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甲斐犬という日本犬
本稿は『けもの道 2021春号』(2021年4月刊)に掲載された記事を note 向けに編集したものです。掲載内容は刊行当時のものとなっております。あらかじめご了承ください。
文・写真|佐茂規彦
天然記念物「甲斐犬」の登場
甲斐犬は、現在、国の天然記念物指定を受けている6犬種のうちの一つで、天然記念物指定は昭和9(1934)年1月になる。当時、日本犬保存会が中心となり全国各地の純粋日本犬を発掘し、その保存活動が推進されていたことは以前の北海道犬特集(下記リンク参照)でも言及したとおりであり、甲斐犬の保存活動についてもほぼ同時期に開始されている。
以下、甲斐犬愛護会設立時(昭和6年)の専務理事である小林承吉氏の『復刻版・日本犬大観』(※昭和62年、誠文堂新光社発行)における甲斐犬に関する寄稿文(「原産地日本犬の性能と特長」の章中、「甲斐小型犬」)から一部引用および参照しつつ、甲斐犬をご紹介する。
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そもそも甲斐犬が虎毛の日本犬として世の中に公開発表されたのが、昭和5年の春、小林氏が当時日本唯一の畜犬専門雑誌『狩猟と畜犬』(狩猟と畜犬社発行)へ寄稿した「甲斐の日本犬村を語る」の一文が始まりとされている。
当初は「甲斐日本犬」という名がつけられていたところ、字句が長かったため、当時の日本犬研究者の一人であり文部省天然記念物調査員であった鏑木外岐雄氏(理学博士、元日本犬保存会会長)が山梨県下での虎毛犬調査の際に命名した「甲斐犬」を後に使用するようになり、それが今日に至っている。もちろん「甲斐日本犬」や「甲斐犬」と呼ばれ始める以前は「地犬、和犬」が一般愛犬家による呼称だったようだ。
さらに翌年の昭和6年1月、東京都銀座で開催された日本犬保存会第一回展覧会において甲斐犬17頭が出陳され、「耳の立った虎毛犬というので人気を独占」し、日本の愛犬家たちに「甲斐犬」の名と存在が知られるようになった。
こうした保存活動が始まった経緯としては、ほかの日本犬と同様、明治半ば以降に外来犬種が多数移入されたことによって甲斐犬も雑化が進んでしまい、純粋の甲斐犬は減少の一途をたどり絶滅の危機に瀕していたという時代背景があった。
そこで小林氏のほか愛犬家であり当時の甲府検事局の検事だった安達太助氏らが奔走して純粋の甲斐犬を探し求め、その保護を開始し、昭和6年11月に安達氏が初代会長、小林氏が専務理事として甲斐犬愛護会を設立した。
以来、甲斐犬愛護会は甲斐犬の優秀犬を集め、会員たちと愛育保存に努め、後に甲斐犬の天然記念物指定を達成した。もちろん、それには日本犬保存会の斎藤弘吉氏らの尽力があったことも申し添えておこう。
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