話、それも擬人化をふんだんに使ったやつをここまでの密度で浴びせられたことないもんな。

2024年の方もですね、パーティーの準備をしていたのですよ。
俺はここで本当に限界になった。

占いを見て、その後別の結果も見て、占いの結果を毎回無効化しているこの俺が完全にお手上げだもんな。
もう言うことねぇわ。やっぱこいつ強ぇわ。


血と糞尿の混ざった死の臭い


これはマジのやつで、動物が死ぬ話が出てくるので嫌な人は見ないでください。



近所の奥様に聞いたらしく、母が悲しそうに、近所の側溝のところで猫が死んでいたと言っていた。母も見に行ったらしく、もう死後しばらく経っていて、虫とかカラスにたかられてあばらとか骨が見えている状態だったらしい。噂によると、直前の夜に、よく鳴く声が聞こえていたらしい。たぶん怪我でもして動けなくなってしまって、そのまま亡くなってしまったのだという。
その話を聞いた2日後に、たまたま出かける用事があったから、出かけるときに件の場所の近くを通った。半ば野次馬根性のような形ではあるが、様子を見に行こうと思った。その場所に近づくと、血や腐った肉や糞尿の混じる強烈な臭いがした。臭いの元を辿る形で、遺骸はすぐに見つけられた。このころにはもう骨だけになっており、顔もはっきり分かるほどに、猫の頭蓋骨だった。博物館とか理科の教科書で見たような、綺麗に肉と皮が無くなった形だった。痛ましく思い、その場で手を合わせて目を瞑り、黙祷を捧げた。同時に、自身が飼っている家猫の死を連想し、その場の臭いで強烈な吐き気に襲われた。
これが腐肉と糞尿の混ざった死の臭いかと考え、そんな風に、死も一つの文学的な言葉に置き換えてしまう自分に嫌気がさした。今もそうである。死はエンターテイメントでは無い。こうやって消費していいものでは無い。自分のことが嫌いになる。
ああ、こんな風に苦しむ者たちを一つでも救ってあげたい。保護猫団体や葬儀屋に就職する時の志望動機になるかななどと、絶賛就活中で毒が回った頭で考えてしまい、自分が嫌いになる。文字で、就活で死を消費してしまう自分に嫌気がさす。こんな風に苦しむ人、動物が少しでもいなくなればいいと思うのは本当で、信じてほしい。


まぶた

土日、なんか精神的ストレスか疲労か分からんけど左の下まぶたがときどき痙攣してて、エンバンメイズの烏丸徨みたいに「びびびびびび」ってしてた

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