Tricksters 【双子座の物語】
カニエ・ウエストの『I am a god』という曲の中に、次のような一節がある。
I just talked to Jesus
He said, “What’s up Yeezus?”
ちょっとジーザスと話してきたよ
彼は「イーザス、調子はどうだ?」ってさ
「イーザス」とは、カニエ本人のことを指す。
彼は、自らを「ジーザス」と並ぶもうひとつの存在として、「イーザス」と称した。
神の子キリスト(Jesus)と
カニエ自身(Yeezus)。。。
それはまるで、双子座の神話に登場する神の子カストルと、人間の子ポルックスのような仲の良い二卵性双生児なのかもしれない。
カストルとポルックスは双子座のひとの中に同居している。
どうやら、双子座の人々には、「人格」と「神格」の両方が与えられているらしい。
「人格」とは、現実的、理論的に物事を考察したり、即物的に世界を捉えたりする「俗っぽさ」の領域である。
双子座のひとは、時に、身も蓋もないほど即物的な人間の本性を暴露する。
それに対して「神格」とは、いわば「インスピレーションの部屋」、ひらめきや霊感を宿すための神聖な領域である。
例えば、彼らは、まるで霊媒師が自らの身体に亡くなった人の魂を宿らせるように、自分という器の中に何らかの対象を招き入れ、そのものの「声明」を読み取るというようなこともできたりするようだ。
「聖俗を併せ持つ」という点では、魚座と共通しているように思われるけれど、魚座の場合は聖俗が境界なく融合しているのに対し、双子座はそれぞれの領域が独立していて、双方が互いに作用し合うのが特徴である。
双子座は対極にある物事の双方に自在にアクセスできるエネルギーを持っている。
そのため、融合させる必要がないのだ。
双子座のルーラーである水星は、相反するもの同士を結びつけるエネルギーを持つ。
天秤座と違いを比較してみるとわかりやすい。
天秤座のルーラーである金星は、似たもの同士を結びつけるエネルギーがある。
したがって天秤座は、物事の共通点を見出し、理論を構築していくことを得意とする。
また、自分と共通する趣味のひとと友達になろうとする傾向がある。
これに対し双子座は、物事を批判すること、逆説を吟味することに長けている。
そして、友人関係も、自分とは違った趣味を持つひとを受け入れることに抵抗がなく、補完関係を大切にするひとが多いように思われる。
双子座は、片側のみにとどまることがあまりない。
物事を考える際に、自分の対岸にいるひとのことを必ず考えるだろう。
全ての物事に〈対〉があるということを、彼らは誰よりもよく知っている。
なぜなら、自分のうちにその両極を持っているから。
極同士は、一見異質なものに見えるけれど、双子座の人々は、極同士が同じ線上にあるものだということをよく知っている。
つまり、それは特別な「絆」で結ばれた者同士なのである。
そして、双子座はその線上を自由に行き来することができる。
中でも、「本音と建前」というトリックは、とても双子座らしい。
「本音」を担うのは人間性、「建前」(理念)を担うのは神性。
その両極に手を伸ばし、その時々の風向きを感じながらバランスをとり、絶妙なラインの上を歩いていく。
そんな「綱渡り」のような芸当が双子座の人々は得意な筈である。
双子座は、明らかに神がかっている。
素早い頭の回転や、天才的なひらめき。
しかし、双子座のほんとうに凄いところは、彼らの中に「神」を宿している点ではない。
彼らの中にある「神」と「人間」が対等な関係であるということ、これが双子座の凄味なのだ。
まさにカニエの曲のジーザスとイーザスのように、彼らの中の「神性」と「人間性」は、“What’s up”と気軽に声を掛け合うような間柄なのである。
例えば、双子座のひとは、ふと、何かが降りてくるようなことを体験するひとが多いのではないかと思う。
特に、話しているときや書いているときなど、〈言葉〉を扱っているときなんかに。
それは、突然の、一見何の脈略もないような〈言葉〉だったりする。
こうした人知を超えた不可解なひらめきに対して、彼らは「意味」を見出していくことができるのである。
ひらめきが〈神の啓示〉であるならば、意味づけは〈人間の行為〉である。
神と人間が対等にあり、相互に作用し合うことで生まれた哲学は、この世界において最も神秘的な創造物であるに違いない。
双子座のひとの多くは、恐らく「話ながら思考するタイプ」のひとだろうと思う。
考えてから話すのではなく、話す言葉が思考に先立つのである。
それは、「柔軟宮」ならではの「即興性」が関与しているようだ。
「柔軟宮」とは、文字通り柔軟性や流動性に関係する星座のグループのことで、双子座、乙女座、射手座、魚座がそれにあたる。
彼らは、結果に至るまでの「プロセス」を大切にし、「プロセス」自体がとてもユニークでクリエイティブであることが多い。
目的を持って何かする場合でも、彼らはその過程を楽しもうとするし、 さらに、目的を定めてなくても、その場の状況にリアクションしていくことで、最終的に何かしらのオブジェクトに辿り着くということが多いようだ。
そして、彼らのその場しのぎの対応は、まるで即興演奏のように「作品」になってしまうことだってあるのだ。
特に双子座の場合は、「言語能力」にそのような特徴が現れやすい。
彼らは、トークにおいてアドリブに強いひとが多いけれど、それは「言葉の方からやってくる」というような感覚が、彼らに起こっているのではないかと思われる。
例えば、オチのない状態で話をし始めて、話がどんどん進行していくうちに、その文脈から必然的にオチが決まっていくということも彼らはしょっちゅう経験するのではないだろうか。
あまねく大気のように、彼らの魂はあらゆる所へアクセスすることを求める。
双子座の人々ほど、「視座」を自在に動かせるひとはいないと思う。
つまり、それは、色々な立場に立って物事を見ることができるということである。
彼らは、遠く離れて全体の配置を把握するというよりも、それぞれの立ち位置にひとつひとつ移動していって、全体像を捉えていくという方法をとることが多い。
物事を「俯瞰」して見るより、それぞれの「当事者」の立場に立っていくのだ。
それは、とてもジャーナリスティックな手法である。
双子座はコミュニケーションの星座と言われるように、彼らはメディア(媒介者)としての資質を備えていることが多い。
外国語を操ったり、パソコンに強かったり、霊媒的なことができたり、数学が得意だったり。。。
双子座のひとは、必ず何らかのリテラシー(言語能力)を持っていることだろう。
彼らはそのリテラシーを用いて、あらゆる魂と交流し、私たちに様々な物語を聞かせるのだ。
また、双子座は、天性のコピーライター的才能を持っている人が多い。
それは、小説家だったら、決め台詞のような名言が作中に溢れていたり、政治家ならキャッチコピーのようなスローガンを掲げたり、音楽家なら印象的なリリック、ラッパーなら痛快なパンチラインといった具合に才能が現れることだろう。
言葉の才能という点で、天秤座と共通している部分もあるけれど、天秤座は「言葉のリズム感」を操ることに才能が現れやすいのに対して、双子座は、「人の心を掴む言葉」を使うという才能を持つ人が多い。
「人の心を掴む言葉」を使う才能とは、すなわち、ひとの感情や感覚に響く「タイトル」をつける才能と言える。
彼らは完結に的確に、その対象のテーマを言い当てることができるのだ。
前から知っていた物事に、改めて「タイトル」が与えられることによって、人々は「目からウロコが落ちる」ような感覚を得て、膝を打つことだろう。
双子座の人々は、捉えどころのないもの、感情や感覚などにも「名前」を与え、それをひとつのキャラクターにしてしまうことができたりする。
彼らにとって「名前」とは、「物語」を始めるために欠かせないものだ。
あるいは、「物語」を読み解くことによって、そのものの“ほんとう“の「名前」を見出したりもする。
双子座には、あだ名をつけるのを得意とするひとがとても多い。
疑いようもなく、双子座の人々は「魔術師」である。
「ひとを楽しませる曲芸師」あるいは、
「ひとを欺くペテン師」
どちらの「名前」を好むかは彼ら次第だ。
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