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老猟師のちょこっと武勇伝──体を張って意識が飛んだ猪犬訓練所
本稿は『けもの道 2020秋号』(2020年9月刊)に掲載された記事を note 向けに編集したものです。掲載内容は刊行当時のものとなっております。あらかじめご了承ください。
現在はイノシシの流し猟を得意とする猟歴49年、愛媛県大三島在住の藤原保文さんから、30年前に経験した猟犬訓練所での身体を張った一コマを伺った。
文・写真|吉野かぁこ
生後半年の紀州雑種犬に訓練所デビューをさせる
1980年代は、それまで山に多く生息していたキジが減少し、全国的に鳥猟からイノシシ猟へ注目が移っていった転換期だった。狩猟雑誌では競うようにイノシシ猟の特集が組まれ、今までポインターやセッターと出猟していた猟師が、紀州犬や高知犬などの猪犬を飼い出したころでもある。大物と対峙するロマンに、多くの猟師が憧れを抱いた。
とは言え、イノシシの数は現在と比べれば極めて少ないものだった。今でこそイノシシのジビエ活用が盛んな愛媛県でも同様で、西日本最高峰の石鎚山を抱える西条市でさえ「標高600~800メートルまで上がらないとイノシシには出会えなかった」と当時の人は語る。
「我が猪犬たちにイノシシ猟の経験を積ませたい」と1982年ごろに同市の猟師グループが有志で開設したのが、「愛新猪犬訓練所」である。今治市で狩猟をはじめた当時30代半ばの藤原保文さんが、紀州犬の雑種であるシロを猟仲間から譲り受けたのもこの頃だった。
「シロをはじめて訓練所に連れて行ったのが、9月か10月ごろ。2、3月に産まれて半年で身体も育ってきたから、11月の猟期前にイノシシとの接触を経験させておこうと思ってね」
愛新猪犬訓練所は、下島山というなだらかな山の麓の600mほどを柵で囲ったものだった。山林をあえてそのまま残し、実猟に近い環境で訓練ができるということで、遠方からも猟師が訪れてきた。その日も2、3組が同時に訓練場に入っていた。
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訓練所の元運営者曰く、当時貴重だったイノシシは、広島県や高知県の猟師たちから一貫(=3.75kg)あたり約1万円で購入していたそうだ。40kgの個体なら約10万円。高価なイノシシは、獲物を犬に追わせて主人の前に出すための「追い出し訓練用」とされ、特別な場合を除いて咬み止めには使わなかったそうだ。
訓練場の麓にある小屋からイノシシを出して、30分~1時間後に犬たちを放す。先輩犬とシロの3頭ほどだった。かく言う藤原さん自身も、猪犬の訓練はほとんど経験がなかった。「主人の顔を見ると犬が元気になる」ということで、自分も囲いの中に入る。
「突進してくる危険はあったけど、作業服などの軽装だったかな」
イノシシ避けの楯として、高さ90cm、幅60cmほどの木の板1枚を持たされた。我が身はさておき、期待の愛犬を注意深く観察する。
「シロはまだ若犬だったから、そもそも猟欲自体がなかったよね。イノシシを見ても〝お友だち〟みたいな感覚で。本気で追い立てるというよりジャレることの延長だったから」
イノシシに咬みつかれ、吹っ飛ばされ、意識が飛んだのは私
先輩犬たちの見よう見真似でニオイをたどりながら追跡するシロ。ついに標的を捉えたのか鳴き声が響き渡り、イノシシが姿を現した。後ろには先輩犬たちが喰らいついている。犬たちは主人の前にイノシシを追い出そうと、じわじわと距離を縮める。犬には危険だが、近くにいる人間にも危険な状態だ。
イノシシが追っ手を振り切ろうと、暴れながら走る。しかし犬たちはまるで動じない。膠着状態が続いたそのときだった。行き場を失ったイノシシが、藤原さんの方に突進してきたのだ。
「40kgぐらいだったけど、このイノシシは強かったね。体当たりされて、板のガードも吹き飛ばされた」
本来はかなり強い力で板を地面に押し付け、猪の攻撃をさばく必要があったのだが、まだ訓練に慣れていなかった藤原さんは「それが甘かった」と振り返る。そのまま右の脇腹に咬みつかれ、吹っ飛ばされ、ついでに意識も飛んだ。咬まれた場所は紫色に内出血して大きなしこりができていたという。痛みも相当あったはずだ。医者ではどんな処置があったのだろうと尋ねると
「いや、医者には行ってない。湿布を貼って寝たぐらいかな。冬用作業着の厚さが幸いして、牙が皮膚に直接は届かなかったから」
藤原さんは〝武勇伝〟を飄々と語るのだが、一方で妻のきよみさんは、後日猟仲間から初めてこの一件を聞き、青ざめたという。その後体調に影響はなかったそうだが、内臓の損傷や感染症などを考えると本来は医療機関で診てもらうべきだったことは言うまでもない。
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どんな犬でも家族みたいなもの
訓練所での怪我から数年後、四国にもイノシシが増え山そのものが〝訓練場〟になった。その後、愛新猪犬訓練所も2010年ごろには閉鎖。藤原さんの〝武勇伝〟は、今では訓練所での貴重な体験として後輩猟師たちに語り継がれている。ちなみにシロはその後どんな猪犬へと成長したのだろうか。
「うーん、印象に残る犬にはならなかったというか……(苦笑)。巻き猟に同行しても、二番手三番手で出猟の機会はあまりなかったね。どちらかというと番犬として活躍したかな」
シロが亡くなったのは、まだ猪犬として訓練中だった2、3歳のとき。街を散歩中にリードが外れ、車道に飛び出して車に轢かれてしまったのだ。「街中を歩く訓練はさせてなかったからなぁ」と、藤原さんは悔しそうに振り返る。あんな事故さえなければ、終生面倒をみるつもりだった。
「自分は単独猟が主だったから、どんな犬にでも愛着が強い。それに、飼いだしたら家族みたいなもんだからね」
昔は、〝使えない猟犬〟は捨てられたり、より酷い猟師のもとでは山で撃ち殺されて処分されてしまうこともあったと聞くが、藤原さんの犬に対する分け隔てない愛情は、立派な武勇伝の一つと言えるだろう。
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(了)
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