《甲斐犬で猪を狩る》髙竜犬舎・愛鷹(あしたか)──静かなる歩みの境地
文・写真|佐茂規彦
「甲斐犬で猪を狩る」と聞いたあなたは、疑い深く眉をしかめただろうか? それともすぐに納得できただろうか?
名前は聞けども、猪犬としてはマイナーな甲斐犬。多くの猪猟師たちが一度は甲斐犬を使ってみたい、甲斐犬で猪狩りをしてみたい、と思う一方で、実際に甲斐犬でコンスタントに猪を獲っている狩猟者はなかなか見当たらない。しかし、甲斐犬を使う稀有な猪猟師が実在し、着実に猟果を上げているとしたら、その猟技をこの目で見てみたいとは思わないだろうか。
髙竜犬舎の高橋さん
令和2年12月5日早朝。静岡県伊豆半島某所では前夜から明け方まで本降りだった雨が小雨になり、甲斐犬の繁殖と販売を行う髙竜犬舎の代表で、自身も猪猟を行う高橋浩信さんとその愛犬「愛鷹」が、使い古した軽トラックに乗って筆者の到着を待っていた。
事前に見ていた天気予報では雨が完全に止むまであと小一時間というところか。筆者は高橋さんと軽い挨拶を交わした後、「雨が止むまで先にお話を伺いましょうか」とスケジュールの調整を試みた。
「いや、もう止みそうですし、地面が濡れて音が出ないので都合が良いです。このまま行きましょう」
温厚な笑顔とは裏腹な筋骨隆々の体つきの高橋さんは、やはり押しも強い。私たちは二言三言を交わした後、すぐに山裾へと向かった。
最初の甲斐犬「白」
今回取材させていただいた高橋さんは、祖父の代から狩猟を趣味とする一家に生まれ、幼いころは父の背中を見ながらよくカモ猟や大物猟に付いていったという。狩猟を毛嫌いすることはなく、鳥や獣を狩る、それを食べる、ということをごく普通の感覚として受け入れつつ育った。
しかし幼少時、ある巻き狩りについて行ったとき、目の前で紀州犬が猪に腹を裂かれ、腸が垂れ出したまま逃げ帰って来るという姿を目撃した。その犬はすぐに獣医に担ぎ込まれたが、命を落とす結果となってしまった。
「狩猟中に犬が怪我をすること」これが唯一、高橋さんが狩猟の中で嫌になった点なのだが、強くそう意識づけられるには十分な経験だっただろう。
出身は北海道で、就職してから神奈川県に移り住み、そこで自分で狩猟を始めることにした。特に犬を使った大物猟に憧れがあり、はじめて甲斐犬を山梨県の犬舎から購入したのもこの頃だった。とはいえ、当初は甲斐犬を本格的に猪猟に使う気はなかったそうだ。
「とりあえず『怪我をしない』と聞いていましたし、虎柄なのでカッコいい。最初はそれぐらいしか思っていませんでした」
高橋さんにとってはじめての甲斐犬「白」が来たのは13年前になる。当時、インターネットで調べたり、周囲に聞いた話では、甲斐犬を大物猟に使っている狩猟者はほとんど見当たらなかった。
大物猟、特に猪猟用の犬になると紀州犬や四国犬にはアタマに●●系とつく狩猟用の系統犬がいるようだったが、甲斐犬についてはいくら調べても出てこなかった。
「もしかして、甲斐犬で猪を獲るということは、まだ誰も踏み込んだことのない領域なのでは?」
そう思った高橋さんは俄然、興味とやる気が湧き、せっかくやるなら甲斐犬での狩猟のやり方を自分で確立させようと意気込んだ。しかし、それは知らぬがゆえの逸りであり、1年目にしてその難しさを知ることになる。
というのも、そもそも白は1歳を過ぎ、2歳ごろになっても山では遊んでばかりで、猪を追うどころか猟欲すら見せなかったからだ。紀州犬や四国犬のように勇猛に獣を追う、吠える、止めるという猪犬としての姿の片鱗さえ発現しない。もちろん、犬の悩みで相談相手となってくれる先輩猟師たちが語るのは、甲斐犬ではない他の犬種の話ばかり。
なぜ甲斐犬は追ってくれないのか。なぜ甲斐犬は猪を止めてくれないのか。犬がダメなのか。自分がダメなのか。それらの疑問に対する答えはどこにも見つからなかった。
あきらめかけて「ビーグルでも飼うか?」と妻に相談すると逆に「中途半端なことをするなら犬の世話は手伝わない。それは違うんじゃない?」と諫められる始末だった。
白の開眼
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